第一章 幸せな鏡

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「……え?」  自分を妖精王だと言い張り、誇り高々でありながら、ふわりとした毛並みやゆらりと揺れるしっぽの愛らしさを隠せない猫に、アリスの警戒心は薄れてただ瞬きを繰り返す。 「……ルシフェル? 妖精王……?」 「先程の妖精が言っていた妖精王とは、偽物のことだ。私が本物だ」 「猫……?」 「猫ではない。まあ、今はたしかに猫の姿だが、今はこの方が色々動きやすいのだ」  ぱさり、とアリスの両手を縛っていたロープが、猫が爪を立てずに触れた箇所を起点に切れた。猫──ルシフェルはそのロープの残骸で爪を研ぎはじめる。 「生きるために足掻くか? アリス。それともさっさと肉体からさよならするか。私はお前を救えるぞ。もし、お前が生きて、私と共に妖精王を名乗る偽物が潜む鏡を探し出し、それを破壊するというのなら」  ルシフェルの尻尾がふらふらと揺れ、それに合わせアリスもぐるぐると思考を巡らせた。 「破壊? 偽物? どういうことだよ」  まあ聞け、とルシフェルはちょこんと上品に座る。 「私は今、妖精王と偽る者に器を……そうだな……私の力の源を奪われている。奴は妖精たちを洗脳し、自身の魔力を貯えるための心を集めさせているのだ」 「え……?」 「この小屋の持ち主の妖精も、偽物の忠実な下僕に成り果てたようだな。……フェアリードクターとは、妖精を退治する者では無い。妖精と心を交わす者のことだ。あのような者のことではない」  ルシフェルは息継ぎも早々に続けた。 「偽物は我らの暮らしていた妖精の丘を手に入れるため、私の本来の器を奪った」  ルシフェルは軽やかに跳んで、アリスの頭上に着地する。 「の、乗るなよ!」 「私は高いところが好きなのだ」  少しも悪びれない厄介な猫に、アリスは何を言っても無駄なことを察知して諦めることにし、話の続きを探った。 「妖精の丘って、何だ」 「……我らの暮らしていた丘だ。この地上の国とは別の場所。永遠の安らぎ、常若の国だ」  小窓から漏れていた光が消え、宵闇が迫る。ルシフェルはアリスの頭から降りて彼の正面に立ち塞がる。 「私は愛する妖精たちに、偽物の妖精王であると拒絶された。しかし、私は彼らを助けたいのだ。邪悪な偽物に心を売り苦しむ妖精たちを救いたい。そして偽物から器を取り戻し、丘も取り返したい。  そのために、偽物に唯一心を奪われていないお前に協力してほしいのだ。今の力のない私一人では、執拗に追ってくる穢れた妖精たちから逃げるのに精一杯でな」  拒絶。大好きだった者たちから拒絶され悲しい気持ちでいるのは、アリスも同じだった。 「本当の妖精たちは、ヒトの心を食べるのか?」  アリスの問に、ルシフェルはいや、と目を閉じる。 「本来の妖精たちは、ヒトの心を食べることは無い。あれらは、偽物に強制的に集めさせられているだけだ」  アリスを森で襲ってきた妖精たちも、その偽物に操られていたということなのか。解放されたのは、己がヒトではなく妖精であったからで。 「サターが、今夜ノーグ村を襲うって……」  アリスは突然現れた妖精王に混乱していないわけではなかった。ただ、根拠はないが、フェアリードクターだと偽って自分を騙したかつての友だちと、目の前の光を帯びる眼差、今どちらを信じるべきかは自分の中で明白だった。 「村のみんなを、助けたい。協力してくれ。そうしたら、おれもお前に協力する」  ルシフェルは、アリスの答えに満足気に頷いた。 「いいだろう。なら、これを使え」  ちょこんと座るルシフェルの隣に、白い光が溢れ出す。それらが消えた頃に、古ぼけた両開きの旅行かばんが姿を現した。焦げたビターブラウン色のそれに、ルシフェルが軽やかに上り座った。 「これ、何だ? トランクケース?」 「邪悪に染まった妖精たちを浄化するポートマントーだ。この中に入った妖精たちは自我を取り戻すことができる。こいつをなんとか作り出すことは出来たが、今私の手では使えない。お前が使え」  私の魔力による傑作だ。呟くルシフェルを後目にアリスはかばんにそっと触れる。 「妖精をこのかばんで、一定の時間が経つ前にすぐ浄化することが出来れば、その妖精が集めたヒトの心を肉体に戻すことも出来るだろう」  少しかび臭い。つるりとした皮の触り心地のそれをアリスは撫でる。これで村の皆を、両親を助けられるかもしれない。 「いや、助けるんだ」  アリスは立ち上がって、サターが去っていった扉の先を真っ直ぐに見つめる。少し大きいキャスケット帽の位置を整えて、ルシフェルが肩に乗ったのを合図に村の方向へ駆け出した。
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