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最悪の日②
「化粧品てさ、大人の女性には、もはや生活必需品だよね」
中田を遠ざけた山本は、舞花との距離をぐっと縮めると、突然そう切り出した。
今、二人の近くには誰もいない。
誰かが来る気配も無い。
酒も飲まずにマネージャーと真顔で向き合っていれば、当然そこには、他者が近寄るべきでないという空気が出来上がる。
周りからはきっと、二人が真剣な話をしているように見て取れるのであろう。
山本は、本題を切り出すのにうってつけの舞台を作り上げたというわけだ。
「長年慣れ親しんだ必需品を切り替えるって、なかなか難しくない?」
さも難解な問いであるかのように、山本は重々しくそう問いかけてきた。
思っていた以上の直球に、つい舞花の眉間に皺が寄る。
だが、彼の意はわかっているつもりだ。
そっちがそのつもりなら、こちらも応じるのみ。
舞花は腹の底にぐっと力を込めると、煽るかのように、薄い笑みを浮かべてみせた。
「そうですね。だから化粧品にはサンプル、試供品があるんだと思います」
「切り替えにあたって、色々試してみるってこと?」
「はい。それで、前より良いモノを見つけたら替えます。もしかしたら、替えた新商品の方が今までのモノよりも、ずっと自分に合うかもしれませんし」
きっぱりとそう答えた舞花に、山本はくつくつと軽く笑い声を立てる。
過ごした年月が長ければ長いほど、惰性もある。
そこにつけいる隙なんていくらでもできるのだ。
切り替えを狙って売り込みをかけるのは、決して悪いことじゃない。
「なるほどね。たしかに、一つに固執し続けるのは良くないかもしれない。ならさ、切り替えられた方、古い化粧品はどうなるの? 取っておいて時々使う? それとも完全に使い分けて、二つを同等の関係にしてあげる?」
「使わなくなったものは、不要品です。早急に、処分が必要かと思いますけど」
舞花は少しだけ語気を強めてそう言った。
捨ててもらわないと、処分してもらわないと困るのだ。
古いモノに未練なんて残して欲しくない。
細く息を吐きながら、舞花はこうも続けた。
「取っておいて、時々使うっていうのもありかもしれないですけど。でもどんなものも、いずれは劣化します。忘れた頃に、古いモノを奥から取り出して使ってみたら、肌にトラブルが起きたなんて嫌じゃないですか。だったら、切り替えたときに、すっぱり捨ててしまった方がいいんじゃないかなって思います」
「一理あるね。でもさ、もしまだ中身がたっぷり残っている状態だったら? 新しいモノを買ったからって捨てられる?」
この問いには、多少狼狽えてしまった。
その時になったら、正直迷うかもしれない。けれど…
「もったいないとは思いますけど、自分に合わなくなっているのなら、どんなに残っていても捨てるべきかと。今、日常的に使っているモノの方を大切にした方がいいんじゃないでしょうか?」
舞花の答えを受けた山本は、そこで一度何かを考え始めた。
眉間に皺を寄せ、険しい顔をしている彼は、そのままの表情を舞花に向けてきた。
「今してる話だけど、意味わかってる?」
「…多分」
「本当かな? 俺がしたいのは、君の側の話なんだけど」
山本から冷めた視線が注がれる。
彼は舞花への嫌悪感を隠すことなくこう言った。
「佐藤さんは、ちゃんと捨てたの?」
「…はい?」
「だから、古いモノ」
「捨てた、つもりですけど…」
「捨ててあるんならいいんだ。でもね、もし失くしただけなら、それはいつか見つかる可能性があるんだよ?」
彼は何が言いたい?
舞花の側?
健司ではなく?
山本から言われた言葉の意味を考えていると、不意に舞花のことを呼ぶ声が部屋に響いた。
「佐藤さーん、お迎えですよ-」
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