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ふわりと白いフリルが踊り、店内に整列した円形テーブルの間を忙しなく泳ぐ。
フリルがふんだんに使われた白いピナフォアドレス──使用人の女性がよく着ているものに似ている──を身に纏う女性たちが、テーブルを囲んで座る客たちが待ちくたびれる前に、野生の香りつたう獣の丸焼きから、丸い形できつね色に揚げられた謎の食べ物、ケーキやサンドウィッチが上品に並べられた三段のティースタンドまで、多種多様なごちそうを運んでいく。
「お待たせしましたー」
テーブルにごちそうを並べる店員の姿を、客の男二人はオーダー時と同じく舐めるように眺めていた。
「そういえばあんた、新入りかい?」
大柄な男の問いに、「ええ、まあ」と新人店員は頷く。
「じゃあ、ここに来ればいつでもきみに会えるんだ」
「いや、あの……」
「なんなら今夜仕事のあと会わねーか? この出会いも何かの縁だぜ!」
「えっと、ごめんなさい、あの……今夜は別の用事があるので」
もう一人の男のしつこい喋り声に張り付かれないように店員はさらっとかわそうとするが、男は負けじと口をぱくぱく動かした。
「なら明日ならどうだ? 明後日は!」
「お客様、私は……」
「え〜残念だな、君みたいなかわいい女の子ともっとお話したかったんだけどなあ」
二人の男は既に大量の酒に惑わされて、店員に熱烈な視線を送っていたが、店員は顔を歪めて困惑した。
「ああっ!」
だが、二人の男の赤らみほてった顔は、どこからともなく飛んできた大量の水によって冷やされてしまった。二人の男は目をぱちくりとさせて、びしょ濡れになった互いを呆然と見つめた。
「申し訳ございません! お客様! すぐにタオルを……」
ピナフォアドレス姿のアリス─完璧に女性ばかりの店員の中に馴染んでいた─はそう言いながら、テーブルの足にこけたふりをして更に二人の男に水をかぶせる。
「あーっ! お客様申し訳ございません!」
「お、おい! 君ねぇ!」
「いくら僕たちだって、女の子相手にも怒ることあるんだよ!?」
二人の男に絡まれていた店員は呆然と立ち尽くし、アリスは彼女の前に出て二人の男に意味深な笑顔を向ける。
「今夜なら俺がたっぷり相手してやるから、絶対逃げるんじゃねーぞ? 丁度剣の修行をしようと思ってたところなんでな。良い相手が見つかって助かったよ」
アリスの言葉の端々から滲む狂気と気迫に、今まで小さな心を大きく見せていた二人の男は震え上がる。アリスは更に男たちに迫った。
「ご注文は以上でよろしいですね? お客さま」
アリスは客向けの笑顔を自然に貼り付けて、すぐに別のテーブルへ向かった。背後で逃げるように金を置いて去っていく男たちのか細い叫び声が聞こえたが、それはすぐに店の喧騒に飲まれて消えてしまった。
「あ、あの、ありがとう。助かったわ」
アリスを追ってきた店員は、ほっとした顔で胸を抑える。
「いいんだよ。またなんかあったら、俺に言ってくれ」
店員は笑顔で応え、アリスも優しく微笑み返した。
マーマーレードという西の平野にある街に訪れたアリスは、街の中心にあるレストランの扉に無造作に張りつけられた求人の紙を見つけて、旅の資金のためにレストランの従業員としてしばらく働くことを決めた。ルシフェルはというと、妖精の気配を辿りこの街の周辺を探索するといい、賑わう街の奥へと小さな姿を隠してしまったが。
レストランのオーナーはロベルタという恰幅の良い女性だった。集まったのはアリスの他に数人の女性で、支給された制服は上品なフリルがポイントのピナフォアドレス。
「ごめんねえアリス。急ぎだったから今男用がなくてね。悪いんだけどそれ、着ておくれ」
「ええ、まじか……」
「ん? いいだろ、ね?」
ロベルタの有無を言わさぬ鋭い語気に、アリスは頷く他なかった。仕方なく意を決してピナフォアドレスを着た時、同じピナフォアドレスを着た女性たちの好奇の視線が集まり、思わず冷や汗をかいたのはまだアリスにとって新しい記憶だった。
「あら、アリス。似合うじゃないかい」
「そ、そうか?」
機嫌よく微笑むロベルタに言われ、アリスはその時鏡に映るピナフォアドレス姿の自分を恐る恐る確認したが、ひらひらの衣装に自分の顔と手足がくっついたようにしか見えず違和感を抱いただけだった。
しかし慣れというものは恐ろしい。昼間の忙しさや、やたらと良い客の評判もあってか、ピナフォアドレスが馴染んできてアリスも最早何も思わなくなっていた。
レストランは閉店時間直前まで客足が絶えることがなかった。そのためか、最後の客がいなくなってしまうと、あんなに賑わっていた店内がすっと一気に静寂に沈んだ。
「あんたたち、今日もお疲れ様!」
ロベルタが店員たちを労いながら、アリスに近づいて肩を叩く。
「アリス、うちの新人さんを助けてくれたんだってね。礼を言うよ」
「いえ、俺が水を持つ手を滑らせただけで……」
「あっははは! まあ、明日も、よろしく頼むよ。それと、もしうちで働いてくれそうな知り合いがいたら紹介しておくれ。まだまだ人が足りなくてね」
「ああー……分かった。明日連れてこれたら連れてくるよ」
「ほんとかい、助かるよ!」
ロベルタは朗らかに笑い、アリスは連れてくる予定であるルシフェルがはたしてこの制服を着てくれるのだろうか、まあ文句を言いつつ来てくれるだろうと今更考えながら、気の良いロベルタにこちらも笑顔で応えた。
他の店員たちが着替えて続々と帰る中、アリスは店の窓から白い猫の姿を見つけて制服のまま外に駆けだした。
スカートに手を引かれるように飾られたフリルが揺れて、腰の控えめなリボンの羽根がアリスの歩みに合わせて跳ねる。ルシフェルはアリスの姿に驚きもせず、探索の報告を淡々と始めた。
「屋敷?」
「ああ、この街の片隅にある廃れた場所だが、その屋敷にすみつく妖精が旅人たちの心を貪っているという噂が後を絶たないらしい」
「じゃあルシフェルが感じた気配はそこにいる可能性が高いんだな」
レストランから数分歩いた場所に佇む、今晩の宿の二階にある部屋に着くと、アリスは簡素なベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「はーやっと寝れる」
「アリス、その服はなんだ?」
ルシフェルはアリスの傍らに座りピナフォアドレスに触れる。
「これ? レストランの制服だよ」
着たまま帰ってきてしまったな、と明日は予備だとロベルタから手渡された制服を着ようとアリスが考えたところで、ルシフェルの感情の籠らぬ声が漏れた。
「なかなか、似合っているではないか」
「……本当に心の底から褒めてんのか?」
アリスの問にルシフェルはさあな、と素っ気なく息を吐く。
「それより、ルシフェルもレストランで一緒に働いて欲しいんだけど……オーナーに知り合いがいたら紹介して欲しいって言われてさ。それに資金のためにもその方がいいし? あーでも制服はこれしかないらしくてさ、俺は仕方なく……」
「……別に構わないが」
「そうか、やっぱ無理だよな……って、ええっ!?」
仰天して裏返った自分の声にアリスはまた驚愕したが、ルシフェルもアリスの愕然とした態度に瞠目する。
「なんだその声は」
「いや、断られるかと」
どうにかなるだろうと思っていながらも、この制服を着る必要もあり果たしてルシフェルが頷いてくれるのだろうか、という不安は全く無駄であったようだ。本当にどうにかなったのでアリスは声を発する度に言葉が喉につっかえそうになり、咳き込みながらルシフェルの様子を伺った。
「しかしその制服……私のサイズはなさそうだな。仕方がない」
ルシフェルは猫の四足で立ち上がり、目を閉じてどこからとも無く吹いたゆるい風を身に纏った。風は渦巻いて猫の姿を包み隠したかと思えば、やがて白く短い髪を整えた少女の姿が現れる。少女はすでにアリスと同じピナフォアドレスを見に纏い、可憐な姿に似合わぬ不敵さで笑った。
「あ、はは……何にでもなれて便利だなー」
見た目で人間を惑わすことなど容易い。ルシフェルは白い髪の毛先を細い指で弄りながら、金色の瞳を細める。隠せぬ妖精王の、手の届かぬ鋭い気配はありつつも、その姿は人間の少女そのもので、ピナフォアドレスを愛らしく着こなすルシフェルをアリスは感心して眺めた。
「楽しそうね、私も仲間に入れなさい」
最近聞いたような気がする声が、アリスの足元のかばんから漏れる。アリスとルシフェルが顔を見合せた時、かばんの口ががたがたとわなないた。
「ん、ルシフェルなんか言ったか?」
「いや、何も」
震えていたかばんが、がたっ、と勢いよく口を開けた。そこから白い光の粒が飛び出したかと思えば、最近穢れを祓い眠りについたはずの青い人魚がアリスの隣でくつろぎ微笑んでいた。
「あっ!? どうやって出てきた!」
浄化したばかりの妖精がかばんから出てきたことなど初めてで、アリスは唖然として優雅にくつろぐ人魚を見つめる。それを興がり、フィーネは瞳の桃色を濃くさせた。
「さあ、私も分からないわ。そんなことより、私にもやらせなさい。人手が多い方がいいんでしょう?」
「それはそうだけど」
アリスはフィーネが現れた仕組みが理解出来ずにルシフェルに回答を求めたが、王も知らぬと首を振るばかりでアリスは項垂れた。
「でも、お前人間に化けれるのか? もう偽物の妖精王の力はないんだろうから、魔術は使えないだろ。取り換え子だし」
「あーうるさいわねアリス。さあ、妖精王様、どうにかしてくださらない?」
「う、うるさいって何だ……」
尾びれを揺らすフィーネに、ルシフェルはため息を零して目を閉じる。人魚の下半身が淡い光に包まれて、人間の両足へと変わるのにそれほど時間はかからなかった。
「その力効くの自分だけじゃないんだな……」
「私にかかれば容易いことだ」
「ありがとう妖精王様。これでまた自由に歩けるわ」
フィーネは満足そうに地に足をつけ、その場で軽やかに踊る。長いウェーブのかかった髪からきらきらと雫が浮かんでは消え、アリスはその雫の一つ一つにフィーネの本来の心の輝きを見た気がしていた。
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