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シュトライザー別邸を後にして、向かったのはそれほど離れていないヒッテルスバッハ家。新年の実家は騒がしい記憶しかないが、今日はひっそりとしている。
出迎えてくれた執事に通され、談話室へ。そこにはゆったりとした父が紅茶を飲んでいた。
「あぁ、来たね」
「ジョシュア様、ご無沙汰しております」
「あぁ。相変わらず騎士団は忙しそうだね」
苦笑するジョシュアに、持ってきた土産を渡すファウストも同じく苦笑した。
「まぁ、今日くらいはいいさ。ランバート、お前も座ったらどうだい?」
「あぁ。兄上達は?」
「アレクシスは奥方の家。ハムレットは別荘に引きこもってるよ」
「そうか」
まぁ、ハムレットに関しては予想通りだろう。アレクシスも新婚だから、気を遣うのだろう。
それにしても、なんだか落ち着かない。例年ならここも騒がしいものだ。
辺りを見回すランバートに、ジョシュアは面白そうにクツクツと笑った。
「落ち着かないだろ」
「まぁ」
「私も落ち着かない。例年なら客人の相手で大わらわだ」
「お時間を頂き、有り難うございます」
笑うジョシュアにファウストが申し訳なさそうに言うと、穏やかな笑みが返ってきた。
「息子の婚儀だ、ちゃんとするのが親の務めだよ」
紅茶を一口飲み込むジョシュアの表情は、ほんの少し寂しげにも見えた。
「母上は?」
「今夜の準備。張り切ってるよ」
「他に任せてもいいのに」
「お前の事を一番気に掛けているからね、自分でしたいのさ」
そういうものなのか。……いや、そういうものなんだろう。思えば全てが母の一言から始まったのだ。
「母上は、喜んでくれるかな?」
「十分過ぎるだろうな。綺麗な義息子を得ただろ?」
悪戯っぽい視線がファウストを見る。ジョシュアの視線に、ファウストの方はタジタジだ。
「ランバート」
「なに?」
「幸せになりなさい」
「っ! うん」
毒のない穏やかな視線を向けてくれるジョシュアに、ランバートはほんの少し泣きそうだった。
その夜、アーサーとアリアを迎えたヒッテルスバッハ家は静かだが華やかだった。母が選んだ花がエントランスを飾り、使用人は下げて家族と執事だけで出迎える。
そうして招かれたアーサーは、緊張しつつも静かな様子であった。
「ようこそお越しくださいました、アーサー様、アリアちゃん」
ランバートが声をかけ、従者がコートを預かる。そうして進み出る二人を迎える両親は、なんだか色々と複雑そうだった。得に母は。
「お招き頂き、有り難うございます。アリアと申します、よろしくお願いします」
スカートの裾を持ち上げ挨拶をしたアリアに、シルヴィアが一歩前に出る。そして彼女が顔を上げるよりも前にギュッと抱きしめていた。
「あの」
「ごめんなさい…………本当に、お母さんそっくりで美人だわ」
突然の事に目を丸くしたアリアだが、シルヴィアの苦しげな声に力を抜いて、戸惑いながらも背に手を置いた。それに、シルヴィアは一層強く彼女を抱きしめていた。
「貴方のお母さんとは、親友だったのよ? ごめんなさいね、見ていたらなんだか……」
「父から聞いています、母がとてもお世話になったって」
「とてもいい子だったのよ。明るくて素直で真っ直ぐで。なんだか、若い頃の彼女が戻ってきたみたいで……嫌ね、おばさんみたいな事言ってるわ」
「そんな! シルヴィア様はとてもお若くていらっしゃいます」
泣き笑いのようなシルヴィアに、アリアが慌ててそう返す。それに、シルヴィアは小さく笑って体を離し、指でさりげなく目尻を拭った。
「貴方のお母さんと同じ歳だもの、おばさんよ。でも……そうね、貴方にも綺麗になる方法を教えてあげましょうね。お化粧の方法とか」
薄付きの化粧をしているのだろうアリアの顔を見て、シルヴィアが笑う。そしてアーサーへも視線を向けた。
「女の磨き方は殿方には理解しがたいものね」
「でも、私はあまりそういうのが得意ではなくて」
「だからこそ学ぶのよ。私は、最高の先生になれるわよ」
ウィンク一つ。それにアリアの頬が僅かに赤くなったような気がした。
「こらシルヴィア、主役を放っておく奴があるかい? 今日はこちらだよ」
「あら、ごめんなさい。私ったら、失礼をしてしまったわ」
苦笑するジョシュアが前に出て、アーサーを迎える。言葉はないがしっかりと握手をする二人を見るに、ここも雪解けは進んでいるようだ。
それぞれがエスコートをして、こぢんまりとした食堂へ。テーブルを挟んでヒッテルスバッハ家、シュトライザー家で座る。それぞれに食前酒が配られ、アリアにはワイン作りに使われる葡萄を使ったジュースが振る舞われた。
「本日は新年のお忙しい中、お越しいただき感謝する」
「いや、こちらこそこのような場をセッティングしていただき感謝する。本来ならこちらが用意すべきところだ」
「構わないさ、アーサー。あちらには生まれて間もない子もいる。忙しいだろうし、ルカくん夫婦も落ち着かないだろう」
硬いながらも申し訳なさそうに言うアーサーに、ジョシュアが軽く笑う。通常ならこうした席は旦那側が用意するのだが……この場合、どちらが旦那か分からないしな。
「アリアも、よくきてくれた。体の具合は大丈夫かい?」
「はい。ハムレット先生の治療もあって、以前よりもずっと健康になっております」
「それはよかった。あれは使ってくれていいから、体を大事にね」
「そんな、使うだなんて! とても良くして頂いています」
慌てたアリアがそう返し、ジョシュアが軽く笑う。そしてそのまま、ファウストへと視線を向けた。
「ファウスト、まずはお祝いと感謝を。うちの息子を選んでくれて、有り難う。お陰ですっかり真人間だ」
「こちらこそ、ランバートとの仲を許していただき、更にはこのような席を用意していただきまして、感謝いたします。有り難うございます、ジョシュア様、シルヴィア様」
「まさかマリアの息子を選ぶなんて、ウチの子の目は確かだったわね。私も歓迎するわ、ファウスト」
ニコニコと機嫌良さそうに笑うシルヴィアとジョシュア。その前に、アーサーは改まった様子で袋を一つ差し出した。
「この場合、持参金はこちらが渡すのが良いだろうと判断した。僅かだが、納めてもらいたい」
「いらないよ、アーサー。政略結婚ではないんだ」
「だが……」
アーサーはそれでも何かをと思っているのだろう。それに、出した物を簡単に引っ込める事もできない。が、ジョシュアも受け取るつもりはない様子。どうしたものかと思ったが、そこはジョシュアが早かった。
「では、これにこちらも上乗せして、二人に贈ると言う事でどうだろうか?」
「ん?」
「二人とも、実家に頼ってくれなくてね。自分たちで出し合うといって聞かないんだ」
「あぁ、そういえばそうだな」
「いくら基本的な生活は保障されていても、持ち出しが多いのは当然だ。ならばこのお金は若い二人へのお祝いとして贈り、今後の事に役立ててもらうのが有意義ではないかな?」
そう言うと、ジョシュアも一つ袋を前に出す。一応は用意していたのだろう。大きさも同じくらいだ。
「なんだ、お前も用意していたのか」
「一応はね。この場合、どちらが上も下もない。お前が出してきたらこういうことにしようと思っていたさ」
「そういうことなら事前に連絡をしろ」
すっかりいつも通りのアーサーとジョシュア。そしてそれぞれが用意した袋はそのまま、ランバートとファウストの前に置かれた。
「「……え」」
「ということで、お祝いだ。有意義に自分たちの為に使いなさい」
「お前もだぞ、ファウスト。ランバートの為に使いなさい」
置かれた袋を互いに手に取れずに真顔で顔を見合わせた。だって、この袋の中が全部金貨とするならば、どれだけだ。おそらくこれだけで百フェリス(約100万)はあるだろう。この大金をどうしろと。
だが、受け取らないわけにもいかない視線。手に持った瞬間の重さはなかなかだ。
改めて、実家の金銭感覚のズレを感じた瞬間だった。
程なくして最初の料理が運ばれてきて、食事会となった。そうなると雰囲気ももう少し砕けてくる。ジョシュアは上機嫌でワインを飲んでいるし、アーサーもそれなりだ。
「なぁ、アーサー。息子達もこんな感じだ、私たちも旧交を温めないかい?」
ワイン片手にそんな事を言うジョシュアに、アーサーは僅かに視線を上げた。
「老い先短いジジイが二人集まって何をしようというんだ」
「まだ先が短いと決まったわけじゃありません。失礼だな、相変わらず」
「ふん」
「まぁ、なんだ。たまに話をしようという誘いさ。懐かしい話もあるだろ?」
「お前は暇じゃないだろ」
「お互い様だろ?」
珍しく食い下がるジョシュアに、アーサーは溜息をつく。が、顔を見れば分かる。嫌なんじゃなくて、素直になれないだけなんだと。
「まぁ、たまにならな」
「あぁ。アリアちゃんもおいで、昔話をしてあげよう」
「あっ、はい! 是非!」
「アリア、こいつの話は聞かなくていい! ろくな事はないぞ」
「おや? 黒歴史が娘に知れるのは恥ずかしいのかな?」
「当たり前だ! お前だって散々な事をしていたのを息子に言えるのか!」
「えー、どうかな? ランバート、知りたい?」
「胃が痛くなりそうなので結構です」
「だってー」
楽しそうだ、父上。
上機嫌な父と、知っているよりも言葉数の多いアーサー。それを、ファウストも感じている。「静かな食事会になりそうだ」なんて話していたのに今ここは、とても沢山の笑い声に溢れている。
正面のファウストと目が合って、互いに笑った。
なんて幸せな新年なのだろうね?
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