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屋敷に戻ると、ちょうど屋敷の中から男が出てくるところだった。菖蒲は一瞬身構えたが、その顔を見てすぐに警戒を解いた。彼は菖蒲の殺気を払うように、軽く顔の前で手を振った。
「そんな目で見ないでくださいよ、怖いなあ」
少し垂れた焦げ茶の瞳が柔和な雰囲気をつくっているが、上位のあやかしだということはその命の灯の輝きからも明らかだ。
「梟、何か用か?」
彼は菖蒲と同じく鳥のあやかしで、日頃は人の中に紛れて生活している。あやかしとしての生は、二百年ほど。そのうちの半分は人の世で過ごしているという変わり者だ。
「燕さんから連絡をもらってきたんですよ。新しい、小鳥ちゃんのことで」
「──雛が、どうかしたか」
「結論から言うと、大したことはなかったんですけどね。夕食を食べてすぐに吐いたそうで。心配した燕さんが、俺に使いを送って寄越したんです」
梟の人としての職は、医者だ。数年ほどで別の病院に移ることを繰り返し、あやかしであることを隠しながら今のところ上手く立ち回っているようだ。あやかしは傷を受けて弱ることはあっても、病気をするということがない。雛の嘔吐が何に由来するものか判断できなかった燕は、まず梟に診せることを思い付いたのだろう。
「それで? 結局何だったのか」
「体温や脈、喉の様子にも異常はなし。おそらくですけど、普段食べ慣れてない量を食べたことで、胃がびっくりしちゃったんじゃないですか」
「食べ過ぎ、ということか?」
「むしろ、普段が食べなさ過ぎだったんじゃないかと。三食きっちり摂っていたかもあやしいところですね」
「……」
確かに雛のあの身体は、日頃十分な栄養を取れているようには見えなかった。だからこそ、しっかり食べさせて、もっとふっくらさせるように小鳥たちに命じておいたのだが。どうやらそれが裏目に出たようだ。
「まあ、最初は消化のよいものから始めて、様子を見ながら少しずつ量を増やしていけば大丈夫でしょう。詳細は燕さんに伝えてあるので、後で聞いてください」
「そうか。悪いな」
「いえ、構いません。今日は仕事の方も休みでしたし。それより、あの小鳥ちゃん、何か体調を崩すことにトラウマでもあるんですか?」
「とらうま?」
「ええと、嫌な記憶とか、過去とか。吐いた後、しばらく泣いてたみたいですよ」
「泣いて……?」
「ごめんなさい、って言ってましたね。たぶん、俺にでも、燕さんにでもなく」
死んでもいい、と言った少年は、今もなお過去に囚われ続けている。過去の呪縛というのは、そう簡単に抜け出せるものではないのだろう。
「梟、うちの鳥が世話になった。この件の支払いは後日」
「ええ。ツケときます」
梟はそう言うと、即座に踵を返した。彼が梟に変化するのを見ることなく、菖蒲は屋敷の戸を開いた。
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