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男は無精髭を撫でまわしながら、右手の拳銃を博士に向けている。
「わしも出来れば、ゆっくり見物していたいのだがね。時間がない。クーデターを起こした馬鹿者どもはわしを追って、今にもここへやって来るだろうからな」
会馬は真琴を庇い、一歩前に出た。
「これは閣下。今朝から行方不明とうかがっておりましたが、何かご用でしょうか」
20年の長きにわたり、独裁政治を行ってきた男は未明のクーデターで失脚し、元大統領となっていた。海外逃亡の恐れありとして、軍隊が血眼になって探しているところだ。
「タイムマシンをわしによこせ」
「断わっておきますが、これは動きませんよ」
男は天井に向けて引き金を引いた。
銃声が轟き、照明の破片が床に降りそそぐ。
「嘘をつくな。わしは今朝ここに忍び込んで、実験の開始からずっと見ていたのだ。試作1号機は時間移動に成功したじゃないか」
「音を立てると居場所がばれますよ。お静かに」
会馬の冷静な指摘に、男は鼻白んだ。
「嘘は言っていません。試作機は過去か未来に移動するだけで、空間移動は不可能だと言っているのです」
男はこめかみに神経の線を浮かべ、「それの何が問題だ、説明しろ」と聞いてきた。
「説明よりも、結論を先に申し上げます。こちらの条件を飲んで下されば、試作2号機を閣下に差し上げましょう」
「やけに物分かりがいいじゃないか。え?」
会馬は両手を広げ、肩をすくめてみせた。
「閣下は男で、銃を持っていらっしゃる。私たちは女。余計なやりとりを省いて、時間と労力を節約しただけです」
男は、ふんと鼻を鳴らした。
博士の論理に満足したようだ。
会馬の肩に置かれた、真琴の指に力が入った。
「条件を言ってみろ」
「私と助手に精神的および肉体的苦痛を与えないこと」
「もちろんだ、約束しよう」
「結構です。2号機は差し上げます」
「それだけか? まあ、もともとここに予算を回していたのは、わしだからな。だが貴様、見返りを要求しないのか?」
会馬は質問に答えず振り向くと、真琴に声をかけ、ウィンクした。
「2号機の用意をしてくれるかな。ひとりでやらせてごめんね」
真琴がうなずくのを見て、会馬は男の方に向き直り、口を開いた。
「謝礼は要りません。今は何も持っていらっしゃらないし、過去に戻った閣下からの謝礼は期待しておりませんから」
「貴様は無礼だが、会話はなかなか刺激的だ。時間旅行に成功し、クーデターの芽を摘み取ったら、ふたりを宮殿に招待しよう」
会馬は深々とお辞儀をした。
床に一滴、汗が落ちる。
「遠慮します。閣下は約束を破ろうとしていらっしゃる。先ほどの条件をお忘れなく」
「博士と助手に精神的、肉体的な苦痛を与えてはいけない……」
「閣下の女には、なりたくありませんから」
男は目を丸くして息を飲み込んだあと、爆発的に笑い出した。
「面白い女だ、会馬博士。もっと早くに知り合いたかったものだな。……いや、約束を破るつもりはない。だからわしを過去に送れ」
「未来ではないのですか?」
男は顔をしかめて、首を左右にふった。
「賢明です。未来に再起のチャンスはありません。未来に行っても、待ち受けている敵に捕まるだけですから。選択の余地はない」
「わしを騙すつもりではないか。今思いついたが、タイムマシンでわしの後を追わせることだって可能だ」
「無駄なことはしません。失礼ながら、昨夜までの閣下は圧政をひく暴君でいらっしゃった。過去に誰を送り込んでも、脅威とはなり得ませんから」
「女でも無礼な口は許さんぞ。……と言いたいところだが、特別に許してやろう。まあ、貴様の言うとおりだからな」
己の寛容さを示したつもりだろう。
男はしきりにあごを撫でまわした。
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