一.420

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一.420

マリア様!聖母マリア様! (わたくし)の罪をお許しください。 この世に、生を受けて以来、私は「学門一筋」の人生に勤しんで参りました。官僚の父上、弁護士の母上を両親に持ち、 先祖代々から脈々と受け継がれる秀才という血縁の名の元に生まれおちたこの命。 精一杯、いや、命の限り学問に勤しみ、 良き学び舎に入学し、そして、将来は閣僚に入閣し社会に貢献していく! これこそが、私の人生計画であり、私の使命でありました。 ところがです!私のそんな大事な人生を決める今日は、 大切な大学入試の日。 私は自分の受験番号の席に座った所までは覚えています。 しかし、いつのまにか、私は机で気絶し失神してしまっていたようです。 はっと目が覚めたら、目の前には真っ白の答案用紙! 時計の針は、試験終了時間まで残り10分。 残りの問題数は50問。 何たる不覚!何たる御粗末! この、学問一筋で生きてきた私のような秀才が、 このようになってしまうのには、理由があるのです。 その理由が、今私の目の前の席に座られているお方。 黒く長い髪、吸い込まれるような大きな瞳、はにかむと くっきりと表れるえくぼ。 その方こそが私の恋の女神、いや勿論マリア様もそうですよ……。 マリア様同様に私が心を奪われた方、 なんと西園寺園子(さいおんじそのこ)様が目の前の席で、 試験を受けておられるではないですか! そうなんです、マリア様……。 私は、一つだけ嘘をつきました。 学門一筋とは言いましたが、そんな私でも、『人を好きなる』という科目だけは終始赤点です。 実は、西園寺園子(さいおんじそのこ)様を学習塾で一目見た時から、 心を奪われてしまいました。 そして、それが恋というものだと気付くのに、 時間はそうかかりませんでした。 生まれて初めて、私の中で「オギャー!」と 恋なるものが生まれた瞬間でした。 それからというもの、園子様をお見受けするたびに、 私の心は、ほんのりピンク色でした。 そんな恋い焦がれた園子様が、まさか、まさか 私と同じ志望大学をお受験されるとは! そして、まさか私の受験番号の前の席にお座りなられるとは! マリア様、いや仏様も含めて問いたい! このような仕打ちがありますか! こんな環境では私が気絶して失神するのは分かりきった事ではないですか! 真面目に、誠実に、娯楽という二文字もない、 四角四面の辞書のように生きてきた私に、なんたる仕打ちを……。 無念でございます。 いやいや、敬愛する神々にそのような思いを持っては失礼ですね。 矛先を変えましょう。 なぜ、失神した私を、周りの戦友たちは起こしてくれなかったのでしょうか?あっ、そうですね。 この試験会場にいる方々は戦友という名のライバル。 一人でもこの受験戦争から脱略したら、万々歳ですからね。 でも、試験官は気づいてもらってもいいはず…… と思ったら……、あっ!寝ている! あの試験官、目を開けたまま確かに寝ている…。 なんという、文部省の落ち度。 私が閣僚に入ったら、文部省をこっぴどく叱りましょう  分かりました、マリア様。しかし、私は負けませぬ! 父上、母上の期待に応えるためにも、残り試験時間10分。 この真っ白な答案用紙を真っ黒な文字で埋めて見せます。 恋の魔力には負けません。  それでは、一問目。 『この円の面積を求めなさい。』 ふむ、ふむ。 えーっと、円の面積の求め方は、円周率をかければいいから……、好きな人を思う気持ちは円周率より無限大……。って、こらー!! 違います、違います!!落ち着け自分! そしたら、次の問題。 『この計算式を解きなさい。』 え~どれどれ。掛け算に足し算が組み込まれているのか……。 え~恋は足したり引いたり、気持ちの掛け合いで、 楽しくもあり苦しくもあり……って……!おバカ! 私は何を又書いているんだ!! いかん、冷静になれ。落ち着け。 息を大きく吸い込みましょう。 あ~、でも情けない。この麗しくも漂ってくる香りは、 目の前の園子様から漂うコロンのお匂いですね。 私の鼻腔をくすぐり、何だか、夢の世界に誘われそうです。 くぅー!駄目です!負けません、負けてはなりませぬぞ! さぁ、気を取り直してもう一度、問題用紙とにらめっこですよ。 えー次の問題。『この不等式が成り立つことを証明せよ。』 ふむふむ。恋<学問が大きい。 いやいや、それは逆で、恋は学問よりも勝るから、この不等号記号はこっちでって……ちがう!まちがい!そうじゃない! そういうことじゃないんですよ! 手ごわい、手ごわいですね、園子様。流石、私が心を奪われたお方。あなたの、リズミカルな筆記音が、私の脳を狂わせています。 おや?園子様の手が止まりましたね。 ということは、問題をすべて解かれたのでしょうか。 素晴らしいです。お見事です。 私もあなたに、追いつけ追い越せで、 残り時間、精一杯、がんばりますよ……って、えっ!残り時間あと3分! ぎょえーーー!!とにかく、急いで解きましょう。 『下記の正方形の方から考えうる一』 うっ……、正方形がハートの形に見える…。次。 『この関数の最大値と最小値はー』 そんなの分かりきったこと! 私の園子様への思いはいつも最大値……。あっ、やってしまった。 はい、次……。『直線xとy軸の距離は―』 園子様への思いは常に一方通行で、恋の片道切符の距離数は……って、 違う!チガウ!ちがーーーーーーーーう!    キーンコーンカーンコーン。  「はい、試験終了です。筆記用具を置いてください。」 遠くから聞こえてくるのは試験終了のチャイム音。 この音は讃美歌でしょうか? 天国に召されたような気分です。 終わりました。 私の、人生終わりました。 こんなことになるなら、やっぱり恋なんてするもんじゃないですね。 今日で、恋はさよならです……。 残ったのは、多くの消しゴムのかすと、 消しくたびれて、しわしわになった真っ白な答案用紙。 そして、ポツンと寂しげにたたずむ受験票か……。 あれっ、今気付きました。 私の受験番号は『420』 受験にも負け、恋の魔力にも負けた 私にぴったりの受験番号『420(しつれん)』ですね。 ははっ………。ははっはっ……、はは……。  
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