① side Hongo

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① side Hongo

 地下鉄という乗り物は地下を走るものだ。僕の幼い頃、終点が伸ばされて新しい線路が出来た。それで地上に出る事はあっても、基本的には地下を走る乗り物だ。  夏休み中の夕方ということもあって、座席は埋まっているが立っている人はまばらな車内。    運よく空席を見つけれた僕は、方向が一緒である今池に譲られて座席に腰を落ち着けた。  お互いにテニス部の練習で疲れていたはずなのに、今池は「体を鍛えるために座りたくない」と言って聞かなかった。  いつもより口数の少ない今池が、半ばぶら下がるようにして吊革を掴む様子は、男の僕が言うのは何だが、やけに様になっていて格好良かったと思った。  ついに暑さで頭がやられたのか、と力のない笑みを頬に滲ませ、窓の方へと目をやった。  地下鉄の変わりばえしない真っ暗な風景をぼんやりと見つめながら、イヤホンをズボンのポケットから取り出して、耳につける。  タタンタタンとレールを走る単調な音。静かな車内。変わらない窓の外。全てが、僕を眠りの世界へと誘う要素となる。  閉じそうになる目を擦って、再生ボタンを押すと、ガーシュインの『ラプソディ・イン・ブルー』のメロディが耳に流れ込む。甘いようで苦いピアノの音色が僕のお気に入りだ。  最近、クラシックには辟易しだした僕がヘビロテしている、ジャズ界の売れっ子作曲家が書いたクラシックの曲。綺麗だけなクラシックの楽譜には、飽き飽きした。  ピアノは中学を卒業すると同時に止めたはずだった。だから、高校ではテニス部に入って、直射日光が容赦なく照りつけるテニスコートで、あのごわごわした黄色のボールを追いかける日々を送っている。こんなに肌を焼いた夏は初めてだ。  ピアノが好きか嫌いかなんて、考えた事もなかった。気がついたらピアノを弾いていた。いつから始めたかすら覚えていない。  ただ、止めようと思ったときは、まだ鮮明に覚えている。正直言って、未練たらたらなのだが。 「本郷ー? 寝てるのかー?」  僕の目の前で吊革に掴まりながら、僕を見下ろしてくるのは同じテニス部で、同じクラスの今池である。  僕よりも上背があって、小学校の時からテニススクールに通っていたという生粋のテニス少年だ。  いつのまにか下りていた瞼を開けるのも億劫だった。今池は妙に鋭いから、僕が寝不足だってことも、今日の練習がキツかったことも知ってる。  今池の気遣いはさりげなさ過ぎて、困る。拒絶する前に、出された手を引かれては、何も言えなくなってしまう。 「眠いなら、寝ていいぞー。本郷、俺の一個手前の駅だしな。」  寝ていない、とムキになって返そうとしたら、今池のよく焼けた大きな手のひらが、子供をあやすように僕の頭を撫ぜた。 「今日は暑かったし、一段とキツかったよな。おやすみ。」  わしゃわしゃと犬のように頭を撫ぜられて、体の余分な力がふっと抜けた。今日くらいは、今池の優しさに甘えたって、良いだろう。でも、ちょっとだけ悔しかったので、僕は瞳を開けずに寝た振りをした。  クスクスと小さな笑い声が、僕の頭の上から聞こえてきた。
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