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日光が赤みを帯び、紫色のグラデーションが空を彩りはじめた。通りには人影が増え、活気が出始める。別に今日は特別な日などではない。毎日この時分になると人々は外に出て、各々世間話に花を咲かせながら、目の端で通りの一方向に注意を向ける。
コツコツコツ。
今日も彼がやって来た。足音と共に、通りに並ぶガス灯の火が順に灯りだす。これを合図に皆は小さく息をつき、話を切り上げてそれぞれの作業を始める。街はまた一段と、夜に向けて活気付く。
コツコツコツ。
ひとりの老人が杖を鳴らしながらゆっくりと歩いて来る。白く長い髭はきれいに整えられ、服装は清潔、糸屑ひとつ付いていない。腰は曲がっているものの、その姿にはどこか威厳が感じられる。彼はガス灯の前で歩みを止めた。柱には、ちょうど彼の顔の高さに小窓がある。彼はそれを開け、中のレバーを回してガスを通し、スイッチをひねる。
チッチッチッ。
ガス灯は軽快にさえずり、程なくして火が灯る。
コツコツコツ。チッチッチッ。
老人は、いつもこの時間になると通りの端から順にガス灯を点けていく。彼は正式に点灯員として雇われている訳ではなかった。それでも、この街灯が設置されてから10年以上もの間ずっと、雨の日も風の日も、一日たりとも休むことなく役目を果たし続けてきた。
この老人は寡黙だった。通りを端から端まで歩く間、彼は誰とも話さない。はじめの頃こそ、住人が彼に話しかけることもあっただろうが、今では幾人かが会釈をするだけだった。会話がなくとも、人々は彼を気に入っていたし、それは老人にも分かっていた。空が赤らみ火が灯るのを合図に、通りは夜を迎え入れる準備に入る。このガス灯が街にリズムを生んでいた。老人はこの作業をはじめた経緯など覚えていなかったが、この役目に誇りを持っていた。
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