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新年も明けてしばらく。今年はトラブルもなく平和に過ごしている。懸念事項はあるが、今のところは動く気配がない。
それをいいことに、クラウルは早朝の厨房にいる。
「さて……」
チーズリゾットと、トマトのスープ。現在クラウルが作ろうとしている明日の朝食メニューだったりする。それというのも、ゼロスの好物らしいのだ。
純粋に、ゼロスを驚かせたかったのと、喜ばせたかったのと。前に料理を作った時は喜んでくれた。だからまた……彼の嬉しそうな顔を自分の手で作りたいと思った。
とりあえずリゾットは早く作りすぎると美味しくなくなる。まずはスープからだ。
タマネギ、セロリ、人参を大きめにカットする。タマネギは皮も使うとのこと。
骨付き肉は血合などを綺麗に取り除き、旨みが出やすいように骨が出るようにする。今回はスペアリブを使う事にした。
これらをコトコト数時間、灰汁を取りながらひたすら煮込む事でブイヨンが出来る。
沸騰前に火を弱めて、後は濁らないように。徐々にいい匂いもしてきた。その間にトマトを湯むきして適当にカット。タマネギを切り、ベーコンもカットしておいた。
そうして数時間を本を読んだりして過ごしていると、不意に戸口で音がして、クラウルはそちらへと視線を向けた。
「あ、ブイヨンのいい匂い」
「スコルピオ?」
「クラウル様!」
白いエプロンを手にしたスコルピオが驚いた顔をしてクラウルを見る。まぁ、当然と言えば当然だが。
「下ごしらえか?」
「えぇ、まぁ。ってか、料理してるんですか!」
クラウルの手元の鍋を見て驚くスコルピオに、クラウルは苦笑して頷く。少し、恥ずかしくなってしまった。
「……もしかして、ゼロスを怒らせたとか?」
「いや。ただ、アイツの驚く顔と喜ぶ顔が見たくなった」
本当に純粋に、それなんだ。
マジマジとクラウルを見たスコルピオが、小さく笑う。そして保冷庫から今日の仕込み分だろう大量の野菜を持ち出すと、椅子に座って黙々と皮をむき始めた。
「クラウル様、変わりましたよね」
「ん?」
「俺がいた時代は、話しかけるのも怖いくらいの時があって。正直、近寄りがたかったです」
懐かしそうにしながらもスコルピオの手は止まらない。実に器用に皮を剥いていく。その早さはさすが元暗府といったかんじだ。
「お前とネイサンとが両脇を固めてくれていて、俺としてはやりやすかったが」
「……リタイアして、すいません」
申し訳ないと、スコルピオは今でもそう思っているのか声が沈む。そんな事を気に病む事はないし、むしろクラウルの方が申し訳ない。部下を、守ってやれなかった。
「俺こそ、悪かった」
「そういうとこ、変わりましたよ。丸くなりました」
「弱くなっただろうか?」
「貴方が? まさか。未だに戦場の魔王様じゃないですか。幸せを知ったんだろうなって、思ったんですよ」
苦笑するクラウルに、スコルピオも苦笑する。そしてふと、手を止めた。
「俺としては、良かったなって思ってますよ」
「ん?」
「クラウル様も、ウチの兄も、大事な物を見つけたんだなって。そうじゃなきゃ二人とも、いつも目が鋭いままじゃないかって、思ってたんで」
「お前は、知ってたのか? 大事なもの」
切っ掛けは任務中の負傷だった。それによって多少、手に痺れが残った。だがスコルピオはもっと前から何かを迷っている様子だった。躊躇うと、いうか。
野菜の皮むきを続けながら、ふとスコルピオは苦笑する。その手は僅かに止まった。
「……飯が、安全で美味い事ですかね」
「え?」
「俺、ここに来る前は領主の毒味してたんで」
「あぁ……」
そういえば、そうだった。
ネイサンとスコルピオは領主家を支える小貴族の出身で、今はもう兄弟二人だけだ。領主家に仕えていた両親はネイサンに番犬としての教育を、そしてスコルピオには毒味をさせていた。
恨みを買うことの多かった人だったらしい。スコルピオは何度も毒に当り生死の境を彷徨ったと聞いている。これに疲れて、二人は成人すると家を出てきたそうだ。
「怯えずに飯が食えるのは、幸せです」
「そうだな」
「俺がここにいる限り、毒の心配なんてさせません。これが、俺の大事な事。大事にしたいことです」
……かつて暗府の前身、特殊部隊には「毒鳥」と呼ばれた隊員がいた。赤っぽい金髪で目立つ彼はあらゆる毒を食べたらしく、毒は効かない。逆にそれらの知識を使い暗躍していた。
そんな人物が料理府への転属を望んだ時には少し心配もしたのだが……何より食事の大事さを知る人物でもあったのだな。
「何より、俺が作った物を喜んで食べてくれるのは嬉しいですよ。人間、笑顔が一番です」
「そうだな」
目の前でコトコトと煮込むこれを食べているゼロスを想像するだけで、クラウルも笑顔になる。それだけで朝食が待ち遠しかったりする。
「俺は、料理人になれて良かったです、クラウル様」
毒のない笑みを浮かべるスコルピオに、クラウルも穏やかに微笑んで頷いた。
朝、早々と約束していた彼が部屋にきた時の驚いた顔は忘れる事が出来ないものだった。
目を丸くして立ち止まって。朝食を前にするクラウルを呆然と見つめていて。
「おはよう、ゼロス」
「おはよう。あの、この匂い」
「あぁ」
二人で座るテーブルセットに彼を招くと、驚きは更に深まったようだった。
「今日の食堂のメニュー……じゃ、ないよな」
「俺が作ったんだ。一緒に、食べてくれるか?」
「クラウルが? でも、どうして……」
戸惑いながらも素直に座ってくれる。椅子ぐらい引いてやればよかったかとも思うが、おそらくそんなものは必要なかった。
クラウルも正面に座って、まだ温かい料理に手をつけた。
「いただきます」
ゼロスがリゾットを一口。途端、戸惑いは深まったのだろう。目を丸くしてクラウルを見つめていた。
「これ、母さんの……」
「この間行った時にレシピを教えて頂いた」
「あの……なんで?」
「お前の喜ぶ顔が見たかった」
口に広がるチーズとブイヨン、そして黒コショウのアクセント。素朴だが、温かい味がする。
ゼロスは口元を手で隠してジッと皿を見つめている。なんだか予想していたリアクションとは違って、クラウルは苦笑した。
「嫌だったか?」
「ちが! あっ、そうじゃなくて、驚いて……」
弾かれたように顔を上げるゼロスは、次に勢いよく一口リゾットを食べ、スープに手をつける。そしてにっこりと、笑いかけてくれた。
「母の味です。美味しい」
「よかった」
「本当に、俺の好きなものばかりだ」
力の抜けた顔で笑い、食事をするゼロスの目元がほんの少し濡れている気がするが……おそらくこれを確かめたら嫌な顔をするのだろう。案外見栄を張りたい奴だ。
「クラウル」
「ん?」
「俺の為に、有り難う」
「……本当は、俺の手でお前を喜ばせたかっただけなんだ。新年の時に、美味しそうに食べていたから。あの顔を俺がさせたかった。そんな……」
小さな嫉妬だったんだ。
「貴方がしてくれることなら俺は、大抵が嬉しいですけれどね」
「ん?」
「忙しい貴方が俺の為を思ってくれる。それだけで結構、嬉しいですよ」
恥ずかしそうなゼロスが頬をかく。その後にはとても素直な笑顔をくれた。
「今度は俺も一緒に作るから。教えて欲しい、クラウル」
「! あぁ、勿論!」
ほんの少し恥ずかしそうにするゼロスがとても可愛い。そして、一緒に並んで料理を作るのは楽しみになる。
今手を伸ばして抱きしめて、キスをしたいと思う。でも目の前の料理はどんどん冷めてしまう。
これを腹に収めたら、二人でのんびりとした時間を過ごそう。ソファーに隣り合って座って、互いに思い思いにしながらも手を伸ばせば容易に触れられて。それからキスをして、「愛している」と囁いて。
END
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