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★ユーイン・ロートン編
始まりは、書庫だった。
人と話すのがあまり得意ではないユーインにとって、静かな書庫は自分だけの世界にいられる特別な時間だった。
勿論仲間達と過ごす時間も好きだ。ジェイソンにスペンサー、親友のコリーに、最近仲良くなったアーリン。皆いい人で、この人達と話すのは嫌いじゃない。
でも、置いて行かれている感じはある。皆、お喋りが早いから上手く乗れなくて、結果あまり話が出来ていない気がする。
話す前に考えてしまうから、口に出るまでに時間がかかる。直そうと思っているけれど、上手くいかないのだ。
それは、何でもない安息日の午後。昼食を終えたユーインが書庫に向かうと、いつもユーインの座っている席に知っている人の姿があった。
「リー?」
思わず呟いてしまう。そのくらい、その人物と書庫は結びつかない。
リーは体を動かすのが好きな人だ。趣味は筋トレで、凄く逞しい体をしている。背も高くて、ついでに声も大きいし、顔は男らしくて凜々しくて、性格は明るくて豪快。正直、ユーインの苦手なタイプだった。
そんな人がとても静かに本をめくっている。履き慣れたズボンに白いチュニック姿。けれど雰囲気は普段とまったく違う。とても静かな、知的な瞳だ。
そんな彼がふと顔を上げて、ユーインの方を見た。
「ユーイン?」
「あっ」
「どうした? 本、読みに来たんだろ? そんな所に立ってないで、入ってこいよ」
いつもよりもワントーン落とした静かな声。これがとても心地よく思えた。
読みかけの本を持ってきて、適当な席を探す。リーとは少し距離を置いて。
余所余所しいだろうか。やっぱり、隣とかにいた方がいいだろうか。
気にして、思うように先が進まない。本を読むのがとにかく好きなユーインにとって、こんな事初めてだ。
その時、ふと背中に温もりを感じて顔を上げた。見るとリーが立っていて、背に膝掛けを駆けてくれていた。
「え?」
「寒いだろ? ちっちゃくなってるから」
「あの」
寒いわけではない……けれど、この温かさに気持ちと体が解れていく。肩にかかったそれを片手で引き寄せると、より温かく感じた。
「あり、がとうございます」
「おう」
ニッと嬉しそうに笑うリーの笑顔が優しく映って、ちょっとドキドキする。いつもと変わらないはずなのに。
「ユーインは何を読んでるんだ?」
「あの、歴史の、本、です」
建国記は、何度でも読みたくなる。もう一巡してるけれど、また読みたい。
「あぁ、建国記か。これ、凄くいいよな。ピンチを何度もくぐり抜ける、仲間達の強さとか読んでてワクワクする」
それを聞いて、ユーインの目は輝いた。本当にそうだと思うのだ。
「うん! そうだよね! 騎士は戦うばかりじゃないって思う! 知将だってかっこよくて! それを支える人達も魅力的で!」
興奮気味にまくし立てると、リーはとても驚いた顔をしている。それを見て、急に恥ずかしく思えて小さくなって俯いた。
その頭に、温かくて大きな手が置かれて、とても優しく撫でられた。
「分かるぜ、その気持ち。俺も、武力ばかりが騎士じゃないっていう所が好きだ」
「!」
大きな手は怖い。大きな人が怖い。大きな声が怖い。
けれど、リーのこの手はとても温かくて優しくて……なんだかドキドキする。
二人はこうして何度も、書庫で出会った。話を少しずつして、好きなものを語って、笑って。その時間がとても嬉しくてたまらない。
いつしか書庫に行く理由が本を読む事から、リーに会いに行く事に変わっていくくらい、ユーインはリーの事が好きになっていた。
なのに、二ヶ月前。二人で話をしているとき、不意にリーが手を伸ばしてきた。怖いんじゃなくて、恥ずかしくなって目を強く瞑って身を固くした。リーの目が真剣で、優しくて、どうしようもなく惹きつけられてしまっていたから。
「あっ、ごめん」
「え? あ……」
落ちてきていた前髪に触れそうだった手が、引っ込んだ。途端に、寂しくてたまらなくて、泣きたい気持ちになっていた。
「あぁ、癖だな。悪い、触られるの苦手か?」
「あ、の……」
嫌いだけれど、リーは嫌いじゃない。怖くない。もっと、触って欲しいと思う。
思うのに、口に出ない。頭の中で必死に組み立てている間に、言い出せる感じじゃなくなってしまった。
それから、リーとは話すけれど、触れてくれなくなった。それがとても、悲しくて寂しくて泣きたくなっていった。
女装コンテストの会場。ジェイソン達と楽しそうなコリーを見ながらひっそりとリーを探しているけれど、姿が見えない。確かに舞台の上からは見えたのに。
「あの!」
「!」
不意に背後から声がかかって、振り向くと数人の大きな先輩達がいて、ユーインはビクッとしたまま動けなくなった。
「あの! その姿とても可愛いです! ぜひ、俺の妹に」
「いや、俺の妹に!」
「なに! いや、もうこうなったら俺達の妹になってください!」
「!!」
いっ、妹? どうして?
怖くなって持っていたクマをギュッと抱き寄せて小さくなると、何故かその人達は更に「おぉぉぉ!」という大きな声を出す。
怖い。大きな人は怖い。大きな声も苦手。どうしよう。どうしよう!
大きな青い瞳に涙が浮かびそうになっていると、不意に後ろから抱き寄せられた。最初は怯えたけれど、直ぐに感じた知っている匂いに、胸に安堵が広がっていった。
「すいません、先輩達。ユーインは俺が先約なんで」
「!!」
少し低い声は優しく感じる。後ろから抱き込まれているから顔は見えないけれど。
「リー、ずるいぞ!」
「勘弁してください、先輩達」
「俺達の妹に汚い手で触るな-」
「手は洗ってますし、風呂もちゃんと入ってます」
「ちがーーう!」
「はいはい、大きな声を出すと怖がられますよ」
……気づいて、くれていた?
「ユーイン、少し端の方行こう。疲れただろ」
「あっ、はい」
手を差し伸べてくれる。それだけが、泣きたくなるくらい嬉しい。話が出来たのが、どんな物よりも嬉しい。
手を引かれて、会場の端のほうに行った。そこに座ると、リーが隣に座ってくれて……大きな溜息をついた。
「まったく、ヒヤヒヤする」
「あの、リー?」
「どうしたんだ、ユーイン? 目立つの苦手だろ?」
「あの……はい。ごめん、なさ、い」
怒ってる? 呆れてる? それが悲しい。考えなしで、迷惑かけて、ごめんなさい。
俯いてしまう頭に、ふわりと温かくて大きな手が置かれた。
「怒ってないからな」
「あ……」
「それで? どこに行きたかったんだ?」
「え?」
「え? コンテスト出るくらい、行きたい場所があるんだろ?」
あった。仲直りがしたかった。食事でも、室内楽でも、オペラでも。他のものでもなんでもいい。仲直りができる、その切っ掛けと場所が欲しかっただけ。
「あの、どこ、でも」
「ん?」
「どこでも、よくて。リーと、お話がした、くて。仲直り、したく、て」
伝えたら、リーの顔が赤くなる。それを隠すみたいに片手で口元を隠してしまう。耳まで赤い。
「かわ、いい」
「え!」
「あ! ごめんなさい!」
「あっ、ちが! 怒ったんじゃなくて、驚いたというか…………参ったな」
なんだか、照れくさい。嬉しくて、ふわふわして、くすぐったくてムズムズして、恥ずかしくて目が見られない。
「ったく、らしくないな」
「え?」
「あー、それなら今度……今度俺が誘うから」
「え?」
「ランチ、しないか? 他にも行きたい所があれば、行かないか?」
「! は…………はい!」
コンテストはきっとダメだけれど、ユーインのお願いは叶った。そんな、くすぐったくて甘い夜でした。
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