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百年も前ならともかく、今の世で、そのような理由で我が子を山に置き去りにする者がいるとは思えない。菖蒲は、あまりに肉付きの悪い、骨ばった身体を見下ろし尋ねた。
「そんな戯言、本当に信じているのか?」
確認の意味で尋ねると、目の前の瞳から光が消えた。その目を、菖蒲は随分前から知っているような気がした。
「親に、捨てられたか」
「……」
「山を下りれば、他に生きる道もあるだろう。ここにいてはあやかしか獣に襲われて死ぬだけだ。これ以上暗くなる前に、元来た道を帰るがいい」
あやかしも人も、必ずしも親がいなければ生きていけないということはない。いかにでもやりようはあるはずだ。
帰りの道で襲われたのでは、寝覚めが悪くなる。乗りかかった船だ、麓までの道を開いてやるか。そう思った菖蒲に、幼子は虚ろな声で応えた。
「それでも、いい」
「何?」
「死んでもいい」
虚勢を張っているようには見えなかった。全てを諦めたような、無表情。これは、そう──あの男と同じだ。
「死んでもいい、だと?」
「きっと、お母さんもそう思ってる」
違う、とは言えなかった。おそらくその通りだろう。
「母に死ねと言われれば、おまえは死ぬのか?」
一呼吸置いて、細い首がこくりと頷く。
人間を助ける義理などない。ないのだが、こういうのは。とても、腹が立つ。
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