第10話 動く者達

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第10話 動く者達

───じんじんと鳴く蝉達の声の群れ。陽の差す青空はいつまでもその色を拡げ、海は絶え間なく生きていた。 真夏……それも、熱気の籠った弓道場ともなれば、それはいよいよ砂漠かそういった類の気温に近い。人数や密閉空間といった要素もあるだろうが、一番の理由はそれであった。 ───直径36センチ、その的までの距離は、28メートル。 獲物を狩るように、今日も彼らは弓を引き、穿つように矢を宙に走らせる。うだる熱気を振り払い進むかのようなその矢は、鋭い音を立てて的を射る。 「……夏希、夏希!午後時間ある?」 そんな部員の様子を眺めていた夏希に向かって、一人の女子が声をかける。暑さのせいでぼうっとしていたのか、夏希はすぐには反応できなかった。 「───えっ?なに……午後?空いてるけど」 「あぁ、良かったぁ。ちょっと本屋寄ってかない?検定近いからさ、参考書でも買おうかなって」 「あー……いいよ。どうせ暇だし」 今日の部活は午前のみだ。よって、そろそろお開きになる時間帯である。 「こらこら、練習中だぞー。お喋りは終わってからな」 そんなやり取りを窘める顧問の繁田(しげた)先生と、注意を促され「ごめんなさーい」と謝る彼女。繁田先生はそろそろ30を迎える男性で、歳のせいか暑さに弱く、顔をタオルで拭いていた。 「……ふー、暑いなぁ。やれやれだよ」 「繁田先生、なんだか目の隈酷くなってません?なにか悩み事でもあるんですか?」 怒られたついでにそう尋ねる彼女に、彼は「ああ……」と弱気になってはにかむ。 「実はさ、ここ最近の弓道部にマネージャーが欲しくてな。誰かいないかなーって考えてて、それで疲労も溜まってるのかもなぁ……」 「マネージャーって、必要なんですか?」 今度は私が尋ねると、彼は頷いて続けた。 「まあ、もうすぐ大会もあるし。一人くらいはそういう裏方の生徒も欲しいんだよ。今はいないけど、実はだいぶ前はマネージャーの一人や二人はいたもんだからな。……またそういう人間が必要になってきてんだよ」 「へぇー……。あ!じゃあ私、友達に聞いてみましょうか?適当に帰宅部の子とかに声かけてみますよ」 彼女の言葉に繁田先生は「本当か」と言い、それは助かると表情を作る。 「あ……じゃあ私も声かけてみますよ。ダメもとでいいなら、ですけど」 私もそう同じように言う。マネージャーとなれば、できるだけ周りをよく見ることができる子が必要だろう。私はそういう子には心当たりがある。……今度にでも、声をかけてみるか。 「悪いな二人とも。じゃあ、よろしく頼むよ」 ───彼女のことを頭に思い浮かべ、私は弓を握る手を緩めていた。 2 橋崎響也(はしざききょうや)は、昔から体が弱く寝込んでいるような人間だった。 肺の気管が弱っており、過度な運動をすると命に危険が及ぶとまで医者には言われてきた。だから彼は幼稚園の頃から、周りの友人と外で遊ぶということはできず、いつも部屋の中で本を読んでいた。 それは小学校、中学校と続き、ついに彼は自分はそういう星の下で産まれた人間なのだと諦め、理想を描いたような運動部に入ることはおろか、体育の授業でさえも日向で眺めただ何も考えずにい続ける。 そうして月日は流れ、彼は高校に入学をする。そこでも運動はできないとされていたが、ある日のこと、その奇跡は偶然、彼の正面に顔を覗かせることとなった。 「激しい運動はダメでも、たとえば弓道なんてどうでしょう。落ち着いて励むことのできる競技ですから、橋崎くんでも大丈夫かと思われますよ」 それは、高校から新しく通い始めた病院で、担当の医者から言われた言葉であった。 「……弓道、ですか。弓道なら、俺にもできるんですか?」 「ええ、私の考えですが。君は話を聞く限り、やはり運動部を希望しているようですので……弓道部があるなら、せっかくの機会です。試してみてはどうですか?」 中年で、優しい印象の先生は、そう言って皺のある顔を和ませる。それを聞いたときの彼の気持ちは、おそらく彼以外には想像もつかないことであろう。 日の下で自由に体を動かすことを許されず、ただいつも体育に励む同級生の群れを眺めていることしかできなかった彼に訪れた、最大の機転。 「やります」 即答だった。自分がここまで思い切った決断をしたのは、生まれてきてから初めてのことだった。 「俺、弓道やります。───変わりたいから、自分のやりたいことを正直に」 「……ええ、そうしてください。なんせ、あなたはまだまだこれからですからね」 ───それが彼の、弓道との出逢いであった。
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