第三章 鏡の国の鏡

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 街の片隅で百年以上は佇む巨大な屋敷には、鎖の身体をした蛇やサンザシなど、緻密な装飾が施されており、夜の闇が、屋敷をより一層美しく際立たせていた。 「あらあら随分オンボロなお屋敷だこと」  フィーネがあくびをする横で、猫の姿に戻り、定位置であるアリスの肩に乗ったルシフェルが屋敷の装飾を眺める。 「鎖の蛇。偽の妖精王の象徴だ」  身体は鎖で、トラバサミのようなぎさぎさとした歯を持ち、目のない真っ黒な顔を持つ。無機物に生命が与えられた姿は、屋敷の大きな扉にも、その扉を押し開けた先の広間にも、いたるところに刻まれていた。 「じゃあ、この屋敷は偽物と関係があるのか?」 「どうだろうな。穢れた妖精がとり憑いたことにより屋敷も姿を変えてしまったのかもしれん。だがやはりこの蛇は、我らの丘が奪われた時に這いずり回った忌々しい穢れと同じ姿をしている」  ルシフェルは鎖の蛇の装飾を咎めるように見据える。アリスもとぐろを巻く鎖の蛇を頭の中に刻み込んだ。 「あら、アリス。もしかして怖気付いた?」  フィーネにからかわれて、アリスは気色ばみながら腕を組んだ。 「な、んなわけないだろ。フィーネこそ怖がってんじゃないのか」 「私が怖がるように見えて?」 「ま、俺がちゃんと守ってやるから、安心しろよ」  アリスに邪心のない純粋な笑顔で告げられ、フィーネは唖然として目を瞬いた。 「……私はあなたに守られるほど弱くはないわよ」  フィーネは言いながら、先頭を切って屋敷の広間へ続く両開きの扉を開け進みはじめていたアリスの後を追う。  広間に転がるのは、かつての美しさを失いつつある調度品。中央には上の階へ続く螺旋階段。その螺旋階段への道を示す色褪せ劣化した赤い絨毯には、古い陶器の破片が散らばっている。天井には大きな蜘蛛の巣が張られ、篭った酸っぱい香りが屋敷の中を漂っていた。 「誰もいないな」  昼間ロベルタの店に訪れた男の姿も、気配もない。陶器の破片を避けながら螺旋階段を上っていくと、長い廊下の続く二階に辿り着いた。 「ったく、招待しといて姿見せないなんて……」  薄暗い廊下の壁。そこにかかる燭台に立つ蝋燭の火がちらつく。 「なあ、ルシフェル……って、あれ?」  そういえば肩が軽くなった気がする。アリスは周囲を見渡したり、肩や背中をさわって猫がどこかに掴まっていないか探したが、白い猫の姿も、フィーネの姿も見当たらない。 「どこ行った……? いや、はぐれた……?」  アリスは二人にまたからかわれているのかと思ったが、嫌な予感がして二人を探すあてもない中急いで廊下の先へ向かった。  辿り着いた廊下の終わりにはまた両開きの扉があり、その扉にも鎖の身体を持つ蛇のうねる姿が刻まれていた。 「よし……」  アリスは意を決して重い扉を押し開ける。ぎぎぎと扉が擦れる音が響いた。  扉の先は、何も見えなかった。真っ暗闇が広がっていた。  扉を開けた途端、廊下に灯されていたはずの炎の明かりが全て消えて、アリスは後ろを振り返った。それを合図に強い風が今しがた歩いてきた廊下の奥先から迫ってきて、アリスは開けた扉の先へと押し出された。 「うわっ──!?」 (あれ、落ちて……穴!?)  身体が降下していき、徐々に落ちる速度が遅くなる。しばらくすると、暗い穴の中が急にオレンジ色の明るみを帯びてきた。  暗闇が晴れて一番初めに気づいたことは、見えない穴の底まで続く棚がアリスを囲んでいたことだ。その棚に置かれたたくさんの瓶のラベルに書かれた文字を見て、アリスの顔が強ばる。 「オレンジマーマレード……これ全部が……?」  
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