④ side Imaike

1/1
32人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

④ side Imaike

 夏休みになり、部活と合唱コンクールの練習に明け暮れる毎日となった。  例年のごとく、宿題は終業式の前に首尾良く終わらせてある。休み中に行った合唱のクラス練習の時、藤丘にこの事を話したら、信じられないものを見る視線を送られた。きっと、8月も終わりに近付く頃、彼からのSOSがやってくるに違いない。「宿題、写させて下さい」と。  充実した日々だが、健全な男子高校生の俺としては、不健全な夏の楽しみもしたいのである。そういう訳で、部活も合唱も無い今日、俺は最近出来た彼女と三回目のデートに行く。  彼女が観たい映画を観て、ファミレスで食事して、ラブホで一発だ。情緒も糞もない話だが、前の二つはあくまでもオマケだ。  ただ、彼女の笑った瞬間の表情は嫌いではない。遊び回っている者独特の軽い雰囲気や露出度の高い服装だが、案外素朴であどけない笑みを浮かべる。  テニスの練習試合に行った他校で告られて、結構好みの顔だったし、断る理由もなかったから付合っただけだ。若者にとって、性欲処理は本能だと思う。  アクション有り、ラブシーン有り、ストーリー無し。紋切り型のハリウッド映画は、さっき観たはずなのに何一つ覚えていない。前評判と俳優の知名度が一人歩きしただけの感じがした。  映画館から出るや否や、横にいた彼女が俺の腕に剥き出しの細い腕を撫ぜるように絡めて、期待たっぷりの視線を送ってきた辺り、性欲を持て余しているのはお互い様だろうと冷めた頭で思った。素顔が見えない程に塗りたくられたメイクの下を想像してみたが、どうせ素顔を見る前に別れるのだから、とすぐに考えを止めた。  ベトベトした安っぽいグロスがたっぷり乗せられた唇から発せられる「アタシのトモダチ」や「キノウのテレビ」の話を聞いて、てきとうに相槌を打ったりしている間にファミレスに到着した。  扉を開いて先に彼女を通すと、「いらっしゃいませー!デニーズへようこそ!」と営業スマイルを浮かべた女性店員に迎えられた。彼女のために禁煙席を選ぶと、使い込んで端が寄れているメニューを掴んだ店員が、席まで案内する。 「こちらのお席へどうぞー」と言われた窓際のボックス席に座ろうとすると、一つ奥の席に見なれた後ろ姿を見つけた。  何の手入れもしていない柔らかなストレートの髪の毛に、小さく寝癖が付いている。クリーム色のポロシャツを着た本郷が、華奢な肩を細かに震わせながら、一緒にいる誰かと笑い合っている。思わず、彼に声をかけようとする。彼女とデートしているはずなのに、俺は彼女からピントが完璧に外れていた。 「これ、もらうね」と相手のミートスパゲティの上に乗せられたナスを、本郷は自分のスプーンですくいとった。  自分の口を開くのと同時に「ちょっとぉ、今池クン、聞いてるー?」と彼女が身を乗り出して俺の視界に戻って来たため、本郷に声をかけそびれてしまった。  席についても、目の前にいる彼女より、その後ろにいる表情の見えない本郷の方がよっぽど気になったが、今からラブホに行こうと思っている彼女と一緒にいるのを、何故だか本郷に見られたくないと思ってしまった。  彼女の後ろで、彼らしくない砕けた口調で拗ねたように話す声が聞こえてくる。メニューを見ながら甘えた口調で話しかけてくる彼女ではなく、本郷たちの話を耳が追ってしまう。 「アタシ、オムライスがいーな」とメニューの写真をゴテゴテと装飾された長い爪で彼女が指している。てきとうに食べるものを決めて顔を上げると、本郷と向かい合わせに座った奴と目が合った。太い黒縁の眼鏡に覆われた瞳を僅かに探るようにしてこちらを見つめた後、ゆっくりと口元を上げながら、彼は俺から視線を外した。「何、ニヤニヤしてんだよ、千種」と本郷の訝しげな声が聞こえてくる。  店員を呼んで、俺は生姜焼き定食を注文して、彼女に何を食べるのか聞くと、不機嫌な声色で緩くパーマをかけた髪を弄りながら「オムライスって言ったじゃん」と返って来た。  注文の確認をする店員を尻目に、プラダの黒いナイロンバックからライトストーンを施されたスマホを取り出した彼女を見て、俺もげんなりした。残念なことに、ラブホは次回に見送りだ。  注文を取り終えた店員を本郷が「すみませーん」と呼びとめる。身体を捻るようにしてこちらを向いたが、彼女がいたために死角となり本郷に俺の姿は気付かれなかった。  一瞬だけ見えた横顔は、確かに彼だった。やれやれと肩を竦めながら、「チクサ」と呼ばれた奴が口を開いた。 「まだ、君のオムライス残ってますよ」 「千種のケチ。いいじゃんか、どうせすぐになくなるんだし。あ、チョコレートパフェください」 「食べ切れないって泣いても知りませんよ」 「昔の話だろ? 育ち盛りの高校生は全然大丈夫なんだよ」 「『全然』は、否定の言葉を伴って……」 「あー、はいはい、間違えました」  目の前にいる彼女が、再び口を動かし始めて会話を再開させる。回復の兆しを見せ始めた彼女の機嫌を持ち上げれば、今日の目的は達成できるはずであった。それにも関わらず、俺の耳は奥にいる本郷たちの話を追っていた。  フォークにくるくると絡められたスパゲティをチクサとやらが、談笑交じりに食べている様子が見える。彼女の話に気の無い相槌を打っていると、お盆に乗せられて彼女のオムライスが到着した。よく動く口が黙るかと思いきや、食事の間隙を突くようにして器用に言葉を紡ぎ続ける姿勢には、驚きを通り越して呆れ果ててしまう。いや、むしろ感動すら覚えてしまいそうだ。  暑苦しい黒色の半そでのワイシャツを着ているチクサという奴。胸ポケットの入口部分だけベージュのチェックが使われており、そのポケットからそいつは自分のスマホを取り出して、本郷と二人で覗き込みながら笑っている。 「おまたせしましたー、生姜焼き定食のお客様ー」とプラスチックのお膳を手にした店員がやってきて、自分が食事を注文したことを思い出した。白い湯気の立つ生姜焼きが目の前に置かれ、伝票差しに白い紙が立てられる。  俺の食事を運んできたのとは違う店員が、丸いお盆に背の高いチョコレートパフェを乗せて、俺の席の横をそろそろと注意しながら通って行った。「おまたせしましたー、デビルズブラウニーサンデーのお客様―」と言うと、勢い良く本郷が手を上げて「ありがとうございますっ」とテーブルの上にパフェが置かれる様を見つめていた。  そんな本郷の様子に柔らかな笑みを浮かべた男性店員の足を引っ掛けてやれば良かった、と苛立たしげに思った。「空いたお皿、お下げ致します」と言って本郷とチクサの前にあった皿をお盆の上に乗せた店員が、もう一度俺の横を通って行った。  彼の後頭部に見覚えはあった。男にしては高く、澄んだ小さな声音も知っていた。小首を傾げる癖も彼と同じだった。    それなのに、俺の知っている本郷はそこにいなかった。彼は、発する言葉に気を遣い過ぎて口を噤んでしまう人物だった。休み時間に俺が摘んでいるお菓子を差し出すと、甘いものが好きなくせして、控えめな量しか食べない。他人の物には、勧められないと決して手を出さない。基本的に他人に甘えることをしない人間だった。こんな風に他人に軽口を言えるのかと、正直とても驚いた。幼馴染だという同じクラスの藤丘と話している時よりも、ずっと気を許した口調だ。 「ふぅ……、ご馳走様です」 「割り勘じゃないんですか?」 「千種の給料日は、確か昨日だったはずだけどなぁ。一緒に食事する相手も今、広島に行っちゃってるんでしょ?」 「そうですけど、清貧な学生に対して酷い仕打ちだと思いませんか……?」 「いや」 「……本郷の、一口下さい」  本郷は柄の長いスプーンでもりっとアイスを掬い、「はい、あーん」と笑いながら冗談めかしてチクサの口元へ持って行く。本郷に気付かれることを忘れて、思わず目を見開き、彼等を凝視してしまった瞬間だった。 「ちょっと、いい加減にしてくれる!? さっきから、全然人の話を聞いてないじゃんっ!」  俺の目の前にいた彼女が、空っぽになった丸い皿の上にスプーンを投げ捨てる。カラン、と高い硬質な音を立てながら、スプーンが皿の上で大きく跳ねて、テーブルの上に落ちた。その衝撃で、伝票差しが絨毯の上へと吸い込まれた。本郷もそうだが、彼女も綺麗に食事をする。オムライスが乗っていた皿には、米粒一つ残っていなかった。  ごめん、と言いながら、彼女が『全然』の正しい用法を使って話していることに驚きを覚えた。当然、俺の表情に反省の色は見えない。俺の生姜焼き定食は、殆ど手をつけられないまま、冷たくなっていた。 「黙ってるだけなんて、サイテ―! 今池クンさぁ、イケメンだから付き合ったけど、私のこと全然好きじゃないでしょ? じゃあね、支払いは宜しく!」  腰を上げながら、ダンっと両手でテーブルを力任せに彼女が叩くと、皿が宙に浮いて大きな音を立てた。黒いバッグにスマホを押し込んで、俺の方を一睨みした後、大股で出て行ってしまった。  彼女の逆鱗に触れて、こっ酷くフラれてしまった自分に、店内の視線が集中していることが解った。眉根に皺を寄せて、大きな溜め息を吐き出す。彼女を追いかける気はさらさらなかった。  座ったままぼんやりと本郷の後頭部を見つめていると、彼がこちらを振り向こうとして、ゆっくりと首を捻った。  急いで店を出ようと立ちあがったのだが、肝心の伝票が伝票差しごと見つからなかった。本郷がこちらを向く様子がやけにスローモーションで俺の目の前で流れて行く。表情が凍り付き、冷や汗が流れた。 「ほーんごうっ、コレ美味しいですね」  差し出されたスプーンを手にして、パフェ本体までもいつの間にか奪い取ったチクサが、次々にパフェの中身を平らげて行く。あー!と大きな声を上げて、本郷が急いでパフェを取り戻そうとしたおかげで、俺の存在は気付かれずに済んだ。  バカみたいに呆けた表情で突っ立っていると、視線が頬杖をついたチクサとぶつかった。唇に愉しげな弧を描きながら、薄汚れた絨毯を指差す。その先には、俺のテーブルの伝票差しがころがっていた。  伝票差しを拾い上げて会釈をすると、人差し指を唇の所で軽く立てて意味深な笑みを浮かべた。  ココ、付いてますよ、と言いながらチクサが腰を浮かせて、本郷の頬についた生クリームを舐め取る。ありがとう、と何事もなかったように、パフェの続きに取りかかる本郷がいた。  それは、風景に等しい程、余りにも自然なやり取りだった。多分、気付いたのは彼等をじっと凝視していた自分だけだ。あれだけ大事を起こした俺を気にかける人間はもう誰一人としていなかった。皆、テーブル上に広がる自分たちの空間へと、意識を帰してしまっている。  呆然となって、彼等を見つめていた。ソファに腰を落ちつけたチクサがコーヒーを啜りながら、ニヤリと音がするくらいの意地悪い笑みをこちらに寄越した。眼鏡越しの瞳は完璧に今の状況を楽しむ光を放っている。  軽く舌打ちをして、握り締めた伝票をレジへと持って行く。財布を開いて会計を済ませ、足早に外に出た。  利き過ぎたクーラーに冷やされた身体が、ビルの室外機から吹き出す生ぬるい風に吹かれた。ぐぅ、と鳴り響いた腹をさすって、先程の生姜焼き定食に殆ど箸をつけていないことを思い出した。  本郷とチクサのやけに親密なやりとりが脳裏に甦った。足元の小石を勢い良く蹴り飛ばす。俺がセックス目当ての彼女といたのと同じで、本郷だって親しい奴がいたっておかしくない。  ただ、今までのダチと違って、本郷に彼女のことを一度も話したことがなかった。多分、噂か何かで俺が結構遊んでいることは知っているかもしれないが。  自分のことを棚に上げた勝手な話なのだが、本郷が俺に見せたことのないわがままや甘えを挟んだ態度で、誰かと親しげに笑っている姿を見るのが嫌だと思えた。相手が女じゃなくて男だったことに、驚きよりも苛立ちを感じてしまっていた。  どうして、俺の前ではあんな風に笑ってくれないんだろう。どうして、アイツの前ではあんな風に笑っているのだろう。  珍しいことに、考えが上手くまとまらない。自分で自分の感情に説明がつかなかった。ビルの隙間からもくもくと沸き立つ入道雲が覆う空を見上げて、俺は大きく息を吐き出した。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!