カミソリと線香

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 黒く、右に渦を巻くように。  その『うなじ』には、産毛がびしりと生えていた。 (あー……ダメだわ)  そう思った時には、お持ち帰り寸前まで仲良くなったこの女を、放置して帰る心づもりが決まっていた。  合コンでの2時間と4.000円を、俺は投げ捨てることに決めた。 「どうしたんですか?」 「あー、悪い」  スマホを操作して、彼女にも画面が見えるようにする。  プライベートな情報だけど、うまいこと使わせてもらおう。 「ゴメン。上司から連絡来ちゃった、今日これで帰らなきゃだ」 「えー。酷いですね、その上司さん」 「だよねぇ。ありがと、楽しかったよ。駅はどっち? そこまで送るから」  そう言って適当なところで別れてから、ため息を吐く。 (いくら顔面整ってても、あのうなじはダメだわ)  俺、斎藤康生は、根っからの『うなじ』好きだ。その根は深く、小学校の頃から始まる。  当時、俺の祖母は自宅で日本舞踊の先生をしていた。やってくる生徒さんは皆、着物姿。  若い人から熟年まで、皆が皆、美しく襟を抜いた、うなじを晒した姿でやってきた。  でもいくら若いと言っても、20代後半だ。  そんな中に、ある日。母親に連れられて、俺と同い年の少女がやってきた。  黄色い着物。  薄ピンクの長襦袢。  襟の中に、うなじ。 (産毛の、ほんのり生えた、青白い、うなじ……)  名前はたしか、清子ちゃん。そうだ、その古風な名前に、もっと彼女に興味を持ったんだっけ。  かつかつと、足音がする。ふっくらとした頬の、凡庸な顔立ちの人が、前を行く。  そうだ、ちょうど。  あんな風な、薄くてきれいな、青いうなじだった。
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