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「酒呑童子と死んだ娘の話、少し違うところがあるんです。」
「違うところ?」
マスターは俯いた。
「はい。死んでしまった娘と男の子は愛し合っていたんです。娘の片想いではありません。」
「え?でもそれならなんで返事を書かなかったんですか?書けば死なずに済んだのに......。」
静香は眉根を寄せる。
「あまりにも多い恋文の量に男の子は差出人を見ることもせずに葛に入れるようになっていました。気づかなかっただけなんです。」
「そんな......。」
マスターは手を伸ばし静香の頭を優しくなでた。その優しい指先が心地よく懐かしい。
「鬼にしたのは恨みの炎ではなく男の子の絶望の炎です。自分の容姿にも境遇にも、非情なすれ違いにもすべてに絶望した。それで鬼になる道を選んだんです。」
「選んだ...?自分で?」
「はい。もてはやされて生きるくらいなら誰もが恐れる化け物と姿を変え、みんな自分を見なくなればいい。異形の姿になり忌み嫌われて、もう誰も自分を愛さないように。......それが真実です。」
沈黙が2人を包んだ。テレビの音だけが虚しく部屋に響いている。静香はマスターの語った話をどこかで聞いたことがあるような不思議な気持ちになった。
優しくて悲しい鬼の物語。なぜこんなにも胸が苦しくなるのかわからない。
「マスターはなんでそんなに詳しいんですか?」
静香がポツリとつぶやいた。
すると一瞬、マスターの双眸がキラリと光った気がした。
「俺が酒呑童子の生まれ変わりだからです。」
「え......生まれ変わり?」
静香は息を呑んだ。
「そうです。今話したのは我が一族で代々伝えられてる本当の話なんです。」
「..........。」
静香にはマスターの表情に嘘がないように見えた。
だからといって普通だったらこんな御伽噺きっと誰も信じないだろう。
この現代に鬼の生まれ変わりがいるなんて。
(でもーーー。)
静香の中の何かがその瞬間目覚めた気がした。ドクンドクンと自分以外の鼓動を感じるように。
「その娘は......真実を知らないまま死んでしまったから。だからわからないんです。」
「え?」
「でも俺にはわかる。生涯愛し抜いたたったひとりの人だから。」
静香の耳にはもうマスターの語りかける声しか入ってこない。
マスターが手を伸ばした。
ーーードクン。
大きく鳴った胸の音。息が苦しくなって静香は動けなくなった。
(この手を..........知ってる気がする.......。)
今にも泣いてしまいそうなほど刹那げな眼差しで静香を見つめる。
「貴女です静香さん。」
「え..........?」
「ずっと...ずっと前から貴女だけを探していました。何世紀も。」
マスターはその刹那、静香の腕を引き寄せ強く抱きしめた。
その腕が少し震えているように感じたのは自分の心が震えたからだろうかと漠然と思う。
「............。」
なぜだかわからないのに静香の瞳には涙が溢れて止まらなかった。
ーーこの人が心底愛おしい。
まるで遙か昔からそうだったかのように...。
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