第8話 おかえりとただいま

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第8話 おかえりとただいま

その夜はすぐに家に戻った。幸いにも家族の皆はよく眠っていて、誰も私の外出を咎める者はいなかった。 そうして少しばかりの睡眠を取って迎えた朝、私を揺さぶって起こしたのは、あの文雄であった。私はいつにもない彼の少し慌てた様子に疑問符を浮かべ、彼の話を聞くことに。 ───そこで耳にしたのは、予想外の言葉となった。 「僕、なんでこの家に拘ってたんだろう……?」 それは彼の焦りと不安、その他様々な感情を含んだ声色。だから私もすぐに睡魔を払い除け、彼の一挙手一投足に集中してしまった。 ───彼は、ようやく気づいたのだ。 自分がありもしない妄想に囚われ続け、意味もなくこの家に居続けた過ちに。そして、後悔を……ようやく、自覚したのだ。 それは奇跡。あるいは、必然である。 あの元凶であった少女、パラノイアがこの世界から掻き消えたことにより、彼は初めてその束縛から逃れることができたのだ。私はその結果の原因をそうだとして理解する。そしてすぐに、私は彼の頭を抱きしめていた。 「……は、花音?」 そんな急な行為に彼は動揺し、しかし私はその腕を解きはしなかった。そして一言、 「───ようやく、帰ってきたんだね……」 それだけを零して、一筋の涙を落としていた。 2 次の日は、私が福岡の家から帰る日となった。しかしそれは一人だけの帰宅ではない。───文雄と共に、帰る日だ。 「……寂しゅうなるねぇ」 家から庭に出て、おじいちゃんとおばあちゃんに最後の挨拶をしていたときに、二人は数度それを口にした。特に文雄は、5年間もの間この場所で過ごしてきたのだ。彼らの気持ちを考えれば、無理もないだろう。 「今までありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん。僕、この場所が好きだったよ。いつまでもこの気持ちは、変わらない」 「……文雄」 私の呼びかけに頷いて、彼は続けた。 「でも、そろそろ……お別れしなきゃ。僕には、向こうでやらなきゃいけないことがある。───だから、行くよ」 文雄は覚悟を決めていた。5年もの空白を生んでしまった向こうの家に戻る決意を、彼はその胸に固めていたのだ。 ───過去に置いてきてしまった、梢にも……これでようやく再会できるのだ。 「文雄」 最後におじいちゃんは、彼の頭を伸ばした片手でわしわしと撫でた。 「おじいちゃん……」 「しっかりな」 短く、しかし熱を帯びたその言葉に、文雄は力強く頷いた。 「おばあちゃんも、元気でね」 「向こうでも、元気にやるんよ……?」 文雄は去り際、二人に感謝の言葉を並べていた。それは5年間という重みを持った、そんな価値のあるもので。だから私は、その空気に複雑になる。 でも、帰らなければ。帰って、やり直すんだ。……文雄と共に。 挨拶が済んだところで、私と文雄は背を向けて歩き出す。車は要らないと言った。───文雄は最後の最後に、この街の風景を目に焼き付けたいと言ったから。 手を振って、敷地を出る。もう振り返らない。振り返ることは……許されない。 私は文雄と道路を歩き、しばらくを過ごす。 木漏れ日が私達を強く照らす。陽の光は相変わらず今日もはっきりとしていて、蒸し暑い。ジワジワと唄う蝉達の合唱も、ここだけの特別なものだった。 「……ねぇ、花音」 「なに?」 「───僕、やり直せるかな。ちゃんと」 「やり直せるよ。……頑張ろう」 不安に駆られる彼を励ます。彼の気持ちを考えると、その心境は複雑なものなのだ。 ───梢。文雄はあの子に、何を口にすればいいのだろうか。 そもそもの発端とは、あのパラノイアという少女の手によって引き起こされた悲劇。彼女が文雄を束縛するために、この街に彼を招いたのが原因なのだ。 しかしそんなことは、文雄も梢も知る由もない。私が事情を口にしたところで、彼らの思考に疑問符を浮かばせるだけだ。 だからこそ……私は歯痒い。この現実もまた、苦境なのだ。文雄にとっての、挫折。 「でも、勇気を出さなきゃ、駄目だよね」 「文雄……」 「梢に謝って、やり直したいんだ。また一から。……そこからどれだけ時間をかけたとしても、必ず元通りにしてみせる」 「───うん」 ───街のすべてが、そんな二人を包み込んでいた。 3 そうして私達は家に着く。玄関先に見かけた文雄に、両親は慌てて駆け寄った。 その騒ぎに気づいて梢がやってくる。彼女は一瞬目を大きく見開いて、その直後には彼の元に走り出しその胸に飛び込んでいた。 「───ただいま。……遅くなって、ごめん」 文雄はその頭を強く抱きしめ、受け止めた。その言葉に強く頷き、梢はとうとう泣き崩れる。 「遅い……よ!今まで、何してたの……っ!」 「ごめんな。心配かけたよね。……でも、これからはずーっと一緒だ。だから、許してくれるか?」 「バカ……バカぁ!うっ……くぅ、」 その光景を見て、私は胸を痛め目を閉じる。二人のそんな姿を見るのは、何年ぶりだろうか。 思えば小学生の頃から、梢はよく泣いていた。それを受け止め励ましていたのは、いつだって文雄だったのだ。 何か悲しいことや、辛いことがあっても、彼女はその度に文雄に顔を埋め尽くし泣きじゃくった。そうして大きくなり、今の彼女があるのだ。 ───だから……それ故に酷く、懐かしい思いに晒される。 私はそんな文雄を見据えて、ただ一言、静かに告げた。 「───おかえり、文雄」
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