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わたしのことはさて置いて。
そう言えば鏡子を語る上で、ひとつ面白い話があります。
バレエと言えば、あの時分ーーわたしたちのバレエ教室には、ただひとりだけめずらしく、男の子が通っておりました。
渡辺歩という少年は、バレエをやるには相応しくないーーつまりはわたしと同じ側の、まるで凡庸な子どもでした。
実家はたしか商社だったか、とにかく裕福な家庭でして、ひとり息子の彼は大いに愛され育てられたのでしょう。ぷくぷくとよく肥えた頬をして、背の低い丸い体はまさに、小型のハンプティ・ダンプティ。
歩は気のいい子どもでしたが、見た目が気に入らなかったのでしょう、黒部先生は彼に対し、侮蔑とも無関心ともつかぬ、氷の心で接していました。
(もっとも、彼の両親の前では、かなりの『演技』をしていましたが)
……はじめに申し上げておきますが、歩は鏡子が好きでした。
身のほど知らずの恥知らず。天と地が三度裏返っても、鏡子が彼を選ぶことなどありえないに決まっていましたが、消極的な彼はその点、よくよくわかっていたようでした。
自分にはまるで魅力がない。だが鏡子には振り向いてほしい。
歩は散々迷った挙げ句、希望を「一段階」下げました。
(たとえ恋人が無理だとしても)
年頃の男子にはめずらしく、わざといじわるしたりはせずに。ただ「鏡子ちゃん、鏡子ちゃん」と、犬のように後を追うことで、視界に映ろうと努めました。
心やさしい、いくじなし。その滑稽な容姿からして、人に低く見られがちな彼です。もちろん当の鏡子からも、出会った当初から冷たくされ、あしらわれ続けてきたのですがーーある日、とうとう泣きながら、切なる想いを打ち明けました。
「鏡子ちゃん、おねがい、ぼくと……」
ーーぼくと、「おともだち」になって……。
口をゆがめ、地団駄を踏み。傍目を気にせぬその醜態は、まるでだだっ子のように無様なみっともなさの塊でしたがーーその哀れっぽい表情が、鏡子を動かしたのでしょう。
「いいよ」と。
あのうつくしい眉をあげ、鏡子はさらりと言いました。
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