第三章 鏡の国の鏡

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「せいっ、やあーっ!」 『──な、なんだこの娘は』  空から突然落ちてきた赤髪ツインテールの少女を、偽物の妖精王はさらりと避けたが、側にアイリーンの姿がないことに気づき、焦るように影の形を激しく歪ませた。  赤髪の少女はアイリーンを抱きかかえて華麗に着地し、アイリーンをセラーデの元へ返すと赤いツインテールをかき上げた。 「アイリーン!」 「パパ……パパ!」  セラーデは赤髪の少女によって穢れから解放されたアイリーンを抱きしめる。アイリーンは偽物の妖精王の操りの呪いが解かれ、大きな目に涙をためてセラーデの胸で泣きじゃくった。 「ああ〜ルシフェル様! わたくしあなたのために参りました!」  きらきらと目に星屑を輝かせ、少女は呆れ返るルシフェルを期待の眼差しで見上げる。 「またお前か……」 「シア!? 何で妖精の鏡の中に……」  妖精の鏡に入ることも、見ることさえも出来ない人間であるはずのシアが現れたことに困惑するアリスに構わず、シアは得意げに胸を張る。 「フィーネ様が美しい歌声であたしをルシフェル様の元へ導いてくださったのよ」 「フィーネが……?」  鏡の外、屋敷の中で待つフィーネの高笑いする顔がアリスの頭の中に浮ぶ。しかし、人間のシアを鏡の中へ入れた理由が見つからない。 『地上の国の人間? ほお。お前は妖精と契約を交わすあの一族の末裔か。汚らわしい。私を反転世界に封じて消滅したはずの哀れな一族よ』 「黙りなさい! あたしはシア。これからあんたを封じるのはこのシア様よ! 覚えておきなさい!」  シアに指さされて、影はほくそ笑む。 『そう急ぐな。私はいつまでも妖精王として君臨し続ける。お前たちが気が済むまで相手をしてやろう。……では、用事があるのでな。また会おう、我が器よ』  笑いながら影は霧散していく。それをアリスは逃さまいと掴もうとしたが、その欠片は手のひらの中で消えていった。 「シア、ありがとう。君の身のこなし、只者じゃないな」  セラーデの言葉に、シアはとびっきりの笑顔で応える。 「妖精さまに褒めていただけるなんて光栄ですわ〜! 妖精さまのためならあたし、何でもしますから!」  シアはそばに寄ってきたアイリーンと手を繋ぎながら、共に鼻歌を歌いはじめる。 「アリス、鏡も浄化してくれ」 「わかってるよ」  アリスが剣を突き刺した箇所から空間が鏡のように割れて、白い世界が砕けて屋敷の広間に戻っていく。広間中に置かれていた鏡も、アリスたちが抜け出した鏡と共に青い炎に溶けていった。 「あら、おかえりなさい」 「フィーネ、何も変わりはなかったか」 「ええ、その()が来た以外にはなかったわ」  オレンジマーマレードの棚に座り待っていたフィーネが人間の両足で立ち上がり、シアにちらりと視線を流す。 「あたしはこの屋敷の妖精の情報と、ルシフェル様を追ってここに来たのよ。そうしたらフィーネ様が鏡のことを教えてくださったの」 「この娘から妖精と契約を交わす一族のことを聞いたから、鏡の中に入れてあげようと思って」  フィーネがさらりと言った側で、シアは腰に手を当て眉を上げる。 「そう、あたし、妖精と契約を交わすために旅をしていて、ついにその運命の妖精にたどり着いたのよ!」 「……ルシフェルか?」 「アリス、あなたよ」 「だよな……って、ええっ!? 何で俺?」  思ってもみなかったことに、アリスは驚愕して大声を上げ、その声は屋敷の広間中に響き渡った。 「ルシフェル様は妖精王様なんだから無理よ。地上の国で穢れず生きている妖精、契約できる妖精はあなたしかいないみたいだし」 「いや、でも契約って」 「あたしの一族は妖精と契約することで穢れの世界である反転世界を抑え込んできたの。だから、アリス。あたしと契約してあのルシフェル様の偽物を倒すのよ」  シアはアリスの手を握ると、そのまま跪いた。 「さあアリス、あたしに加護を授けて」 「いや、いきなり加護って言われてもな……」 「シア、今は無理だ」  ルシフェルの言葉にシアはぽかんと口を開ける。 「アリスは今、取り換え子の妖精だ。契約に必要な魔術を使うことが出来ない」 「と、取り換え……? そ、そんな……あたし、じゃあ、あたしと契約できる妖精はいないってことですか?」 「残念だが、今はいない」  シアは先程までのはつらつとしたパワーを失って、すっかり落ち込んで項垂れてしまった。アリスは何もしていないのに、何だかとても悪いことをしたような気がして、項垂れ落ち込むシアの目線に合わせて片膝をついた。   「そんな……あたしのこれまでの旅は何だったの……一族のためにも偽物を封じようと頑張ってきたのに」 「シア、その、悪かったな。でも、俺は妖精騎士らしいからさ、全部思い出したら魔術を使えるようになるかも……な、ルシフェル」  アリスの言葉にルシフェルは、まあそうかもしれんなと顎に手を当てる。 「妖精騎士……!? あなたが!?」  シアは突然頭を上げ、アリスを凝視する。 「一族に伝わるあの聡明な妖精騎士様!? 一族で一番強い契約の力を持つ長でさえ、普段は妖精王様と同じく近づくことが出来なかったあの!?」 「え、俺そんな近づきがたい感じだったの?」    たじろぐアリスにお構い無しに、シアは興奮気味にアリスをくまなく観察しだした。 「ほお、あの妖精騎士様が焦る様は見物だな」  にやにやと笑うセラーデをアリスは睨んでから、一度命を失った彼が妖精の鏡の世界から出てきても、地上の国で実体を保っていることに気づいた。 「セラーデ、ここでも実体を保つことが出来るのか」 「そういやそうだな。ま、これのおかげかな」  セラーデは懐かしむように、優しい微笑みでオレンジマーマレードの瓶を見つめる。 「オレンジマーマレード。こいつがオレの大事な思い出を蘇らせて、ここに留まらせているのかもしれないな」  大事な思い出を蘇らせる。もしかしたら、鏡から現れたあのアリスの姿をした妖精騎士は過去の自分であって、それはこのオレンジマーマレードを舐めたから思い出せたのかもしれないと、アリスはカバンの中にしまっているオレンジマーマレードの瓶を思い描く。 「けど、そんなに長くは居られないんじゃないかしら。セラーデ、あなた早く行った方がいいわよ。あなたの向かうべき場所に」    フィーネの言葉に、セラーデはアイリーンを抱き上げて、そうだな、と屋敷の外へ続く扉を見つめた。   「じゃあ、お言葉に甘えさせていただこうか。……皆、ありがとう。オレはお前たちに救われた。感謝してもしきれない」 「俺こそ、セラーデに助けてもらった。ありがとうは、お互い様だろ?」 「ああ、アリス。感謝する。家族に会えるのは、お前のおかげだ」  アリスはセラーデにはにかんで、セラーデも穏やかなほほ笑みを浮かべてそれに応えた。 「さあ、アイリーン行くぞ。ママのところへ」 「うん、パパ。ママに会うの楽しみだね!」  セラーデはアイリーンを抱いたまま、扉の向こうへと歩いていく。屋敷の窓から日が差して、彼の黒いコートの汚れがまっさらに消えていった。 「では、あたしも一旦おいとましますわ。これ以上迷惑かけるわけにもいきませんから」  シアはやっと落ち着いたのか胸に手を当てた後、上品にスカートの裾をつかみお辞儀をする。 「迷惑なんかじゃないぞ、シア」    アリスの声に、屋敷から出ようとしたシアは振り返る。 「偽物を封じるためにはシアの力が必要なんだろ? 俺も魔力を取り戻す努力をする。だから、その時が来たらよろしくな」 「……! ええ、アリス。また会いましょう! その時がきたら!」  ルシフェル様、フィーネ様、またお会いしましょうー! 騒がしいシアの声が遠く小さくなり、広間は一気に静まり返った。 「私も疲れたし、そろそろそのかばんに戻ろうかしら」  フィーネがそっと触れると、かばんが口を開く。 「あたたかい思い出を抱きしめられるなんて、素敵ね。私は過去の思い出を持ったまま先へ進むことなんて、辛くてできない」 「じゃあ、フィーネは未来を見てるんだな?」  フィーネは一度顎に手を当て思考し、それから微笑んだ。 「あなたはどうなの?」 「俺は、過去を引きずってばかりじゃなくて、未来を見るために過去と向き合っていこうと思う」 「それもいいわね」    フィーネの姿が白い光に包まれて消え、かばんの口が閉じる。アリスはかばんを背負って、猫の姿に戻ったルシフェルと共に、割れた天井から外の光が差す屋敷の扉の向こうへ歩みを進めた。  
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