鷹と雛(序)[過去]

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鷹と雛(序)[過去]

 「蛇」が人間の女を囲っているという噂を菖蒲(しょうぶ)が耳にしたのは、梅雨の初めのことだった。それに対して特に感想はなかった。ああ、また百年の時が過ぎたのかと、気付かされただけだった。  蛇のあやかし──(えんじゅ)は人と契約し、あやかしの害から守る代わりに、百年に一度人の子を花嫁として迎え入れている。本当に槐の屋敷に人間がいるというのなら、契約の遂行以外に考えられない。  囲っているのではない。意味のない約束を守り続けているだけのこと。あれは、そういう男だ。  花嫁が槐の子を宿せば終わる関係に過ぎないということを、菖蒲は知っていた。あやかしを産むことに耐え得る人間などごく稀だ。人の肉体も精神も、あやかしを産むには脆すぎる。  皮肉なことに、母親の命と引き換えに生まれた子もそう長くは持たない。菖蒲自身もそうだが、力のあるあやかしほど繁殖力は弱く、子が育つことはめずらしい。  故に、あの契約は無意味。菖蒲の目には、永い時を生きることに飽きたあやかしが時間をつぶしているようにしか見えなかった。  これまでの例からすれば、秋にはその噂も消えているはずだった。槐の相手などいくらでもいる。他の噂に紛れ、何事もなかったかのように消えていくはずだった。  しかし、今回は違った。むしろ、槐が人間の少女を溺愛しているなどという、新たな噂が生まれる始末。──溺愛? そんなはずはない。あの男に限って、そんなことは。  あり得ない。そう思ったからこそ、見に行くことにした。見れば、根も葉もない噂だったと一目で分かるに違いない。ろくに側仕えも置かず、孤独な老人のように暮らしている男を、からかってやるつもりだった。  その、つもりだった。屋敷の庭の池で、魚に餌をやる少女と、それを穏やかに見守る蛇を見るまでは──
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