side A

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side A

「異世界へようこそ。あなたは世界を救う勇者となるため、選ばれましたぁっ!」  僕は明るい真っ白な部屋の中で目が覚めた。これまた真っ白なベッドの上で。  アンティークなロココ調の豪奢な部屋で、窓はなく柱や床、天井の全てが白い。そして壁にはルネッサンス期の絵画や彫刻が等間隔に並べられている。  大学生の頃に観た「2001年 宇宙の旅」にあったスターゲートの中の一室のよう。老いたボーマン船長が食事をしているあの部屋、雰囲気としてはあんな感じだ。  僕に掛けられていた真っ白なブランケットは肌触りが良く、いい塩梅に温まった寝床から抜け出すのはちょっと惜しい。 「私の名はオムネクオネ。あなたを銀河の勇者として、力を授ける女神……」  ふと声がする方を向くと一人の女性が傍らでベッドに座り、僕に話しかけている。  黄金色に輝くしっとりした髪、内側にカールしたミディアムヘア。深いブラウンに煌めく光を湛えた虹彩、そして……薄く透けた桃色のケープのような衣を纏っている。  その下には何も着けていないようにしか見えない。 「え、ちょっと待って。総務の斎藤さん、ですよね? それに今、『銀河』って仰いました?」  どう見ても見覚えがある。企業説明会とあらば必ず担ぎ出される弊社一の美人。聡明で人当たりが良く、若手男性社員みんなの憧れ。黄金の髪を除けば、総務の斎藤さんそのものだ。  だが何故、今ここに? それにその格好。コスプレでなければ風俗嬢のそれである。  いや待て、考える順番がおかしい。僕は何故ここに居る? そう言えば『異世界』って何だ。主任がハマっている小説投稿サイトのあれかな?   霰もない姿の斎藤さんを目の前にして、僕の思考が在らぬ方向に捻じ曲がっている。いや無理でしょ、このシチュエーション。一応僕も男の子なんですけど。  とは言え、風俗嬢の喩えは誤解を招くかもしれない。それを知っているのはVシネで観たからであって、決して玄人様にお願いしようなどと不埒な考えを企だてたことはまだない。 「あ、えーっ、えと、ごめんなさい田中君。まだこの設定、慣れてないの」 「え、あの、設定って……」 『自称』女神こと斎藤さんは少しだけ舌を出して頰を赤らめた。  その麗らかな美貌とは裏腹にちょっとだけポンコツなところが人気の秘密であり、癒しを求める男性社員にとって『女神』というのも強ち間違いではない。  僕は新卒で入社して今年で二年目。聞くところによると斎藤さんは三つほど歳上。  入社式以来そう言葉を交わす機会はなかったけれど、彼女が僕のことを覚えてくれていたのは素直に嬉しい……と思いつつも、つい視線を顔から下へ落としてしまう。ごめんなさい。  横になっている僕の視界からは斎藤さんのパンツの有無まで確認できない。相手が知人故の罪悪感、そして好奇心がせめぎ合う。誰が僕を責められる? 意を決した僕は身体を起こした。  この時に初めて気がついたが、僕は斎藤さんと同じ格好をしていた。もちろん掛けられたブランケットは外す訳にはいかない。 「田中君がトラックに轢かれてここに来たって設定だったんだけど。今更かな?」 「トラック……?」  僕はそう呟きながら邪念を振り払い、昨日のことを必死に思い出した。目の前のタスクに追われて似たような日々が連続していたので、ここ数日間の記憶の前後があやふやだ。  確か昨日もコンビニで夕食を買って、あと一日頑張れば休みだ……と、ふと交差点で空を見上げたら土鍋をひっくり返したような形の眩い光が。  うん、確かにあれはトラックじゃない。だが、そこから先の記憶がぽっかり抜け落ちている。 「しょうがない。包み隠さず話すわ。田中君にはこれから私達の航宙機動決戦兵器〈タイタニアム〉に乗ってもらって、第***航宙域の******恒星系に出現する時空外連続体〈アウターコンティニューム〉と戦って欲しいの」 「は? はい?」  聞き慣れない言葉が連続する。確かにSFは好きだが、急にそれっぽい単語を並べられても音だけ聞いて意味など分かる訳もなく。せめて字面を見ないと…… 「もう一回言うわね。航宙機動決戦兵器に乗って、時空外連続体っていう銀河の脅威と戦って欲しいの、大銀河文明連帯の為に」  斎藤さんはそう言うと、ベッドに登って四つん這いの姿勢で僕に覆い被さった。くりっとした瞳にほんのり紅が浮かぶ頬、濁りない朱に染まった唇。凄く近い。  斎藤さんは一体何者なのか、何故こんなことをしているのか、そもそもこんな話を信じるのか。  当然のように湧くはずの疑問が全て意識の外へ流れて消え去ってしまう。何の抗いもせず。いや無理でしょ、このシチュエーション!(二回目) 「あの、言ってることがよく分からない、話が見えないんですけど……」 「まあ、掻い摘んで言うとモンスターと戦って世界を守ってってこと。と言っても私達の世界、四次元時空の外の存在だからモンスターという表現は適切じゃないかも。田中君からすれば地球の外は全部『異世界』よね」  斎藤さんは微笑みながら僕のブランケットを捲り上げると、右膝を僕の両膝に差し込んで割った。シューっとシーツが滑る音がする。恐らく彼女の右足の爪が擦る音だ。  露わになったもう一人の僕。だが、斎藤さんはそれを気にする様子が全くない。 「えーと、ナントカ航宙域のナントカって……聞き取れなかったけど、何?」  僕は斎藤さんに疑問を投げかけながらも、自らが知る難解映画を強引に思い出す。キューブリックに鈴木清順、ケン・ラッセルにタルコフスキー。  高校生の頃、通ぶって背伸びして観た映画達。「ストーカー」の黒い犬ってどういう意味? ええーいっ、とにかく鎮まれと魂の叫び。 「ああ、一応規約上は田中君の意思を尊重しなくちゃいけないから、了承を得るまでは正確な情報を教えてあげられないの」  鼻腔をくすぐるのはフレッシュレモンの甘い香り。人肌の温もりを持ったそれは、斎藤さんの吐息である。もの凄く近い。 「で、でも、僕が戦うなんて、相手が人でも避けたいのにモンスターとか。そもそも僕、普通免許だって若葉マークなんですけど……」  僕は必死だ。とにかく必死だ。すでに戦っているのだ。可及的速やかにこの状況を打破すべきである。だが、もう一人の僕がそれに抗っている。相手は近しくはないが知人である。 「あら、その心配は無用よ。〈タイタニアム〉は演算思考体が自律行動制御してくれるから、田中君は時空外連続体が持つ時空歪曲防壁〈Dフラクチャー〉の穴を見つけてくれればいいの」  斎藤さんが指を鳴らすと明るかった部屋が暗くなり、ぽつぽつと宙に浮かぶ淡いアンバーの照明が灯る。ドローンのように静止する照明、それがいつ現れたのか。  僕の視線は彼女に奪われたままなので、当然の如く分からない。 「強力な変異重力で四次元時空を捻じ曲げ、一切の物理兵器を無効化する不可視の盾、時空歪曲防壁〈Dフラクチャー〉。その超重力循環が収束する一番脆弱な部分を観測できるのは、あなた達地球人だけなの」  やっぱり何を言っているのか分からない。持ち前のSF知識を駆使して考える。  その航宙機動ナンチャラとやらは自動操縦で、地球人にしかできない弱点探しをやれと言っているようだ。と、いうことは斎藤さんは異星人?  その天使とも悪魔ともつかない囁きを漏らす唇から視線を逸らすと、重力に引かれて垂れ下がるたわわに実った果実が見える。『異星人』の言葉から連想するような存在にはとても見えない。  いや、そんなに地球人のそれを見慣れた訳ではないが、先週買った主観物のDVDとは瓜二つだ。瓜二つ、此の期に及んで上手いこと言うなぁ、僕。 「ははーん、分かった。田中君、私が地球人の皮を被った悪い異星人だって疑ってるんでしょう? 確かに中の記憶は*****人の私だけど、この身体は地球人そのもの」 「えっ? それってどういう……」 「地球人のゲノム情報を解析して私達でクローンを作ったの。要するにコピー人間ね。だけど、そのままじゃ空の容れ物でしかないから、私の記憶を注入してここに居る訳」  斎藤さんは上体を起こして僕の目の前で膝立ちになると、両腕をクロスしてケープを捲り上げ、それを傍へと脱ぎ捨てた。  淡いアンバーの下で露わになった肢体は柔らかに反った影を落とし、両腿の隙間からは同じアンバーに照らされた向こう側が見える。もう一人の僕、TUEEE。 「じゃ、じゃあ、そのクローンに戦わせれば……いいんじゃ?」  僕の理性は最後の抵抗を試みる。だが、この状況に加えて相手は歳上の人。勝算は乏しい。 「そういう訳にもいかないのよ。本来、異星種間の記憶の定着って難しいの。私も何十回とトライした上でようやく成功した個体なのね」  斎藤さんは短い溜息を吐くと再び腰を落とし、僕の首にアンバーに染まった両腕を回す。僅かに潤んだ両の瞳はじっと僕の顔を見据え、さらに距離が近づいた。  理性はもう当てにならない。咄嗟に僕は古い特撮ロボット映画を想像した。あぁ、死ぬ時はスタンディングモードで…… 「心配しなくていいのよ、私達が責任持って、ちゃんと地球に戻してあげるから」  斎藤さんは耳元で囁く。そして僕を柔らかく包み込んだ。 「若葉マークは免許だけじゃないんでしょ。田中君」  僕は陥落した。
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