第三章 鏡の国の鏡

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「お前が己の真実を知れば、私がかけたまじないが解けて、偽物の妖精王にお前の正体を知られることになる。そうすれば、お前は今まで以上に偽物にその命を狙われる」 「いいから、言ってくれ」 「お前はかつて妖精の丘で、妖精王(わたし)と、妖精王(わたし)の器を守る妖精騎士(エルフィンナイト)だった」  器。それはルシフェルが偽物に奪われたと聞いていたものだ。それが、自分?  アリスはわけがわからず、本当は頭が真っ白だったが、それをルシフェルに感づかれないように、ただ黙って腕を組み話の続きを促した。 「偽物の妖精王は、穢れの世界である反転世界の私。簡単に言えば、私の穢れだ。反転世界の穢れに妖精の丘を襲われた時、お前は取り換え子の儀式の妖精として囚われたのだ」  その話は、今のアリスの記憶にはなかった。 「囚われたって……取り換え子の儀式って、何のために」 「それは分からない。だが、私は妖精の丘や妖精の民、そして私が敢えて穢れに奪わせた偽物の器をなくし、この地上の国に堕とされさまよっていたとき、取り換え子として地上の国に堕とされたお前を見つけたのだ。妖精騎士であるから容易く穢れることも無い、私の真の器であるお前に」 「は? 真の器って」  今、偽物の器をわざと偽物の王に奪わせたと言ったか? アリスの問にルシフェルは頷く。妖精騎士こそが真の器。妖精騎士は妖精王だけでなく、器である自らも守るのだと。 「何でそれを俺に言わなかった? 偽物の妖精王に命を狙われるなんて、今も同じようなもんだろ」 「いや、お前が妖精騎士として私の穢れである偽物の妖精王を認識すれば、奴もお前が妖精騎士であることを知るだろう。私の穢れは、私の命を保つ真の器であるお前を、今よりも執拗に狙うはずだ。だから、お前には何も話せないでいた。すまない、アリス」  ルシフェルの言うことにまだ全て納得したわけではなかった。戸惑うし、突然そんな事を告げられて、はいそうですかと頷くはずもない。だか、アリスは何故か少しでも本当の自分のことを知れたことに対してほっとしていた部分もあった。己が妖精であると知って村から出て、自分の本当の居場所が何処であるのか分からなかったから。 「ルシフェル。──話してくれて、ありがとう」  思いがけぬアリスの言葉に、ルシフェルは纏った王の威厳が剥がれるほどに気が抜けて目を丸くする。 「なぜ、礼を言う? 私は今まで、お前に全てを隠していたのだぞ」 「まあ、まだ全部は受け止めきれないけど、俺のこと、自分ではどうしても分からなかった部分を教えてくれたから、かな」  一言も言えないルシフェルの隣で、セラーデが咳払いして喉を整える。 「なるほど、アリスは記憶喪失だったからグータッチもしてくれたし、そんなにとっつきやすい性格になってんだな」 「ん? どういうことだよ」 「丘にいた頃はもっと冷たくて、誰も寄せつけない雰囲気でこっわーい感じだったのにな……おっと、口が滑りすぎたかな」 「それは、悪かったな……」 「ほ、本気で謝るな、ギャップが凄すぎて寒気がする」 「い、言い過ぎだろ!」  騒ぐ二人の背後。二人には聞こえぬ足音で、近づいてくる者がいた。ルシフェルはいち早くその近づく気配を察知して、マントを翻す。アリスとセラーデもルシフェルの様子に、何かがこちらへ近づいてくることに気づいた。 「な……」  アリスは現れた決まった形を成さない黒い影に戦慄した。  アリスは同じ影を、フィーネの妖精の鏡で見たことがあった。彼女を穢れに誘っていた黒い影。それは今目の前に現れた影と瓜二つだった。 『やあ、やっぱり生きていると思ったら、お前は器を持っていたんだね。堕天使ルシフェルよ』 「……最悪だな。噂をすれば、反転世界の紛い物か。まあ、私たちを監視でもしていたのだろうが」 「お前は……」  ──偽物の妖精王、反転世界の穢れ。  渦を巻く影が、唯一見える白い口でにやりと笑う。アリスは目の前の影、偽物の妖精王が、穢れた妖精特有の重苦しい雰囲気を持たずに現れて不気味に感じていた。 『実はお前から奪い取った器がそろそろ壊れそうでね。私の力を目覚めさせる多くの心を抱えきれずにいて困っているのさ。  それで、お前が隠していた真の器を頂こうと思ってね。いや、返してもらおう、の方が正しいな。私か真の妖精王なのだから』  影には認識できる顔のパーツがないはずなのに、アリスは影にねとりと視線を絡まされたようで身体中に悪寒が走った。 「おい、お前。オレの娘は、アイリーンはどこにいるんだ! 連れてったんだろ、お前が!」 『おやおや? どこかで見たようなうるさい親父だ。お前の娘は妖精の血が混じっていたから、取り換え子の儀式で集めた純粋な人間たちのように私を守る妖精騎士にはできなかったからね。その代わりに、穢れで飾ってお前のために連れて来てやったよ』  影の中から、すくりと現れたのはグリーンの髪を三つ編みでまとめた十歳くらいの少女だった。幼い姿なのは、偽物の妖精王に時間を狂わされたのか、地上の国で暮らしていれば二十歳を超えていた頃だろう。 「アイ……リーン……」  セラーデは娘の愛しい名を叫んだ。赤子の時の姿しか見ていなくても、一目見て自らの子どもだと分かったのだから。 「アイリーン! 無事だったか! ほら、こっちにおいで! オレは、お前の父さんだよ」  腕を広げ迎えようとするセラーデに対し、少女は歩み寄ろうとしない。 「あなた誰? わたしのお父様はここにいるの」  少女アイリーンは影に寄り添い、セラーデは悪夢を見ている心地で偽物の妖精王に縋る我が子を見つめた。セラーデの揺れる瞳を、偽物の妖精王は嘲笑う。 「おい、アイリーン、嘘だろ、アイリーン……」 『アイリーン、その通りだ。お前を愛することが出来る新しい父は私。奴はお前を捨てたんだ。お前は、見捨てられて可哀想な娘なのだ』 「わたし、寂しかった。怖かったの。ねえ、取り換え子のお兄ちゃんなら、わたしの気持ち分かるでしょう?」  純粋な子どもの瞳に隠しきれない穢れを浮かべて、アイリーンはアリスを見つめる。  見捨てられた? あの子は心を操られているだけだ。セラーデはアイリーンを見捨ててはいない。それはセラーデの記憶を見ても、今隣にいるセラーデの悲痛な表情を見てもわかる事だった。 「わからないな、俺には。セラーデが、君を愛してることしか」 「──ふーん、つまんない」    アイリーンは頬を膨らませ、低い声音で呟き影の背後に隠れる。 「貴様、よくもオレの娘を、返せ、今すぐ返せ!」 『この娘を返して欲しければ、堕天使よ。お前の真の器を私に渡せ。そうすればこの親父の娘を返してやる』 「──何っ、このっ、貴様……!」  狼狽えるセラーデの隣で、ルシフェルは険しく黄金の瞳を尖らせ睨んだ。 「それはできんな」 『なら、この娘を殺すまでだ』 「──やめろっ! 貴様ァー!」  セラーデは(いかづち)を纏った拳で影に殴りかかったが、目に見えぬ結界に弾かれ吹き飛ばされる。 「セラーデ!」 「アリス、自分を犠牲にしようとするなよ」 「ダメだ、アイリーンが──!」 「絶対にアイツの言うことを聞くな! お前が真の器だっていうなら、お前だけじゃない。全ての妖精の命が消える!」  アリスははっとして目を見開く。 「妖精王の器は私だけではない。全ての妖精の命を繋ぐ。妖精騎士は器である自らを守るのだ。それに、もしお前が器でなかったとしても、私はお前自身を失いたくはない」 「ルシフェル……」  セラーデとルシフェルの言葉が、アリスの自己犠牲に走ろうとした心を引き止めた。己が犠牲になって傷つくものたちがいたこと。彼らの手がアリスの心を引き止めた。 『やはり私が奪った器はダミーだったのか。通りで脆いと思ったが、そんなことはもうどうでも良い。さあ早く器をよこせ。でないとこの娘は永遠に、あの忌々しい反転世界に閉じ込めるぞ』  アイリーンは先程と打って変わって怯えた顔をして、セラーデを見つめていた。揺れ動く幼い姿の心が、少しずつ真実を見つけ始めていた。 「おい、偽物。そんなに俺が欲しいんなら、俺という器に相応しいことを証明しろ」 『……ほお、では、お前の取り換え子を生贄に証明してやろう』 「なに……?」  偽物の妖精王の言葉にアリスは耳を疑った。 『レイシー。彼女は取り換え子の中で唯一自我を失わずに私に忠誠を誓った、選ばれし姫騎士なのだ。それを失うのは惜しいが、器が手に入るというのなら仕方がない』 「や、やめろ!」  レイシー。アリスは取り換え子の名前を聞く度に頭がズキズキと痛んだ。これ以上、彼女から何もかも奪ってしまう訳にはいかない。 「アリス、穢れの言葉に耳を貸すな。奴は……」   「ルシフェル様ぁー!」 「へ?」  空高くから落ちてくる場違いの甲高い声がして、アリスは聞き覚えのあるその声につい真っ白な空を見上げつつ耳を疑った。
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