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ゆったり温泉物語
新年一日。
朝早くに宿舎を出たシウスとラウルはラフな格好で温泉地を目指した。荷物も殆ど持たずの旅はとても気楽で、ラウルはウキウキとシウスの隣に並んでいた。
「随分楽しそうだなえ、ラウル」
「そういうシウスだって、とても楽しそうですよ」
逆に指摘すると、シウスはにっこりと微笑んだ。
「当然ぞ。其方とこうして旅行というのは久しく無かったからの。心も浮き立つというものじゃ」
そんな風に素直にされると……少し恥ずかしいというか、目を見られない。心臓がドキドキしてしまうのだ。
「なんじゃ、今更恥ずかしがって」
「だって、普段あまり素直に言わないじゃないですか」
「ふふっ、私は素直が苦手故な。だが、其方の前では割と素直なほうぞ」
ニッと悪戯っぽく笑う人を照れたまま睨むと、大いに笑われる。夫婦になって、ちょっとずつ距離が近くなって、そうしたらお互い繕わなくなってきた。
それがなんだかムズムズして……同時に、嬉しかったりするのだ。
以前ランバートとファウストも桜の季節に来たことがあるという温泉地は、今は新年の祝いで朝から賑わっている。店先にはその店自慢の品が並び、温かな飲み物が配られている。
馬屋に馬を預けたラウルとシウスは連れだって、メインストリートを歩いた。
「凄い、賑やかだ」
「よいな。丁度朝も軽くしか食べていない。昼には少し早いが、たまには食い歩きでもしようか」
ご機嫌なシウスが店先を覗き、美味しそうなパンの前で足を止める。ラウルもその隣に並ぶと、可愛らしい動物の形をしたジャムのパンが並んでいた。
「いらっしゃい。お一ついかがですか? 温かいミルクもありますよ」
茶色の髪をお下げにした少女がにっこり笑ってお勧めしてくれる。ウサギにネコ、クマもある。中身は苺ジャム、マーマレード、クリームらしい。
「可愛いですね。それに美味しそうです」
「うむ……だが……」
「だが?」
「……食うのが可哀想になってしまう」
本気の顔でそんな事を言うシウスに少女もちょっと驚いて、その後で笑った。
「お兄さん、とても優しいのね」
「シウス、これパンだよ」
「分かっておるは! うっ、恥ずかしい……」
顔を赤くするシウスに、ラウルは笑って頷く。そしてお店の中を指した。
「それなら、お店の中を見ようよ。中のパンも美味しそうだよ」
「新鮮野菜と自家製燻製ハムのサンドイッチがおすすめです」
「お姉さん、商売上手。でも美味しそうだね」
シウスの腕を引き、ラウルは店の中へ。そこで少女の勧めてくれたサンドイッチと、普通の丸いジャムパンを買った。サービスにホットミルクもついて、二人はそのまま教えてもらった公園の方へと足を向けた。
公園には小さな露天がいくつも出ていて、新年のバザールが開かれていた。
その一角にあるベンチに腰を下ろし、パンを食べる。シャキシャキのレタスとトマト、塩味のきいた燻製ハムがとてもいいバランスで美味しい。
隣ではシウスが美味しそうにジャムパンを食べていた。
「美味しいですね」
「うむ。このジャムは本当に美味い。ちゃんと生の苺から作られておる」
「ジャムってそんなに保つんですか?」
問うと、シウスは頷いた。
「砂糖を多めに入れると日持ちがするが……これは少し違うような」
「温泉の地熱を使った栽培が盛んなんだよ」
不意に声を掛けられて見上げると、果物の飴を売り歩いている老人がにっこりと笑っていた。
「ここいらは保養地で、温泉地。土の温度も他より高い。それを利用して、土が凍らないようにしておる。その苺のジャムも、そうして作られているはずじゃ」
「ほぉ、それは知らなんだ」
満足そうに食べるシウスを、老人も楽しそうに見ている。ラウルは自分のサンドイッチを食べ終え、あんまり美味しそうにシウスが食べるものだから苺が欲しくなって老人の売る苺の飴を一つ買った。
軽くお腹に入れたラウル達は公園を少し歩いて露天を覗いてみた。食べ物が多いが、中には布小物を扱っている店もある。流石に愛らしすぎて買えないが、こういう物を見ているのは好きだ。
露天を離れると次には何やら面白い場所に出た。
用意された広い場所には沢山の雪だるまが置かれている。結構しっかりした雪だるまは色んな姿をしていた。
「雪だるまコンクール会場?」
「見よラウル、アレはコックではないかえ?」
「え?」
シウスが指さす方を見ると、確かに白い前掛けとコック帽をつけた雪だるまが真剣な顔をしている。
「あっちは、カフェ店員ですね」
「うむ。茶色フリル付きの前掛けに可愛らしいカチューシャじゃ」
「あっちは……美容師?」
「あのハサミ、木で作ってあるのかえ。ようできておる」
吸い込まれるように通りへ。小さな木製の鍬を持つ雪だるまはわざと頬に土をつけていたし、ケーキ屋の雪だるまは玩具のケーキを持っていた。
「面白い催し物じゃ。ふふっ、良いの」
「はい」
にっこり笑って最後の雪だるまを見たシウスとラウルは、思わず立ち止まった。
そこにあったのは、黒いマントをつけ木製の剣を携えた、凜々しい騎士の雪だるまだった。その前では子供達が楽しそうにしていて、「かっこいいね」と言っている。
なんだか、気持ちが温かい。剣を持つような仕事は怖いというイメージがつきやすい。少しでも民の心が離れたら一気に転がる。
隣を見るとシウスが、とても嬉しそうに頬を染めていた。
ギュッと手を握る。それに、シウスも握り返してくれる。そうして二人、凜々しい雪だるまに騎士の礼として左胸に拳を置いて一礼した。
雪だるまの近くでは、まだ幼い子供達が募金の箱を持っている。近くにはシスターもいて、恵まれない子供達への寄付を募っていた。
よくよく見ればこの雪だるまの大半が、孤児院のチャリティーのようなものだった。
シウスは何も言わずに子供達の側へと行き、募金箱に少し多めのお金を入れる。驚くシスターや子供達に笑いかけたシウスが、ふわりと箱を持つ子供の頭を撫でた。
「楽しませてもらった。よい新年になるようにの」
「はい!」
ラウルの胸の奥も、ギュッとなる。自分が孤児だったから、分かるんだ。あのお金がいかに大事か。あれだけあればどれほどの子がお腹をいっぱいに出来るか。痛んだ床を踏み抜いて怪我をしたりしない。新しい服を買ってもらえるかもしれない。
こちらへと近づいてきたシウスが驚いて、軽く走るように側に来る。そして大事そうに頭を撫でてくれた。
「どうしたラウル? なんぞ、辛いのかえ?」
「いえ……違うんです、シウス。胸が一杯で……嬉しくて、僕……」
ラウルは知っている。シウスはラウルと結婚してから、王都内の貧しい孤児院に毎月少しと言って、匿名で寄付をしている。団長とは言っても給料はそれほど多くはない。贅沢はできないのに、してくれるのだ。
「僕、幸せです。シウスみたいな優しい人と一緒で、幸せです」
「うっ、うむ……少し、照れくさいの」
潤んだ目元を拭って、ラウルは満面の笑みを浮かべた。
町を楽しみ、宿に入ったのは丁度お茶の時間辺り。新年は温泉旅行などが人気で宿が取りにくいのだが、その中で案内されたのは離れの中でも奥まった、静かな場所にあった。
入って直ぐは玄関で、その脇にはウォークインクローゼット。リビングは広く開放的で、食卓用のテーブルにソファー、ラグも足に柔らかい。リビングの開放的な窓の外は個室温泉があり、贅沢に掛け流しだ。勿論フェンスも自然素材で作られていて、閉鎖的ではないがプライベートは確保されている。寝室はキングサイズ。室内風呂も完備されている。
「随分良い部屋が残っておるものだなえ」
「こちらは一定額以上の融資を頂いております方限定のお部屋でございますから」
二人の荷物を運んでくれたボーイがにっこりと笑う。彼に食事の時間を伝えると、後は二人の時間になった。
改めて室内を見回し、ソファーにも座る。ふっくら体を包み込んでくれるのに、スプリングもあるので意外と支えてくれる。
シウスはそれとは違う籐の寝椅子に腰を下ろし、そこにある膝掛けを駆けて楽しんでいた。
「よいの」
「部屋に一つ買いますか?」
「……いや、ここで寝てそのままになりそうじゃ。流石にそれは体が痛くなりそうじゃからの」
大いにあり得る。シウスはよく自室でうたた寝をする。仕事中はないが、部屋に戻ると気が抜けるらしい。本を読んでいる最中に寝てしまい、ラウルが戻って起こさないと起きない事も多い。ソファー、ラグの上など、とにかく場所を選ばないのだ。
「それに」
「?」
ニコッと笑うシウスがラウルを手招く。首を傾げながら近づくと、ギュッと首に腕を絡めて抱きしめてきて、思わず彼の上に乗っかってしまう。体温と匂いがふわりと感じられて、ちょっとドキドキした。
「これでは其方と二人で抱き合うと、軋んでしまう。故に、いらぬよ」
とても幸せそうにそんな事を言われると困る。心臓が五月蠅くて、伝わってしまう。
赤い顔をしたラウルをシウスが下から見上げ、愛しげに唇を重ねてくる。触れる熱が、とても愛しくてたまらない。
「んっ……ふ……っ。シウス、これ以上は!」
「ん?」
舌を差し入れ絡めるシウスに腰骨の辺りが重くなってしまう。気持ち良くてたまらなくて、抗えなくなってしまう。だからこそラウルはシウスの胸を押して体を離した。
「良くなかったかえ?」
「いえ! その……良すぎて、これ以上我慢出来なくなってはこまると」
「ふふっ、そうさの。後二時間もしたら食事が運ばれてくる。今してしまったらそのまま寝てしまうかもしれぬしな」
「はい」
それに、今日はちょっと特別なんだから。
シウスが寝椅子から起き上がり、立ち上がる。ラウルの肩に手をかけて優しくソファーへと誘導していく。そうして隣り合って座って、こてんとラウルの肩に頭を乗せた。
「昨年も色々とあったな」
「本当に。ゼロスの失踪やら、クラウル様の襲撃やら」
「我らが騎士団は新年は厄日かえ? 日頃の行いの悪い者が多すぎやせぬか? こう毎年新年明けに事件が起る」
「すみません」
「……其方が今いてくれるなら、もうそれで良い。ただ、もうどこにも行ってくれるな。其方が居ぬと私は駄目になる」
新年早々の事件というなら、ラウルも巻き込まれている。それが切っ掛けで結婚もしたのだが……アレは未だに凹む出来事だった。
小さく笑い、ラウルはシウスの白い髪を撫でた。
「今年はきっと、大丈夫ですよ」
「……うむ、そうじゃの」
二人ともに身を預け合って、少しずつ降り始めた雪を見上げて。この何でもない時間の幸せを噛みしめながら、ラウルは穏やかに微笑んでいた。
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