第1話 飽和する初夏で

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第1話 飽和する初夏で

───蝉の合唱が耳を劈く。見上げた空は蒼く透き通った海を映し出し、その中に浮かぶ入道雲はさながら、そんな海原を生きる深海魚のようだった。 うだるような暑さを掻き分け、私はそんな炎天下を歩く。今はちょうどお昼時。下駄箱を背にして歩を進めていると、グラウンドから溢れ出る運動部のかけ声がよく目立った。 聞いた話では、サッカー部はもうすぐ選手権大会があるらしい。だからなのか、いつもよりもやる気が籠っているのが遠目からでもわかる。その隣では野球部が並んでランニングをし、向こうのコートではテニス部がサーブ練習に励んでいた。 そうしてその真反対に目を向けてみると、あちらでは弓道部が練習の準備に取り掛かっている。その様子を少しばかり眺めていると、やがてその中の一人がこちらの目線に気がついた。彼女は手を振って、私に向けて声を上げる。 「(はな)じゃん!やっほー!」 とても日本武道を行う者の風格とは思えないくらいの陽気さで、彼女ははにかんでいた。それに向かって、彼女と比べるならまだ静かな方だが、私もまた手を振り返す。 彼女の名前は相良夏希(さがらなつき)。弓道部に所属する、私のクラスメイトだ。 「今日も夏期講習だったの?花も大変だねー」 「……うん。なーちゃんも頑張ってね、部活」 私から弓道場の方に近づき、彼女と会話できる距離まで進んでそんなやり取りを行う。清楚を表す袴服は風に晒されなびき、同時に彼女の長い髪も揺らしていた。 弓道をするときには、彼女は決まってその髪を結ぶ。ポニーテールもストレートに流した髪もよく似合う彼女は、その陽気な性格で周囲からの人気もあった。 「にしても暑いねー。熱中症には気をつけなきゃだね~」 「───。そう……だね」 「……花、大丈夫?なんか体調悪い」 「う、ううん。なんでもないよ」 私の憂鬱を帯びた声色に反応してか、彼女は首を傾げて疑問符を浮かべた。 ───。 やはり、同じ世界線でも何度も周期をすれば、このような些細な異変も生じるということなのだろうか。それは言うなれば、いや、裏を返せば、私の頭を維持する精神安定剤のようなものだろう。だとすれば今は、この変化に感謝を覚えてしまった。 「あ、そろそろ部活始まっちゃう。じゃあね、花!また!」 「うん。……頑張ってね」 それで彼女との会話は終了する。せっせと弓道場の奥に姿を消した彼女から目線を外し、私もまた踵を返した。 ……こんなささやかな会話の一つさえも、私にとっては何度も何度も繰り返したことだ。だから私は今も、この胸にずしりとのしかかる憂鬱に嘆く───。 ───私はこの高校二年生の夏を、もう22回は繰り返している。 それは8月31日を終えて、再び8月1日に戻るというもの。そこから夏休み最終日をもう一度迎え、そうしてまた始まりに戻るという現象であった。 私はこれを初めて経験したとき、ついに自分の頭がおかしくなったのだと錯覚した。あるいは夢の世界で意識を持った故の事故なのか、はたまたもっと違うものなのかとも。だがこのループを何度か繰り返す内に、私はついに理解したのだ。……この理解し難い現象についてを。 私はこのことを、自身の中で『ペンデュラム』と名付けるようにした。このような超常現象に名をつけずに接するのは、かなり精神的にくるものがあったからだ。名前があるのとないのとでは、精神の持ちようが違う。自分が名付け親となることで、まだその事実を少しだけだが飲み込むことができたのだ。 『ペンデュラム』23回目の世界線、その8月1日という立ち位置に、今の私は存在していた。つまりは昨日までの私は、馬鹿げた話だが8月31日に生きていたということになる。記憶はすべて引き継がれ、こうして今初日の夏休みを過ごすことになるのだ。 原因は不明。解決方法も……不明。この狂った世界線を辿り続けるだなんて、私にとっては地獄でしかない。同じ一ヶ月という日々を、22回同じように辿り、生きる。それはなんとも、頭のおかしくなる事態であった。 朝に起きたときの母親の言葉や、テレビに映るニュースの内容も、用意される食事のメニューも、夏の喧騒も、友達との会話も、その日の天気も、洗濯物の量も、その日に起きる何もかもすべての出来事さえも、私は網羅をしてしまった。 永遠の夏休み、終わらない蝉の合唱の中に、私はいつからか閉じ込められるようになったわけだ。二度と訪れない9月の匂い。それは私の胸を深く抉り、容赦なく壊していった。 22ヶ月を過ごしてきた。それは言い換えるなら約2年という計算となる。私はこの狂った夏休みという期間を、もうそれくらいは繰り返してきた。こんなうだるような暑さだって、蝉の五月蝿い鳴き声の群れでさえ、私にとっては精神に支障をきたす害でしかない。 ……私はいつ、こんな地獄から救われるのだろうか。 8月1日には決まって夏期講習としてこうして学校に訪れていた。そうして同じ講習を何度も受けて、帰り際にはなーちゃんと会話をして帰路につく……。そして無論だが、次に訪れる出来事も予想がつくのだ。 校門を出て、近場にある公園の脇道を通る。真横を見れば公園の中では大人と子どもが混ざってハンドボールを楽しんでおり、微笑ましい光景が広がっている。これも、飽きるほどに見た光景だ。 そこに目を凝らすと、やがて一人の大人がくしゃみをするのだ。それを見て他の子どもが「夏風邪だー」と指摘をし、くしゃみをした本人は照れながら髪を掻き始める。 そんなやり取りを凝らしていた目でため息する。……何度目にしても変わることはない、ループに固定された現象の一つであった。 「変わらない、か……」 私は立ち止まり続けて、そう呟く。わかっていても、悔しかった。それになにより、頭がまたおかしくなりそうだった。 こんな世界で生き続けるのか?これからも、ずっと……? 私はこれからも同じ世界線の夏休みを繰り返し、歳はとらず、記憶だけは引き継がれ、狂った世界で狂ってないフリをして生き続けなければいけないのだろうか?それはどんな地獄なのだろう。友人も家族も近所や学校の先生の誰も彼もが、私を新しい私として日々接していくというのに、私だけが、こうして独り取り残されて孤独を強いられる───、 「……私は、どうしたら、」 思わず電柱に寄りかかり、熱を感じる。誰でもいいから、助けてよと……私はいるはずもない神様だとか、奇跡に頼ってしまう。 こんな理不尽を、あと何度繰り返す?どうすれば私は、救われる───? どうせなにも変われないのなら、もういっそのこと、自ら幕を───、 「───こんなところで自殺志願?諦めるのが早いわねぇ」 「───っ!?」 ふと聞こえた、場違いすぎる甲高い声。私はそれを敏感に察知すると、すかさず周囲を眺め始めていた。今のは……なに? 「ここよ、ここ。真上を見なさいな」 「上って……あっ、」 見ればそこには、ありえないはずの場所にありえない人物が座っていた。それは電柱の真上、そこに突き刺さっている銅に焦げた太いネジを椅子代わりにし、座り込む人間であった。 「だ、誰……!?」 見たところは少女で、私よりも背丈は低い。彼女はその緋色の長い髪をツインテールにし、黒いリボンをその左右に付けていた。しかしもっと着眼すべきは、その服装だ。 まるで西洋のおとぎ話にでも出てきそうな、白と黒を基調としたゴスロリ服を身にまとっているのだ。それはなんとも日本人離れした印象で、私にとっては三つの意味で衝撃を与えてくれた。 一つ目は、まずその身なりについて。二つ目は、ありえない場所からの出現について。そして三つ目は───、 「私のことを……知ってるの?」 彼女という存在が、私の生きる世界を知ったような口ぶりをしたということについて。つまるところ、このループ現象を把握し、そのことについてたった今指摘をしてきたのだ。これは、今までにはなかった紛れもない異変、特異点だった。 彼女は電柱の真上からニヤリと不敵な笑みを浮かべ、尖った八重歯を見せて口を開く。 「知ってるわよ、貴女のことはね。だって……もの」 「え?……どういう意味?」 「そのまんまの意味よ。私は別次元の、ここからでは鑑賞できない場所から、貴女を鑑賞していたの。高みの見物、と言っても適切かもしれないわね。くすくす……」 「別次元、鑑賞……?」 彼女の口にしていることは、傍からすれば頭のおかしいことだった。だが今の私には、彼女のすべての言葉をそのまま否定し嘲笑うことはできない。なぜならそれは、すべて実際に起きうることなのだから。現にこうして、私がこのループ世界に囚われてしまっているように───。 「よっと、」 彼女は軽やかにその体躯を電柱から引き剥がすと、そのまま落下し地に足を付ける。その身のこなしに舌を巻くと、彼女はドレスの両端を摘みながら、優雅に一礼し名を名乗る。 「フルール。私のことはそう呼ぶといいわ。外国人の女の子とお友達になった感覚で接していけばいいから」 「フルール……」 眼前の少女は理解し難いその振る舞いと態度を示し、私の思考を翻弄する。目の前に存在する初対面の少女に、同時に私は恐怖や不安といった感情も抱いてしまった。まるでその目は、私のすべてを見透かしているかのように感じられるのだ。無論、こんなのは憶測の域を出ないのだが───。 「今は私の存在については、あんまり触れないでおくわ。詳しく説明しても、混乱を深めるだけだものね」 「……説明しなくても混乱するけど」 「あっはは、そうね、それもそうだわ。……ふふっ、さすがに同じ一ヶ月を何度も繰り返していたら、疑心暗鬼にも精神不安定にもなるってことか……。無理もないわね、これは」 ウンウンと頷き、彼女は年相応の仕草で納得していた。見たところは小学生の低学年のような容姿ばかりが引っかかるが、彼女の言う通り、ここでその詳細を聞いたところで、私の今の気力では理解することも難しいはずだ。それは、なによりも自分自身がわかっていた。 「じゃあ、あなたのことは詳しく聞かない。だから代わりに、聞かせて。───あなたは、どうして私の前に姿を現したの?」 まずは聞きたいことを、直球にして投げてみた。 その質問に彼女は一瞬だけ笑みを作り、次の瞬間には答えていた。 「───飽きたからよ」 「……え?」 間髪入れずにそう聞き直す。すると彼女は人差し指を自身の唇にピタリと付け、それから整った瞳を細めてから無邪気に笑った。 「それは、どういう意味?」 「そのまんまだけど?私はね、あなたのことを観測するの、もう飽きたの。だからここへ来た。クレームを付けるためにね」 「クレーム……って、なに?」 「私、あなたには呆れてるの。こんなに同じ8月を繰り返して、まだそのに辿り着けてないってことが、心底。これじゃあ鑑賞料も返金してほしいものだわ。まあ、払ってすらいないけど。……くすくす」 内心で、私はこのフルールに対して苛立ちを覚え始めた。要は彼女は、勝手に私の悲劇を鑑賞して、勝手に飽きて、勝手に怒っているというわけだ。そんなのは、知らない───。 「……だからなに?私はこんなに悩んでいるのに、あなたには関係ないでしょ」 少しだけ威圧をかけると、彼女はなおも余裕な表情を壊さずに、やはり笑って応答する。 「あっ!怒ったぁ?ごめんごめん、こればっかりは反省しなきゃだね。……でも、じゃあ私も真面目に答えるわ。あなたのためにも」 「なにを───」 そこで彼女は向き直り、私の瞳の遥か奥を射抜くような眼差しで一言を口にした。 「───あなた、取り込まれてるのよ。この狂った8月にね」 「……」 「じゃあ、取り込んだのは誰か?何か?さて、あなたにはわかるかしら?」 試すような物言いだった。やはり、彼女は常に私の遠くを歩く存在だったわけだ。生きる次元が違うというのは、おそらく本当なのだろう。……また、生き物としての土台、格でさえ───。 「まあ、わかるわけもないか。じゃあ代わりに答えたげる。……答えは、」 その先を、彼女は即座に口に出してみせた。 「───犯人は、紛うことなき人間よ。あなたと同じ、この世界に生きる、誰か」 ───その発言は、大地を熱気と共に揺らした。
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