お疲れ様を言いたくて1(トレヴァー×キアラン)

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 翌朝、朝食後に荷物をまとめて落ち合う事になり、キアランは数着の着替えを鞄に詰め込んだ。実家だし、それで十分だと思っているとノックがあり、出ると何故か大荷物のトレヴァーがいた。 「……その荷物、なんだ?」 「え? だって、六日分の着替え……」 「そんなにいるか! 洗濯でも何でもすればいいだろ!」 「え!!」  こいつ、洗濯する気がなかったのか。  部屋に引っ張り込み、荷物を少し減らして出発し、下町で手土産を買ってキアランの実家へ向かった。  今日は急だったので手紙も何も書いていない。だが、誰かしらいるだろうと実家のドアを叩くと、意外な事に母ハリエットが出迎えて、眼鏡の奥の目をまん丸くした。 「キアラン! あんたどうしたの? もしかして、暇出された?」 「そんなわけあるか!」  出会い頭になんてことを言うんだこの人は。しかも自分の息子に向かってだ。 「あら、トレヴァーくんもいらっしゃい!」 「ご無沙汰しています、ハリエットさん」 「うんうん、今日もいい体してるわね。疲れてるから余計に涎が……」 「え?」 「ううん、こっちの話!」  誤魔化すように明るい声で言ったが、キアランにはバッチリ聞こえている。本当にどうしようもない母を持ったと、溜息が漏れるばかりだ。 「あの、こちらよかったらどうぞ」 「あらあら、いつも悪いわね。……って! これ、下町にあるビルさんとこの焼き鳥とチキンレッグ! トレヴァーくん、分かってるわね!」 「いや、はははっ」  ハリエットが目を輝かせて大はしゃぎをしている。それだけこの人はあの店の焼き鳥が大好物なのだ。ビールに良く合うという。 「母さん、とりあえず入りたいんだが」 「あぁ、はいはい。それにしても荷物ね。もしかして、帰ったの?」 「働き者に少しばかりの長期休暇がもらえたんだ。トレヴァーも泊めたいんだが」 「いいわよ、部屋は一緒につか…………夜中に変な声出さないでね?」 「出すか!!」  下世話に「ブフゥ」と笑う母をこんなにも殴りたいと思う事もない。最後には大声で笑って、「本当に女性なのか?」と疑いたくなる大股で奥へと歩いていった。  部屋の中は意外とがらんとしている。時間的には昼だから、父と兄は仕事に出ているのだろう。お手伝いのミリアは既に休みを取っているようだ。 「ごめんね、ちょうどミリアが休みに入ったのよ。大したもの出せないけれど、その分気楽にしてちょうだい。あっ、トレヴァーくんお酒飲める?」 「はい」 「よっしゃ! 付き合いなさいな。キアったらお酒全然でしょ? もう、つまんなくて」 「悪かったな。これでも昔よりは飲める」 「あら! やだぁ、トレヴァーくんに影響されて背伸びしちゃって。可愛いわねあんたも」 「そんなんじゃない!」  実はそうなのだが、この人にだけは言いたくない。腕を組んでそっぽを向くと、ハリエットはニヤニヤ笑い、トレヴァーは気の毒そうな顔をした。 「お茶淹れるわ。後もう少ししたらキャリーも来るそうだから」 「え!」  使い慣れた茶器を取り出し、計っているのかいないのかな茶葉を放り込むハリエットの言葉に、キアランは少しだけ気持ちを浮上させる。椅子を引いてやってトレヴァーを座らせたキアランは、久々に会う妹に既にちょっとデレている。 「キャリーさん?」 「あぁ、妹だ。年末帰ってくるのか?」 「今日だけよ。あの子も今日で仕事納めだから、売れ残ったパンとか持ってくるって。明日は旦那の実家に顔出して挨拶するそうよ」 「そうなんだ。あっ、義姉さんは?」 「息子連れて今日は自分の実家。あの子も働き者だから、早めに休みだしたのよ。幸い、納品の品はもうないしね」  お茶とお菓子を持って座ったハリエットは、そういう割りに疲れている感じがした。 「その割に疲れてないか?」 「少し片付けてたのよ。あんた達の古い服とか、もういらないでしょ? 教会に寄付しようかと思ってね」 「あぁ、なるほど」  これでハリエットは物が捨てられない。整理が出来ないと言うよりは、思い入れが強くて捨てられないそうだ。ただ、それが結構な量ある。 「ふんぎりついたのか?」 「まぁ、孫も大きくなると物が増えるし、ちっちゃいのを着ていたあんた達は可愛げなく育っちゃって着れなくなったしね。次に回すのが、服のためでもあるかもって」  そういうハリエットは少しだけ、年を取って見えた。 「あの、何か手伝える事があれば言ってください。服って、意外と重いし」  話を聞いていたトレヴァーがそんな事を申し出て、ハリエットはパッと目を輝かせた。 「さっすがトレヴァーくん! そうなのよ、重くてちょっと腰が痛くなってきちゃって」 「俺、持ちますよ」 「トレヴァー、お前休むためにきたんだろ!」  過労で昨日倒れた奴が何を言っているんだ!  という思いなのだが、当の本人はまったく大丈夫な顔をしているのだ。 「このくらい、訓練に比べればほぼ仕事してないくらいの労働ですよ」 「重いぞ」 「いや、普段から船の帆を持ったりロープ持ったりと第三は体力いるんで」  確かに、それに比べれば軽いかもしれないが。 「本当にいいの?」 「はい。泊めていただくのに何もしないのも心苦しいので」 「はぁぁ、いい子」  トレヴァーは間違いなく、この母のお気に入りになったのだと分かった瞬間だった。  その後、出るわ出るわの衣装箱が六つ。その全部をトレヴァーは二階から一人で運んできた。  中からは懐かしい服があれこれ出てくる。なんと洗礼を受けた時に着ていた赤ん坊の服まで出てきたのだから驚きだ。 「キア先輩、こんなに小さかったんですね」  子供用の服をあれこれ見ながらトレヴァーはなんだか嬉しそうだ。それを横目に、キアランは丁寧に服を確かめ、直しが必要そうな物を弾いてそれ以外をしまい直している。 「当たり前だ、俺にも子供の頃はあった」 「そうなんですけれど。なんか、想像がつかなくて」 「俺で想像がつかないんじゃ、団長達は余計につかないぞ」 「…………あの人達、生まれた時にはあのサイズ」 「そんなわけがあるか」  一瞬想像してみたのだろうが、放棄したらしい。動きを止めたトレヴァーが目を白黒させてそんな事を言い出した。 「そういえば、ランバートも想像つかないな」 「アレも特殊だからな。子供の頃の肖像画とか、ありそうだが」  おそらく天使のようなのだろうな。今では迫力が凄いが、美人は美人だ。  そんな事をしていると玄関の開く音と、若い女性の「ただいまー」という声が聞こえる。そうしてリビングに顔を見せた妹が、目を丸くしてキアランとトレヴァーを見た。 「お兄ちゃん! あっ、もしかしてこの人が噂の彼氏!」 「キャリー、母さん化してきているぞ……」  まさかの第一声がこれかと思うと、あれこれ先が思いやられてしまった。  妹キャシーは兄の欲目もあるが、明るくて気立てがよくて愛想がいい。長い銀髪に大きな青い目で愛らしい顔立ちをしている。母に似て小柄だが……なかなか成長がいいのだ。  キャリーは手でパッと口元を隠し、改めて丁寧にトレヴァーに向き直り深くお辞儀をした。 「すみません、母から色々と伺っていたもので」  何を話していたんだ、あの母は。 「キアランの妹で、キャリーと申します。兄がお世話になっています」 「あっ、トレヴァー・ワイネスです。こちらこそ、キア先輩にはいつもお世話になっています」  トレヴァーも立ち上がってお辞儀をしている。その後で、キャリーは可笑しそうに吹き出した。 「なんだか、お兄ちゃんの恋人って全然想像つかなかったけれど。いい人そうで良かった」  気の抜けた顔で笑うキャリーの笑みは、どこか安心したようにも見えた。  程なくして父と兄も帰ってきて、トレヴァーを見て一瞬固まった。というか、父は固まりっぱなしで少し心配になったが、そこはハリエットが上手く動かしている。  トレヴァーは遠慮しながらも笑っていて、騒がしいが安心した。やはりこいつはこのくらい、賑やかでなければ。疲れた顔のこいつを見るのはどこか、痛んだから。  お湯をもらって戻ってくると、トレヴァーは兄クラークとハリエット、そしてキャリーに囲まれて、酒を飲まされていた。 「それにしても、キアに恋人なんて聞いた時には想像もつかなかったが」 「いい子捕まえてきたわよね、あの子! 見てこの筋肉! 腕筋とかパンパンよ!」 「うんうん、本当に素敵」 「あっ、いや、はははははっ」  もう、どう対処していいか分からないのだろう。とりあえず上手く合わせて愛想笑いの状態だ。頼りない犬の目がこちらを見てピンと耳を立てる。その反応で、他もキアランに気づいたのだろう。 「おっ、キアも戻ってきたか!」 「兄さん飲み過ぎだぞ」  長く飲めるが直ぐに赤くなる兄のクラークは既に出来上がっている。おそらく明日、一部の記憶がないだろう。  その隣に座っているトレヴァーはハリエットに腕を撫でられて困っている。この母も既に出来上がっている様子だ。 「母さん!」 「あら、いいじゃない減らないし」 「そういう問題じゃない!」 「腰も締まってるし、腹筋は六つだし、尻回りギュッとしてるしで最高よ」 「私は胸筋がいいな。このみっちり詰まった感じが触りごたえあっていい」  この光景を見ると、母子の遺伝の恐ろしさを知る。母と娘揃って筋肉馬鹿だ。 「……なんか、うちの女子って怖いよな」 「今更気づいたのか、兄さん」  兄の酔いも醒める光景だった。  何にしても湯上がりで気持ち良かった。適当に座ると目の前にスッと水が出され、トレヴァーが穏やかにこちらへと笑いかけていた。 「まだ髪乾いてませんよ、キア先輩」 「あぁ。そのうち乾くだろ」 「ダメですよ、ちゃんとしないと。風邪ひきますよ」  スッと立ち上がり、後ろに立ってタオルを手にして丁寧にキアランの髪を乾かしていくトレヴァーに、キアランは僅かに肌を染める。本当は自分でできるのだが、付き合ってからこいつがしてくれるのが心地よくて時々、こうして濡れたままにしてしまうのだ。  筋張って、少しごつい手が丁寧に髪を梳いて乾かしていく。僅かに耳の後ろや首筋に触れる指の感触がくすぐったい。 「……エロいわぁ」 「はぁ?」 「キアラン、すっかりメロメロなのね。あんた今、女の顔してたわよ」 「はぁぁ!」  酒を飲みつつ観察していたのだろうハリエットがそんな事を言い、キャリーもうんうんと頷く。そしてクラークは思いっきり引いていた。 「いや、お前が男役なわけはないとどこかで思ってはいたが、だが…………見たくなかったなぁ」 「男泣きするのは止めてくれ兄さん!」  よく分からないが、女性陣はニヤニヤし、兄は泣くというカオスな状態が出来上がってしまった。  根掘り葉掘り聞かれ、ドッと疲れた気がする。ようやく解放されて自室に戻ってきたキアランとトレヴァーは、もう苦笑するしかなかった。 「騒がしくて悪いな、トレヴァー」 「いえ、楽しかったですよ。俺の家族もあんな感じです」 「そうなのか?」 「はい。まぁ、兄は畑仕事で実家に帰ってくる事が稀で、最近顔をみていませんが」  苦笑したトレヴァーに、キアランは頷く。そして思うのだ。雰囲気が似ているなら、挨拶に行くのも少しは気が楽になるのではと。 「素敵な家族ですよね」 「……まぁ、嫌いじゃない」  素直ではないが、キアランにしたら結構な褒め言葉のつもりだ。そしてトレヴァーもそれを分かってくれている。  それとなく目が合って、少しドキドキする。それはきっとトレヴァーが、男の顔をしたからだろう。  言葉はいらない。僅かに顔を傾け近づいてくるトレヴァーの意図を察して、キアランも目を瞑る。触れた唇の感触と、ほんの少し触れた舌の感触に心臓がドキッと音を立てて、体が僅かに熱くなる感じがした。  欲しているのだと、認める。この一年でキアランは自分の欲求というものをちゃんと認めてやれた。 「今日はここまでだ」 「分かっていますよ」 「……明日から、旅行にいかないか? 今日のお礼にと、母が貸別荘の鍵を貸してくれたんだ。王都から馬で五時間くらいの場所にある、温泉つきのロッチなんだが」 「いいんですか?」 「まぁ、その……。ここだと、その……できない、から」  最後は尻すぼみの小さな声でごにょごにょと濁した。言えるけれど、はっきり言うにはまだ恥ずかしさがあるのだ。  それでも伝わって、トレヴァーも赤い顔をする。そして頷いて、ギュッと抱きしめてくる。その温もりは、なんだかとても久しぶりな気がした。
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