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お疲れ様を言いたくて2(トレヴァー×キアラン)
朝食を食べ、関所で騎士団の馬を二頭借り、ついでに宿舎に行き先を書いた手紙を託して七時間。わずかに鼻や頬が赤くなった頃にようやく目的地が見えてきた。
目の前には温泉の湯気が白く立つ、賑やかな町が見える。小さいがあちこちに日帰りの湯屋や、温泉宿がある田舎町。ここから少し山側へ行った所に、別荘地がある。
「温かそう。早く温泉入りたいですね」
「まったくだ」
通常五時間だが、雪の影響で二時間ほど余計にかかった。体が芯から冷えている感じがして、思わずブルッと震えた。
「先に管理所に行って必要な物受け取るぞ」
先に立ったキアランの後をトレヴァーがついていって、二人は別荘地の入口にある大きな管理用ロッジへと立ち寄った。
ここは貸別荘という形で小さめのロッチを貸し出している。とはいえ案外立派なもので、一階は全部がリビングダイニングキッチン。露天風呂付き。リビングから二階へ階段がついていて、そこを上がると主寝室と客間が三部屋だ。
当然暖炉も立派な物があるし、家具なども備え付けである。
見たことのある管理事務所の山男に声をかけると、彼は黒い毛むくじゃらの顔をこちらへと向けて人懐っこい笑みを浮かべた。
「こりゃ、パラモールさん所の坊ちゃん! いやぁ、久しぶりですな」
「お久しぶりです。今日から二日ほど予定しているのですが」
伝えて預かっている鍵を見せると、山男はニコニコしながら頷いた。
「はいはい、確かに。もし良ければ、もっと町に近い別荘貸しましょうか? パラモールさんの借りてるところは奥だから、何かと行き来が大変でしょうし」
「いいのか?」
「かまいやしませんよ! なんせ毎年のように年契約をしてくれるお得意様ですし、今は空いておりますから。じゃあ、新しい鍵をお渡ししますね」
キアランが出した鍵はそのまま返され、山男は新しい鍵を渡してくれる。それはこの管理事務所の二つ隣の場所で、ここからでも見える位置にあった。
「作りは同じでさぁ」
「助かります」
「なんの! あと、薪はいつもの所に束で置いてあるんで運んでくだせぇ」
言いながらも山男は真新しいシーツをいくつかと、ランプや毛布といった一式を取り出して置いた。結構な荷物だ。
「それじゃ、なんかあったら呼んでくだせぇ」
荷物は当然のようにトレヴァーが持ってくれて、二人は連れだってロッチへと向かった。
ここは母ハリエットが気に入っている貸別荘だ。彼女曰く、「管理がちゃんとされていて清潔で安心」とのことだ。
それはキアランも太鼓判で、今借りたばかりのロッチだというのに中はほこり臭いなんて事はなく、とても清潔にされていた。
「綺麗ですね!」
「管理人がマメなんだよ」
暖炉には灰も落ちていないし、家具には覆いが掛けられて埃がつかないようになっている。キッチンはちゃんと掃除がされている。基本食器や調理器具は必要があれば管理事務所で借りる形になるので、そもそも置かれていない。
二階に上がり主寝室を開けると、大きめのベッドがドンと置いてあるばかりで、他には申し訳程度のクローゼットがあるばかりだ。
ベッドカバーをどけてシーツや布団、枕の類を整えても埃っぽくはないし、シーツもビシッとしている。本当に完璧な人だ。
「寝心地良さそうですね」
「あぁ。とりあえず薪を持ってきて暖を取ろう。部屋を暖めてから、町に出て温泉巡りをしないか?」
「それと、夕飯ですね」
「あぁ、そうだな」
自炊などする気がない。部屋を暖めたら町に行く予定でいる。
トレヴァーが一晩分の薪を運び込み、暖炉に火を入れる。暖かな木の温もりが伝わる室内に、炎の赤さがより染みてぬくもる感じがした。
「キア先輩、どうぞ」
「ん?」
ふわりと肩に掛けられた毛布の暖かさ。その隣に同じように毛布にくるまったトレヴァーが座る。なんだかとてもご機嫌なこいつが、肩にコツンと頭を乗せた。
「おい、動きづらいぞ」
「いいじゃないですか。甘えたいんです」
そう言われると、悪い気はしない。でも素直に喜ぶのは恥ずかしいから、目を逸らして「……なら、許す」とぶっきらぼうに言った。
二人で爆ぜる木をぼんやりと見ている。特に会話もいらない、だが穏やかな時間。まるで眠ってしまいそうな時間に、キアランは緩く笑みを浮かべていた。
「気持ちいいですね」
「そう、だな」
「キア先輩」
「なんだ?」
「ご心配、おかけしました」
大きな体が腕ごと抱きついてくる。心なしか頼りない体を、キアランは黙って受け止めている。
「俺、けっこうしんどかったみたいです」
「だろうな」
「……体の方は、辛いって程じゃなかったんだと思うんです。ただ気持ちが、勝手に自分で追い込んでいて」
ぽつぽつと話す言葉に耳を傾けて、キアランは頷く。余裕のないトレヴァーを、初めて見たように思う数週間だった。
「ウルバス様の期待に応えたいという気持ちが強かったんです。それに先輩達も、笑いながら応援してくれて。俺みたいな若輩が先輩達を飛び越えていきそうなのに、誰も妬んだりしないんですよ」
「それが逆に、プレッシャーになったか?」
「…………っす」
素直に認めて頷いたトレヴァーが、ギュッと抱きしめる腕に力を入れる。相変わらず力加減を間違えているが、今日だけは許してやる事にした。
「こんなに皆応援してくれるのに、出来ないじゃすまないって思ったら……色々悩んじゃって。そこで悩む自分もなんか、情けなくて。出来なかったらとか、引き継いだはいいけれど実力不足だったらとか。戦で負けてしまったらとか。色々考えているうちに頭の中真っ白になってしまったんです」
「考えすぎだな。もう少し進むと記憶が途切れ始めるぞ」
「え!」
「経験者は語るだ。ついでにそこで胃が痛くなったり酒が多くなったり、食べられなくなるとドクターストップがかかる」
「……経験者ですか?」
「胃に穴が開いて入院した奴の言葉だ。重いぞ」
「もう、止めて下さいよ」
とても痛い顔をして心配するトレヴァーに、キアランは笑って手を伸ばす。焦げ茶色の髪を撫でると、くすぐったそうに片眉を下げるこいつが、なんだか可愛いと思えるのだ。
「もうない。今年の健康診断は全部パスした。それに、今年は胃痛で入院する事もなかった」
「本当ですか! よかった……。って、元の状態がダメすぎますよ」
喜んだのに、次には小言だ。だがこれも心配故と分かっていると悪い気はしない。
「……誰もが、そういう恐れを抱いている。多かれ少なかれ」
「ですよね。俺、初めてランバートの根性というか、精神力の強さを感じました」
「団長なんてものをやれる人間は、大抵心臓に剛毛が生えていると俺は思っている。ランバートも同じ類だ。先輩も師団長も飛び越えて補佐などやれる奴の心臓の強さなど俺には想像できない」
「剛毛って……まぁ、今なら分からないではないです」
苦笑したトレヴァーが、次には溜息をついて瞳を閉じる。預けきった体を受け止めたまま、キアランは思っていたことを口にした。
「俺は、お前の相談相手にならなかったか?」
これが、ずっとモヤモヤしていた部分だった。
実践的な悩みなどは相談に乗れない。だが、話を聞くくらいの事は出来た。大きな戦もない一年で、キアランにも多少心の余裕があったのだから。
それとなく出していたサインに、トレヴァーは気づいていないのか、それとも無視していたのか。それは判断がつかなかったが、ずっとモヤモヤしていた。
トレヴァーはしばらく言葉がなかった。ただ、雰囲気は変わったのだ。
「なんか、かっこつけたかったんです」
「はぁ?」
「普段俺、キア先輩に休んでとか、彼氏面してたから。こんな時、頼れなかったというか。かっこ悪くて言えなかったというか……」
「おま…………そんな事でこれか」
疲れたように溜息をついたキアランはがっくりと肩を落とす。そして次には、小さな声で笑った。
「どうして笑うんです」
「いや、バカだなと思ってな」
「どうせバカですよ」
笑いは少しずつ大きくなってくる。特に、隣でふて腐れるトレヴァーを見ると余計にだ。
「若いな」
「え?」
「可愛いところがあるんだな、お前。しっかり者に見せて」
恋人にかっこ悪い姿を見せたくなくて頑張っていたのか。そう思うと、今なら許せた。
微笑んで、頭を撫でる。こいつが今はとても可愛く見える。久しぶりに年上の威厳を取り戻した気分だ。
「お前が普通だ、安心しろ。突然降りかかった事だ、戸惑いも悩みもあっていい。無理に頑張らなくていいんだよ。誰も最初から、ウルバスのような完璧さなど求めない。今は先輩の胸を借りて、泥臭く頑張れ」
「……はい」
力が抜けたようなトレヴァーが甘えて体重を乗せてくる。流石にこれを支えきれる筋力はキアランにはない。当然のように床に倒れたキアランの上に陣取ったトレヴァーが、熱を伝えるようなキスをした。
「んぅっ」
口腔を確かめるようなキスはくすぐったく疼く。その疼きが熱になって体の中を走っていく。強すぎない熱はジワジワ響いて、頭の中を浮き上がらせていく。
「キア先輩」
「はぁ……。バカ、これから出るんだろ。流石に何も食べずにはいられないぞ」
窘め、厚い胸板をググッと押すと、トレヴァーは名残惜しそうな顔をしながらもよけてくれた。
起き上がっても心臓がドキドキする。微かな熱が燻っている。もうずっとお預けを食らっているのだから、些細な事で火がつくのだ。
だが、ここで無様を悟られるのはプライドに響く。キアランは自身の変化などおくびにも出さずトレヴァーの下を抜けると背を向け、さっさと出かける準備を始めるのだった。
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