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旦那を捨てた女と捨てられない女 涼子
はるばるJR線に乗って今日は同級生の百合と会う日。新橋の駅から待ち合わせの汐留まで地下道を淡々と歩きながら、そういえば百合に会うのはいつぶりだっけ?と早足で歩きながら記憶を辿ってみる。
思い出したら百合に会うのは半年ぶりだし、都内に出てきたのも前に百合とあった以来だ。
結婚して子供を産んでから、友達と会うことが減った。大した思い出も残らないような毎日を繰り返して気がついたら一週間が終わって、月が変わって季節が変わってというのをもう5年も繰り返してることになる。
それはもう結婚したらそんなもんだよ、という当たり前になってしまってるけどでもよく考えたら結婚する前だって、一人暮らしのワンルームと職場の往復だったよなぁなんて思い出したらなんだか夢のない歳の取り方してしまった気がして毎回落ち込んでしまう。
かといって別にセレブ妻になりたいとか女社長になりたいとか大それた夢も持ってない。家事育児はしないけどちゃんと働いてる旦那とちょっとわがままだけど普通に育ってる子供がいて、そこそこ平均点なんじゃないと自分を納得させておこう。
気がついたら汐留に着いて、上に上がる出口を探す。たまに来る東京は出口の一つも確信が持てないほどたくさんの文字が掲げてあってすでに待ち合わせに着く頃には軽く疲れる。
働いてた頃はもっと元気だったよね、なんて思い出すと歳を感じてまた落ち込むからさっさとなんとなくあってそうな出口から地上に出てしまおう。
待ち合わせはコンラッド...と地上に出て周りをぐるっと見てみると目の前に大きなビルを見つけたのでビル風から逃げるように駆け込んだ。
天井の高いエントランスにはデスクが一つしかない。ロビーはどこだろうとキョロキョロしていると反対側のドアの向こうには普段見かけない高そうな車が4,5台並んでる。どんな人が乗ってるんだろうな、いいな〜と気を取られていたらシュッとしたホテルマンがススっと近寄ってきた。普段慣れてない場所だとついおどおどしてしまいなぜかわからないけどついお辞儀をしてしまった。
「すみません、ロビーはどこですか?」と言った瞬間うしろから甲高いハイヒールの音と「涼子〜!」という聞いたことのあるハイテンションな声が聞こえた。
「百合、久しぶり〜。」
慣れない場所で慣れた顔を見つけた安心感で少し疲れがシュワっと空気に溶けたような気がした。
「ちょうど一緒だったね〜予約してあるから上行こ!」
慣れた笑顔でホテルマンに軽く挨拶して、百合はさっさとエレベーターへ向かってしまった。初めてここにきた私はまさにあたふたという顔をしていたと思う。慌てて百合の後を小走りでついて行った。
エレベーターに乗り合わせたのは私たち以外みんな外国人。
28階まで一気に登るエレベーターの中、小声で「百合、久しぶりだね。元気だった?」と言うと百合は普通のトーンのよく通る声で「めっちゃ元気だよ!涼子は?元気?今日は子供は?あっ着いた、降りよ!」とすでにガールズトークのノリで止まらなそうな話しながら明るい方へ早足で歩き出す。
「予約した尾之上ですけど。」
慣れた調子で伝えると高い天井から床まで窓の席に通され、外の景色に釘付けになった。晴れた空の下にレインボーブリッジが見える。
「アフタヌーンティーでいいよね?私コーヒーで。」
渡されたメニューを見ないままテーブルに置いてオーダーを済ませ百合は足を組んでバッグからスマホを取り出した。
慌ててメニューに目を移して「あ、じゃあ、私はアフタヌーンティーと...紅茶ください。」と慣れてるフリをしてオーダーをした。
「紅茶は5種類ご用意がございますが。」
えぇ、5種類もあるの?とまた慌ててメニューに目を落とし「じゃあ、この、オリジナルブレンドティーでお願いします。」とオーダーを終える頃には田舎者丸出しって感じかな、となんだかまた自己嫌悪に陥った。
「で、涼子元気?子どもいくつだっけ?」
「春翔4歳になったよ〜良真は小学生だっけ?」
「もう小二だよ、いや〜子どもいると歳とるの早いよね。」
「本当、見えないよ〜年々若返ってるんじゃない?」
「まぁね、離婚してから苦労が減ったから若返ったかも。それが聞いてよ!元旦那即再婚してやがって!」
「えっマジで?!早くない?」
笑い飛ばしながら百合はバッグと靴が写り込んだ窓の外の景色をスマホで撮影し始めた。百合は私より3年前に出産して今年のはじめ離婚が成立したばかりだった。離婚調停をしてた頃は疲れ切った顔をしてSNSからも離れて他のに、離婚が成立してからと言うもの華やかな自撮りを毎日のようにSNSにあげている。
日常生活が幼稚園の送り迎えとスーパーと家の私には別の世界のようだった。今だって私と百合は違う国に住んでる人間が居合わせたような感覚になる。
百合はリボンがついたエナメルのルブタンを履いて、雑誌でしかみたことないけど形を見るだけでわかる小さめのデルヴォーのバッグを無造作に床に置いている。着ているワンピースはシンプルだけど胸元に大きなパールがつけられて羨ましいほど可愛い。
「百合のワンピースかわいい〜どこの?」
「これ?YOKO CHANだよ。可愛いよね〜。」
雑誌の中でしか見たことのないあ〜これがあのブランドか、こう言うことを思うたびになぜだか引け目を感じてしまう。いつか持てたらいいな、と夢見ているものを百合は全部持ってるんだろうな。
「涼子の靴も可愛い、どこで買ったの?」
「え〜これGUだよ、激安で恥ずかしい〜。」
ユニクロのニットにしまむらのデニムを着てGUのパンプス、コートとバッグだけはOL時代に奮発したブランドものだけどそれももう流行遅れに見える気がして引け目を感じて肩を縮めてしまう。
GUのパンプスなんて、百合の履いてるルブタンの靴の値段で20足くらい買えるだろう。そんな安物を百合は早速「私も買おうかな。」なんてスマホで検索してる。悪気がないのはわかってるんだけど、嫌味に感じてしまうのは自分の中にひがみがあるからだとわかってる。
ひがんだってルブタンが手に入るわけじゃない。
GUですら新しい服を買えば旦那に嫌味を言われる私と違って、百合はバリバリ稼ぐシングルマザー。嫌味を言う旦那もいない。結婚してる頃は旦那の愚痴で盛り上がれたけど、百合が離婚を決めてからはすっかり取り残された気分だ。
「涼子、最近は旦那さんとうまくいってる?」
百合はテーブルに大きな皿のカラフルなアフタヌーンティーが置かれるとすぐ端のデザートをつまみながら割と大きめのトーンで話し出す。
お台場が見渡せる窓の景色と大きな皿のアフタヌーンティーを交互にキョロキョロしてた私は一気に28階から地下に引きずり戻されるようだった。
「相変わらずだよ〜家事もしないし帰ってくるのも春翔が寝た後で、休日も出勤が増えてるしね。ゴミ出ししかしないクセに手伝ってるじゃんとか言われてムカつくわ〜。」
自虐的に苦笑いを作って言ってみたけど旦那には納得いかないことばかりだった。手伝ってるってなんだよ、と思っても言えないでいつも飲み込んでしまっている。
「わかる。マジ仕事と比べたら家事育児の方が大変だもん。終わりがないし常に気が張ってるし、家にいたら何かしら目についてついエンドレス家事しちゃうよね。子ども保育園預けた後、仕事始めに飲むコーヒーが本気で美味しいと思ったな〜。」
「ワーキングマザーの百合と違って私なんか主婦だから子ども幼稚園だしさ、送ったらあっという間に帰ってくるよ。ちょっと家事したらお迎えまで一瞬だよね。」
「涼子も働けばいいんじゃん?保育園なら延長もあるし。」
「いや〜私なんか何もできないからせいぜいパートだし、保育園代でトントンだよ。それに旦那にも姑にも反対されて嫌味言われるからさ。」
「あ〜そうだよね、そう言うこと思い出したらもう二度と結婚はいいわ。」
短大を出てから一般職でOLになった私には特別なスキルもなく旦那と姑を納得させるような能力は持ち合わせてなかった。それに比べて百合は旦那の年収が下がった上に妊娠中に浮気をされてたことを知ってから粛々と離婚するために在宅で事業を立ち上げ大成功。今やネットでちょっとした有名ショップを経営してる女社長だった。
「妊娠中の浮気ってホント腹たつよね、殺意ってこれか〜って初めて本気で人に殺意を抱いたわ。」
冗談か本気かわからないトーンだったが、それは私にもよくわかることだった。百合の元旦那は抜けてるところがあったから、車に浮気の痕跡をバッチリ残してたらしかった。それを聞いて許せない!なんて他人事ながら励ました私がその数年後に同じ気持ちを経験するなんて思ってもみなかった。
初めての妊娠、出産と言う大イベントでほとんどの女性は母親になることを妊娠期間中に毎日思い知らされる。体も変わればホルモンバランスのせいで心も荒れるから余裕なんてモテないし、パートナーがサポートしてくれるのは当たり前だと思い込んでいた。
お腹は日に日に大きくなって動きづらくなるのにやらなければいけないことは妊娠前と変わらない。ましてや生まれちゃった後はちょっと今日はお休み、なんていかないんだから我ながら今まで4年間よくやってきたと褒めてあげたいくらいだ。
でも男が父親になる当事者意識を持てるのは子どもが生まれてだいぶ経ってから、なんならちゃんと話ができるようになるまでその意識が持てないらしいという話もあるほど男は父親になるのに長い時間がかかる。
そんな意識のズレから妊娠中に浮気、なんていう『子供の給食費で博打』くらい人としてやっちゃダメなことを平気でできるのが男のバカなところだ。結婚する前だって彼氏の浮気は別れの理由になるのに結婚して妊娠した後にヤられるなんて思いもしなかった。
慰謝料請求してやる!と泣き喚いて騒いだ私を旦那は一生懸命たしなめたけど何度も言ってるうちに「謝ったのにいつまでも言うのかよ。」と逆ギレして夜中に家を出るようになった。私と子供を家に残して。
その逆ギレに納得いかなくて姑に泣きながら訴えたら一言「そんなことするような子じゃないと思うけど。」と私の目を見ずに言ったのだった。
それを聞いて私は「ああ、この人たちには話が通じないんだ。」と諦めて今でも納得いかない怒りを諦め封印してる。そしてそのことは今まで百合には言わずにいる。それはきっと勝てるところがないと思っている百合への私の見栄。不幸自慢できるほど私はいまだに開き直れずにいる。
百合は浮気されたことに対する感情を爆発させるでもなくただ淡々と在宅で事業をはじめひたすら稼いで離婚の準備を進め、来るときが来た一年前、離婚届を置いて家を出たと言う。
百合の元旦那は稼ぎがいい仕事ではなかったし、百合の稼ぎをあてにしていたようだった。
「私もだんだんまぁそれでもいいか、って思ってたところだったんだけどね。軌道に乗って売り上げもよくなってきた時にさ、初めて自分のお金でブランドバッグを買ったのね。そしたらそれを見て元旦那がなんて言ったと思う?」
「自分だけ高いもの買ってるんだ、だって。稼ぎ少ない上に浮気しやがったクセに、それまであいつの趣味で買った車のボーナス払いとか、趣味のスノボの板とか買ってんだよ?!私のものなんてそれまでしまむらさえ我慢してたのに、いや〜もうないわってその時離婚しよって心に決めたんだよね。」
百合は子どもが小学生になるまでに離婚する、と決めていたそうだ。それを昨年きっちり実行した。
「調停長かったけど、ある時あっさり引き下がってさ。今わかったけどあっちが再婚決まったからだろうね。」
聞くだけ聞いたら割と不幸に聞こえる話をブランド物に身を包んで綺麗なデザートをつまみながら話していると全くそう聞こえなく感じるから不思議だ。むしろ私の方が不幸に感じてくる。
「涼子は仲よさそうでよかった。お姑さんも近いんでしょ?いいよね〜。」
涼子の言葉には裏がない。きっと本気でそう思ってるんだろう。
35年ローンだけど郊外に家も買えたし、家事も育児もやらないけど一応旦那がいて、丁重にお願いすれば子どもを見てくれる姑も近所に住んでる。
しかし何に対しても食わせてやってる、住まわせてやってるとはっきり口に出さずとも端々に匂わせる旦那に感じる不満は誰にも言えないまま積もり積もってもう何も感じなくなってしまったような気がする。
「せっかく素敵なアフタヌーンティーにきたのにさ、現実的な話やめようよ〜なんか勿体無いよ。それより百合は?彼氏はいないの?」
どんよりした色の泥水につかったような気分からなんとか話題を切り替えたかった。百合にとっては日常でも私にとっては今日だけは半年に一度の現実逃避なのだから。
「彼氏できたよ!だけどまたダメ男っぽくてさ、どうしようかなって感じ。見る?」
「写真あるの?見る見る!」
「SNSだけどね、2ショットとかとらないから。」
そういって見せられたインスタには薄暗い間接照明に照らされた若い男の横顔が写っていた。
「27歳。どうなんだろうね〜?」
「どうなんだろうって、イケメンじゃ〜ん。いいな〜何やってる人?」
「バーテンしながら俳優目指してるらしい。ダメ男臭がヤバイね。」
「百合は高校の時から歳下にモテるもんね。」
百合はなんだか嬉しそうだった。キリッとした顔立ちで思ったことを思った通りに言う百合は昔から男女問わず歳下からモテた。だけど守ってあげたい、と言われるよりも言ってしまうタチなので付き合う男はみんなダメ男の沼に落ちていく。
「お金ない男はもうイヤだ〜たまには誰かの金で買い物したいわ。そう言えばさ、最近すごい女社長と友達になったの!でさ、ちょっとトイレ行ってくるね!」
百合の話はルービックキューブのようにくるくる切り替わるがそれももう慣れっこだった。百合の綺麗な姿勢で歩く後ろ姿を見てまた羨ましさと引け目を感じて自分がイヤになった。
数年前までは稼ぎの少ない旦那に浮気までされて可哀想な女だった百合が今では歳下のイケメン彼氏のいる大活躍の女社長。田舎の高校の同級生とは思えない左が私たちにはある。年々ドラマチックに変わっていく百合と深い沼にはまっていくような私は対照的だと会うたびに思い知らされる。
私たちの違いはこうしたい、と思ったことをしたかしないか。
私はしたいと思うことをやる前に「やっぱりどうせ無理だよね。」と諦めてしまう。
百合はどちらかと言うと頭のいい方ではなかったけど、それが「考える前にやってみよう。」とブレーキをかけない。それが失敗することもあるけれどその失敗も忘れられるからすごい。頭がいいことは生きることに役立つとは限らないと36歳になって初めて気が付いたのだった。私たちの人生の差を見てやっと。
はたから見たら持ち家があって旦那と子供がいて、理想的な幸せに見える家庭の中で私が幸せだと感じることは一つもなかった。
普段はスタバさえ勿体無くて行かないような私が、高級ホテルなんて友達の結婚式くらいでしかきたことがない私が奮発して非日常を味わいにわざわざ1時間以上かけて来たのに...。心が沼にゆっくり沈んで笑うことすら忘れるほどだった。
今日のために姑に子供の幼稚園のお迎えを頼んだ引け目も思い出してさらに気が落ちてきた。
「涼子、なんか元気なくない?大丈夫?」
トイレから戻った百合が私の顔を覗き込んでハッとした。可哀想なんて絶対思われたくないからせめて今日だけは幸せに見えるようにしなきゃ。
「ちゃんと戸締りしたっけ?って考えてただけ。これ美味しいね〜。」
作り笑顔でアフタヌーンティーをつまんでなんとか暗い気分を振り払った。
「よかった!これさ、もうすぐ涼子誕生日でしょ。プレゼント!すごいいい匂いだよ〜。」
リボンのかかった箱を開けて開けて、と百合に急かされ開けてみるとほんのりバニラの香りが解き放たれた。
「Sabonのその匂い好きなんだ〜バニラっぽくてよくない?」
天真爛漫な笑顔の百合は高校時代のそのままだった。20年も経つのに変わらない百合の子供っぽさが羨ましくてたまらなくなった。
「ありがとう、大事に使うね。」
そう言いながら百合の誕生日を祝う余裕がなかった私の心がまた自己嫌悪に陥った。心の余裕はお金の余裕なのかな、なんて嫌な事を考えてしまった。
こう言う時心底自分が嫌になる。あの頃は素直に喜べたのに私はどうしてこんな嫌な女になったんだろう。
それからはなるべく自分の話をしなくていいように、百合の仕事のこと、彼氏のこと、SNSで見た旅行の話などとにかく話題を振った。
私の話をすればするほど悲しくなってしまうから。
ポットの中で濃くなった紅茶を注いで苦いのを我慢していたらあっという間にホテルのウエイターからそろそろお時間です、と言われてしまった。
過ぎてみれば名残惜しいな...そう思いながら席を立つと
「じゃ、行こっか。」とさっさと百合は席を立ってエレベーターホールへ歩き出してしまった。
「え、待って、百合お会計...」
そういった私を振り返った百合は笑顔で
「今日は涼子のお誕生日祝いだから、いいのいいの!」
そういって大きく手招きをしてまた歩き出してしまった。
帰り際にまで大きな引け目を感じて、顔では笑いながら心の中は渋い紅茶に染まった沼のようだった。
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