第11話 新たなる悪魔

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第11話 新たなる悪魔

弓道部のマネージャーにならないか、と彼女から電話を受けたのは、8月12日の夜、夕食を終えた後のことだった。 文雄の件で、福岡からこの家に帰ってきてから、実に1週間の時間が流れていた。その間、特にこれといった異変などはなく、私はいつもと同じような生活を送っていた。 ただ一つ違う点は、文雄が家に居ること。これは極めて大きな相違点であった。梢の表情も増え、彼に対してよく心を開くようになった。 「マネージャーって……私でいいの?」 『もちろん。私はハナにやってほしいから。……まあ、ハナがいいなら、だけどね?』 「私が───マネージャー、か」 少しだけ間を置いてから、私は静かに返事をした。 「わかった。……私でいいなら、やらせて」 『ホントに!?……よかったぁ!ごめんね、ハナも忙しいはずなのに』 「いいよ、大丈夫。それに、なんだか楽しそう」 『あはは、どうかな~。やることといえば、部員に水を分けたりタオルを替えたりとかだと思うけど』 そんな会話をして、私達は電話を終えた。一息ついて、私はスマホをベッドに置いて、ベランダに出てからそっと閉める。 「……これが、次のヒントってことなの?」 「呼ばれたかしら?───ならささっと答えるわ。あなたの言うとおり、これこそが次のヒントよ」 もはや声をかけただけで現れるフルール。隣に出現した彼女は、風に吹かれてその長い髪を泳がせた。 「次の舞台は弓道部……なんて言われたから、どうやって接触するかと思えば、まさかマネージャーだったなんてね。驚いたけど、それならそれでやり遂げてみせる」 「いい心意気だわ。その調子で、無事にこの8月を終わらせることができたらいいわね」 「……そうしてみせる、絶対に」 と、そのときだった。私の隣で同じく風に当たっていた彼女を取り巻く雰囲気が、空気が、一瞬だが揺らいだ。 「───ッ!」 私の視界に映る彼女は、に向かって目を合わせていた。その瞳はベランダから眺めることのできる夜の街の風景の、どこか。そして、 「───まずいわね、これは!」 「な、なに……?ねえ、何がいるの!?」 だが私のその問いには答えず、フルールは私の方を向いてからその一言だけをぶつけてきた。 「あなたは部屋にでも隠れてなさい!」 「えっ……!?ちょっと!」 彼女はそれきり姿を一瞬にして消し、空中に溶け込み夜に飲まれた。そうして次の瞬間には、闇の向こうにて衝突音が響いた。 その方向を見ると、赤と赤の光がぶつかり合い、せめぎあい、鍔迫り合い、激突している。……今、一体何が起き始めたのかを理解するには、私はあまりにも無知すぎた。 2 「……あらァ?せっかくいい獲物がいたっていうのにィ。ワタシまさか、邪魔されちゃったかしらァ?」 「───そうね、とんだ邪魔者もいたものよ。……悪魔、テトラ」 「そういうアナタは、悪魔フルールですわねェ。くふふ!これは光栄ですわァ!こんな場所で、同じ種族と出逢えるだなんてェ!」 フルールの前に立ち尽くすのは、黄緑色の不思議な髪色をセミロングにした小柄の少女。瞳の奥はどろりと漆黒を詰めており、醜悪に鼻が曲がるほどの腐敗臭が流れ出ていそうだ。服装はフルールとは少し系統は違うが、似たようなドレスを身にまとっていた。 「くふふ!くふふ!くふふふ!いいですわねェ、こんな月が綺麗な夜更けに、悪魔と悪魔が対立する……良いシチュエーションだとは思いませんかァ?」 「最悪よ」 「それは釣れないですわねェ。それならそれで、ワタシが楽しませれば良いのですがァ!」 ヒュッ、とその姿を虚空に掻き消し、テトラはかつてない速度で周囲を飛び交う。 ───音速。それは、音さえも出さぬほどのスピードだ。 「くふふふっ!くふっ、ふふふふ!さァてッ、アナタに目で追えますかしらァ?ワタシのこのっ、音速をォ!」 「───追えないのから、見破るまでよ」 フルールはゆっくりと……極めて冷静に目を閉じて、立ち止まる。直後、彼女の五感は急激に研ぎ澄まされ、視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚のすべてが劇的に飛躍する───。 「───狂乱ノ鎮マリ(きょうらんのしずまり)」 ぶっ、と、フルールの周囲に紫の華が咲き誇る。それは咲いては乱れ、咲いては乱れ……近くに霧散し煙を上げた。そしてその後、 「そこね」 フルールがその瞳を開いてすぐ、彼女はその腕を横一線に振るう。するとそれに薙ぎ払われたテトラの華奢な体は、ふわりと宙に吹き飛んだ。 「───がはっ……ァ!」 口から紅の血を撒き散らし、テトラは電柱に背中を容赦なくぶつける。だがすぐに体勢を直し立ち上がると、翻したドレスを踊らせて嗤った。 「くふっ、面白いですわァフルール。そんなにあの人間が大事なんですのォ?」 「まあ、手助けする立ち位置だから。あなたみたいなハイエナからも、しっかりと守らなきゃね」 「───くふふふ!それは傑作ですわァ、フルール。どうして悪魔が人間を助けるんですのォ?悪魔は本来、人間という弱者から甘い蜜を搾取して、貪って、奪って利用して操ってェ!……そうして最後に、軽くデコピンしてバイバイするものなんじゃないんですのォ?」 「それはあなたの考え方。私には私の、義務がある」 「あら、そうなんですのねェ。……けれど、」 今度もまた音速で飛び交う。が、次のそれは先ほどよりも複雑な動き方だ。さしものテトラであっても、フルールには対策を練るしかなかった。 「───私は強欲にィ!アナタから獲物を貰っちゃいますけれどォ!」 「……!」 電柱から反射、公園のベンチに反射、塀に反射、そうしてそうして、彼女の細身は跳ね返り飛躍的なスピードを得る。 その暴走は、たとえフルールの技術を持ってしても防げない───。 「厄介……!さっさとお帰りなさい!」 フルールの頬に傷を付け、その次の瞬間には背に爪痕を残す。斜め、縦、横、旋回、テトラの攻撃速度は時間と共に比例する。 「……っぐ!」 「くふふふ!脆い脆い脆い脆いですわァ!そんなことでは、気づいたら肉片だったってことにもなりかねませんわよォ!?」 その反則的な速度に翻弄され、次々と肉体を傷つけられるフルール。だが彼女もまた同じ悪魔……実力の差はさほどない───。 「───彼岸紅蓮(ひがんぐれん)」 そこで次に打ったのは、フルールの持つ最大にして最悪の武器。彼岸紅蓮は、その禍々しき華の群れを撒き散らすように咲かせることで、周囲の存在に爆発的に込められた熱量の香りを嗅がせられる。 よってこれは、ものだ。 「……っ、」 ここにきてフルールは、テトラに対して不利だということを悟ったのだ。それゆえの諸刃の剣。彼女は敵を遠ざけるために、博打を仕掛けた。 「っく、ふふふ!ふふ!そこまでして守りたいんですのォ?……そこまで、自分の体を傷つけてェ?───バカみたいですわねェ」 「……どうとでも。燃える肉塊になりたくなければ、さっさとここから逃げ出すことね。しっぽを巻いて出直してきなさい」 「───っちぃ!小癪な悪魔……!」 それを捨て台詞に、テトラは素早い動きで後退する。それにかかる時間は、2秒にも満たなかった。 「面白いですわァ!また次の機会に、必ずアナタの契約者を貰いにいきますので、どうぞお覚悟なさいませェ!……くっふふふふ!」 ケタケタと嗤う悪魔の声が、遠のいていく。さしものテトラも、この熱には耐え切れないらしい。 そしてフルールは、役目を終えたとばかりに……その瞳を閉じて、その場に座り込んでしまう。 ───契約者を、花音を、死守できたのだ。
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