物書き。

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物書き。

諦めました。えぇ、もう、無理だ、と。この万年筆から逃げることは不可能だ、と。あの日あの店に言った自分を恨んでます。 友人に聞いたんですよ。震える手で、万年筆を持ちながら、この万年筆、どこで買ったのかって。友人は 「あれ、そういえばどこで買ったんだっけ。ねぇ× × × 、俺これどこで買ったんだっけ」 × × × と呼ばれた女性は答えました。 「あなたが、ある日突然買ってきたのよ。覚えてないの」 「そうだっけ。ごめんごめん」 と、謝り、笑いながら、分かんないや、私にそう言いました。 この万年筆はどこまででも追いかけてくる。間違いない。たとえ私が地球の裏側へ行っても、地球を出たとしても、ついてくる。そう思いました。 ならば、と思いまして、使ってみることにしたんです。もはやどうすることも出来ないならいっその事どうにでもなれ、と使ったのです。インクは、はじめから入ってました。いやに、黒々としたインクでした。 筆が進むんです。 どんどんと物語が出来ます。頭が冴えて、まるで速記のお方のように、文字を書いて、書き直すことも無く、あっという間に物語が紡げてしまうんです。それも、とんでもない大作が。編集者の方に見せたんです。これでどうですか。私はまたダメですか、と投げやりにいつもは言うのですが、この日だけは違いました。出来ました。会心の出来です。もう笑いが止まりませんでした。編集者は、あぁまたこいつかといったお顔でした。お前の作品がつまらないことなんて知っている。はやく辞めてくれ、きっと心の中でそう言っていたことでしょう。 私はいつも原稿をカフェで読んでもらうんです。というか編集者の方がカフェで待ち合わせの約束を私に取り付けるのですが、いつもの私の原稿なら編集者はコーヒーを何杯も頼み、片手間に読むのですが、この日だけは違いました。例のごとく、編集者の方は着いてすぐにブラックコーヒーをホットで頼みます。一ページ目に目を通しました。それから最後まで、1度として、コーヒーは頼まれませんでした。 これほど嬉しいことは無かったです。目をそらすことなく、ずっと、読んでくださったんです。たとえ万年筆の力だと知ってても、喜ばずにいられませんでした。 「おもしろい」 この一言が欲しくて今まで書き続けましたから。 編集者は、「少し外します」と言って席をたちました。五分ほど熱く、誰かと電話をして私の元へ戻ってくると、 「本社へ行きましょう」 そう言って私達は店を出ました。 本社へ着くやいなや、編集の方は私の原稿をコピーして仕事中の人、休憩中の人、誰彼構わず配り、読めと言いました。どの人もはじめはめんどくさそうでしたが、すぐに原稿に集中し始め、きっかり1時間後、私の元へ来て、口々に言うのです。 「君は天才だ」「とても面白い」 称賛の雨ほど気持ちの良いものは無い、と確信した瞬間でした。即座に、発行が決まりました。本になり、文庫になり、映画になり、ドラマになり、アニメになり、社会現象とまで言われるほど、私の書いた作品は浸透していきました。 こうなると、2作目が気がかりです。これだけの小説を書いた人の書く、2作目は間違いなく期待が高まります。恐ろしかったですよ。世間が、期待してくるのです。何十、何百、いえ何万という人が私に期待しているのですから、生半可なものを出した瞬間に、所詮その程度、偶然の産物かとレッテルを貼られるのです。一発屋、というレッテルを貼られるのです。
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