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「あと俺としては、あやかし避けの印を施していないことも気になりますが」
梟の言う印とは、所有印のことだ。血などの体液を用いて対象物に印をつけておくことで、自分のものだと主張することができる。それがあると、格下のあやかしは手を出しづらくなる。
「いずれ、とは思っていたが。やはり必要か」
「そうですね。一応、つけておいた方がいいと思いますよ。側にいるだけでも多少あなたの匂いは移るでしょうが、抱くくらいしないとあやかし避けとしての効果は薄い」
槐がそれを芹にしていたことは知っている。あの男は繰り返し芹を抱き、さらに印を刻むことで、己のものだと明確に主張していた。確かに、あれほど強く蛇の匂いをさせた人間に手を出す命知らずなど、そうそういはしまい。
「まあ、あやかしの気に当てられた件については、もしかしたら何もせずとも、徐々に慣れて改善されるかもしれません。しばらく様子を見ていただいても構いません。ただ、あやかし避けについては早めに対処されることをお勧めします」
梟が屋敷を去ると、菖蒲は雛の様子を見に部屋へと戻った。雛はまだ起きていて、布団の中から顔を出して、ごめんなさい、と言った。
「その、呼吸をするように謝る癖、なかなか直らんな」
「ごめ……」
また謝ろうとして、雛がはっと口を両手で押さえる。菖蒲は思わず笑ってしまった。
「いい。ゆっくり直せ」
「はい」
「儂は、謝られるより礼を言われる方が気分がいい。覚えておけ」
「……はい」
菖蒲は布団から出てきた細い手首に目を向けた。手首だけでなく、腕も、脚も、腰も、雛の身体はどこもかしこも細い。食うにはまだ早い──どのような意味においても。
「雛」
「はい」
「今からおまえに、印をつける」
「しるし……?」
「そうだ。あやかしの中には、あやかしを見る力を持った人間を欲しがるものがいる。それらが寄ってこないよう、儂のものだという印をつける」
まずは、生かす。心と身体を本来あるべき姿に戻す。全てはそれからだ。
菖蒲は、自身の人差し指に歯を立てた。じわりと、口の中に血の味が滲む。
「雛、腕を」
雛が差し出してきた腕に、菖蒲は己の血で印をつけていった。
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