*****(伏せ字)

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もう知る由もありませんが。 実際のところ、鏡子のバレエの才能というのは、どれほどのものだったのでしょうか。 たしかに彼女には華があり、身体能力や表現力の面でもセンスは抜群でした。 もしも弱点があるとするなら、それは彼女の精神性ーーバレエを愛し、上達のためにすべてを捧げる不屈の覚悟という点で、彼女は生まれつき「不適」でした。 今よりうまくなることで、今よりもっと喝采を浴び、今よりもっと褒めてもらいたい。 そうした承認欲求こそが、人を芸術の道に走らせるひとつの原動力だとすれば。 ーー鏡子はバレエなどしなくたって、いつだって誰かの無償の愛を勝ち得ることができました。 例えば黒部先生は、バレエ教室を閉めた後も、バレエから離れたはずの鏡子を自分の家に呼び続けました。 もはやレッスンのためでなく、鏡子を愛したいがため。そこには多少ながら金銭のやり取りもあったようでした。 その時期、鏡子が先生と二人で出かけた折に撮った写真を、わたしは目にしたことがあります。 魔女先生の変貌ぶりに、わたしは正直、驚きました。 黒髪の色はあせにあせ、顔には深く皺が刻まれ、何より意外だったのは、バレエで鍛えた先生の背筋が少し曲がっていたことでした。 同じ人間が数年間で、これほどまでに年老いるとは。まるでそれまで先生を支え続けてきた「芯」のようなものが、ポキリと折れてしまったように。 そして、それと対照的に。鏡子はますますうつくしく、妖艶なまでの女の色気をその身に蓄えてゆきました。 「ねえ、先生とまだ寝てるの?」 「まぁね、気が向いた時だけ」 鏡子のすました言葉と笑みに、わたしはいつもやきもきとして、嫉妬の念に囚われましたがーーさりとて鏡子を自分の物だと主張する気はありませんでした。 (鏡子はわたしの物じゃない。わたしが鏡子の持ち物なのだ) その点では、黒部先生も、似たような気持ちだったのでしょう。 あまりに強い想いを込めて、鏡子を見つめ続けた結果、もう自分にはこれ以上、彼女を愛しようがない。 刑事さんは、おわかりですか? ある愛おしい対象を、愛して愛して愛し抜き、その身のすべてを捧げたとして。 ーー愛情の果てにあるものとは、いったいどんな境地でしょうか。 これが男女間の愛ならば、恋愛の末に家族となって、子をなすことで二人の未来を夢見ることも可能でしょうが。女と女の愛なれば、どれだけ深く愛し合っても、愛の悲しみが見えるだけです。 時の流れというものは、氷のようにひとつの形を留めるものではありません。 うつくしかったものは色あせ、人間は歳をとっていきます。 わたしも黒部先生も、いつまで鏡子を自分の隣に留めておけるかわからずに、途方に暮れていたのでした。 ある時、鏡子は言いました。 「『ばばぁ』がね、しつこいのよ」 およそ彼女らしくもない、汚い言葉に驚いて、わたしは返事をし忘れました。 「そろそろ飽きてきちゃったのに」 残酷なことを話す鏡子の、あの蛾眉をわたしは見ていました。 *
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