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帰りは、あやかしの道を使わずに人の道を通ることにした。あやかしの道というのは、人の道を行くより楽に移動できてよいのだが、ただただ鬱蒼とした木々が続くばかりでつまらない。菖蒲はあやかしの道を開くことなく、変化を解くと、鷹のあやかしとして本来の姿へと戻った。
体勢を整え、羽を広げる。地面を蹴り宙へと羽ばたくと、全身に風を感じた。季節は夏。視界を遮るものはなく、燃えるような夕焼けが青空を侵食している。菖蒲はしばらく飛行を楽しむと、羽ばたきをやめて滑空した。
菖蒲の屋敷には、彼の眷族である小鳥たちが数羽暮らしている。全て雌だが、身体の関係はない。側に置くなら美しいものの方がよいというだけのことだ。
彼女たちをあまり待たせ過ぎるのもよくないかと思い直し、菖蒲は地に降り、再び人の姿に変化した。あやかしの道を開くべく右手を広げた、そのとき。菖蒲は空気の異変に気が付いた。このような場所に本来あるはずのない──人間の、香りがしたのだった。
山の奥深く、人の世とあやかしの世の境目。あやかしの道が勝手に開いたり閉じたりするようなこの場所は、人が容易にはたどり着けないようになっている。そもそも、誤って立ち入るにしては麓から遠過ぎる。
菖蒲は槐や木蓮とは違い、人に対して何の義理立てもしていない。だから別に、人が危うい領域に迷い込んでいたからといって何ということはないのだが──興味は、あった。菖蒲は基本、好奇心で動く。人の身でこんなところまでたどり着いてしまった者とはどんな者なのか。菖蒲は香りを追って歩き出した。
そう遠くないことは分かっていた。香りで分かる。どうやら幼子であるらしいということも。人の子がこのようなところにいるのは、どうぞ食べてくださいと言っているようなものだ。興味本意で近付いてみればなかなかの厄介ごとであったなと、菖蒲はひとりごちる。斜めに突き出した木の枝を潜った先で、「それ」と目が合った。
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