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「俺の血なんか飲んだら、おまえ死ぬぞ」
「本望だ」
***
廃墟であるはずの教会の地下が、よもやこんな快適な居住空間になっているなど、一体誰が想像できよう。
「……俺、この地区はずれにある寂れた教会の“浄化”に来たはずなんだけどな……」
「……俺を祓いにきたのか?」
「一応な」
しかし、今のところシラユキの戦意は目の前にいる金髪の男のせいで大きく削がれていた。
シラユキは、くたびれたソファに寝そべりながらリンゴをかじっている男を見下ろして、問いかける。
「……その果実は、どうしたんだ?」
どっから持ってきたのか、はたまた盗んだのか奪ったのか。
男は吸血鬼特有の感情の読めない赤い瞳をシラユキに向けると、淡々とした口調で答える。
「…………町の子どもが落としていった」
「奪ったんじゃないのか?」
「……夜な夜な度胸試しと称してここを訪れる子どもが、俺の姿を見て勝手に驚いて逃げていく」
それでいろいろな荷物を落としていくから、ただ拾っているだけ、と言いたいのだろう。
まぁ、誰も住んでいないはずの場所に、無駄に背が高くてこんな人間離れした美貌の表情の乏しい人形みたいなヤツがいたら、大抵は驚くだろう。
「…………おまえは、ここで何をしているんだ?」
「……生きている」
「…………馬鹿にしているのか?」
シラユキの怒気を孕んだ声音に対して、男は抑揚のない声で淡々と言葉を紡ぐ。
「ただ、生きている。何もしていない。……起きて、月を眺める、子どもが来て、逃げる、落とし物を拾う、リンゴを食べる、日が昇る前に地下で眠る、それだけだ」
冗談にしては笑えないし、冗談を言っている顔でもない、真顔である。
いや、シラユキが見ていた限りでは、この男は今のところ一度も表情を変えていない。
言葉をなくして佇むシラユキを気にすることなく、のんきにリンゴを食べ続ける男を見て、シラユキはこいつ本当に吸血鬼か、と疑いたくなった。
彼の赤い目が何よりも吸血鬼である証拠なのだが。
「そうだ、食事は? おまえ、血はどうしている?」
この男が吸血鬼であるのなら、血を摂取しているはずである。
理性を失っていないところをみると、おそらくどこかで人間の血を奪っていることは間違いないはずだ。
こいつが人間に害をなす化物なら、今ここで浄化する。
そっと隠し持った銃に手を添えながら、静かに身構えたシラユキだったが、次の瞬間、男が予想外の言葉を口にした。
「……必要ない。俺には、これがある」
スッと音もなく起き上がり、気のせいか少しだけ得意げな表情になったような男が、シラユキに見せつけるように差し出したのは―—今まさに彼が齧っていたリンゴである。
「…………………………は?」
「これさえあれば、俺は生きていける」
こいつどっか頭に欠陥があるんじゃないだろうか、とシラユキは本気で思った。
「はぁっ!? そんなバカな話があるかっ!?」
「何故だ?」
「おまえ、吸血鬼なんだろ!? 吸血鬼は血を糧に生きる化物だろうがっ!!」
「何故そう決めつける?」
どこまでも透き通った赤い瞳が無垢にシラユキを見据える。
「決めつけてない! ただの事実だ!」
「……俺には理解できない。おまえは、人間はみな肉食動物だ、と言われて納得するのか?」
「そんなわけないだろ。肉や魚が食えない人だっている」
「つまりはそういうことだ」
言いたいことはなんとなくわかったが、どうもはぐらかされているような気分になる。
「……おまえと話してると、なんか疲れる」
言葉が通じているようで、微妙に意思の疎通ができていない気がする。
「……俺、この地区はずれにある寂れた教会の“浄化”に来たはずなんだけどな……」
司教からは、討伐するかどうかはシラユキの判断に任せると言われている。
シラユキとしては目の前のこの男が、人間に害をなす化け物だったなら容赦なく祓っているのだが。
どうしたものかと唸るシラユキに、綺麗にリンゴの芯を残した男が淡々と告げる。
「……悪いことは言わない。早くここから去れ」
「なんだと?」
「俺が群れずに、はぐれ吸血鬼となっているのには、理由がある」
***
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