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その日は、柊が来ない日だった。雛は午前のうちに課題を済ませ、午後からは木陰で本を読んでいた。いくら東北とはいえ、本来落ち着いて本を読んでいられるような季節ではない。山奥だから涼しいのかとも思ったがそうではなく、菖蒲の屋敷のある一帯には茹だるような暑さというものは存在しないらしい。あやかしの世には、一年中冬の寒さしかないようなところもあれば、夏の暑さしかないようなところもあるという。菖蒲の屋敷には、もしかしたら秋だけが訪れているのかもしれない。
黙々と読み進めていると、不意に頭上から影が差した。
「……あざみさん」
顔を上げた先で、金に近い茶髪が揺れている。変化した姿だけ見れば、十五、六の少女にしか見えない。他の小鳥たちと比べると幼いが、それでも雛よりは何十年も長く生きているというのだから不思議だ。
「あなた、まだ菖蒲様のお部屋にいるの?」
「え?」
「夜のことよ」
「ああ……、はい」
「はい、じゃないわよ。もう慣れたでしょう? 自分の部屋で寝なさいよ」
「しょうぶさんが、いていいって……」
「言葉通りに受け取ってどうするの。他人が自分の部屋にいるなんて、迷惑に決まってるじゃない」
言われてみれば、そうかもしれない。だがそれは一般論だ。
「しょうぶさんは、迷惑だったら迷惑だってはっきり言うと思う」
雛が拾われて、もうすぐひと月経つ。菖蒲のことも、少しずつだが分かってきた。彼は楽しいこと、おもしろいことが好きで、無駄なこと、面倒なことが嫌いだ。雛を拾ったのも、同情や憐れみからではない。雛が邪魔になったなら、そのときはきっと、はっきりそう言ってくれるだろう。
「……知ったような口を利かないで。あなたなんて、ただの暇潰しのおもちゃなんだから」
「うん、そうだよ。でもそれは、何かいけないことなの?」
暇潰しでもおもちゃでも、構わない。これまでも、似たようなものだったから。しかし菖蒲は、雛の心を認めてくれる。何も考えない、感じないおもちゃから、心を持ったおもちゃへと昇格したのだ。
こんなしあわせな生活が長く続くはずがないので、菖蒲が許してくれる間は、彼の側にいる。ただ、それだけだ。
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