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抱きしめられたままようやく涙も出なくなった頃、マスターが身体を少し離し眉尾をさげて静香の顔を覗き込んだ。
「気持ちが昂ってしまいました。唐突にこんな話してすみません。信じられませんよね......?」
こんな不安気な表情のマスターを静香は初めて見た。
確かに冷静になったらこんなの信じ難い話だ。映画や本の影響で転生の話に多少耐性はあるが。
静香はふっと緊張を解き頬を緩めた。
「マスターの容姿や雰囲気はそもそも初めから非現実的ですし、どこかの国の王子様でも“絶世の美男子”と謳われる鬼でも何も不思議じゃないですよね。」
「静香さん..........。」
「でも不思議なのは......。」
「...不思議なのは?」
「それを信じたいって思う私です。私の魂が全部わかってるからなのかなぁ...なんて。」
静香の中には疑いや不信感という感情が全く生まれなかった。マスターに惹かれる気持ちが何なのかはまだ分からなくても妙にしっくりくるものがあったのだ。
「人生何が起こるかわかりませんね。」
そう言ってコテンとマスターの胸に静香が顔を埋めると、マスターはまた強く静香を抱きしめた。
その腕のぬくもりをやはりどこかで知っている気がして胸が熱くなる。
「..........。」
涙が溢れて止まらなかった。
自分ではない“誰か”の感情が目覚めたような感覚。
(魂レベルで刻まれてる何かが私にはきっとある...。)
自分の中で答えは出ていたーーー。
静香の家へと続く川沿いの桜並木。毎日通る道だが、こんなにゆったりと景色を見ながら歩くのはどのくらいぶりだっただろう。目を凝らしてよく見ると桜の蕾が沢山ついていた。
「もう春ですね。」
「そうですね。始まりの季節ですね。」
するとのんびりと並んで歩いていた2人の前に、お店でよく見かける女性客が現れた。その人は普段からマスターに言い寄っている女性達の中の1人だった。
「こんにちは奇遇ですね。あら、マスターお隣の女性とはどのようなご関係ですか?」
(単刀直入すぎる。)
静香はあからさますぎるその質問に驚いた。しかも隠すことなくめちゃくちゃこちらを睨みつけてくる。
(そりゃ敵認定しますよね...。)
幸せだったほっこりタイムが急に現実へと引き戻された。
失念していた。イケメンのモテモテ彼氏ができるということは今後嫌でもこういうことが付きまとう。嫉妬、嫌がらせの類ならまだ我慢できる。でも遥かに自分より女子力が高い美人との終わりなき戦いに勝ち続けるメンタルを果たして自分は持ち続けられるのか..........。静香は無性に不安になった。
すると突然、マスターが静香の手をぎゅっと握りしめてきた。そして目が合うと思い切り破顔する。
「この方は私の生涯大切に想う方です。」
(マスター?!いきなり何をっ......。)
「なっっ!な、な、な?!」
気が動転して口をパクパクさせている女性に目を配りもせず、マスターは手を取った静香の指にキスをして更に甘く微笑んだ。
「本当に愛おしくてたまりません。世界で一番愛しています。」
「っっっっ!!!?」
(..........。)
マスターは赤面して固まっている静香の腰に手を当てグッと優しく引き寄せた。
「静香さんを苦しめる全てのものから命をかけてお守りすると誓います。」
「..........。」
(マスターお願いやめて慣れてないんですそんな胸キュンセリフ。撃退のためとはわかってても心臓もたないんです。)
静香がプチパニックに陥ってる間に、見ると女性は声にもならない声で叫びながら踵を返し猛ダッシュで逃げて行ってしまった。
(そりゃ相当ショックだよね...)
「こんなところでごめんなさい静香さん。驚きましたよね。」
「いっ.....いえ。いつも大変そうでしたもんね。お役に立てるのであれば良かったです.......」
「全部本心ですけどね。」
「えっ..........」
溺愛セリフをあんなにも自然に言い切るとは。
(マスター......まさかなかなかの手練れ...)
するとクスリとマスターは笑った。
「すれ違いはもう御免なだけです。想いを伝えずにいるなんて現世では絶対にしたくありませんから。」
痺れるくらい甘い顔に胸が熱くなる。
「もし...私が元彼と別れないで結婚したらどうしてたんですか?」
静香が俯いてポツリと聞くとマスターは立ち止まり振り返った。そしてゆっくりと微笑む。
「そんなことさせるわけないですよ。どんな手を使っても絶対にね。」
「..........。」
(涼しげに恐ろしいことを......)
しかしその背筋が凍るほどの美しさに目が離せないーー。
静香は瞬時に感じた。
きっともう昨日までの自分には戻れない。5年付き合った彼に対しても持ったことのない不思議な感情が既にある。だがそれを表現できる言葉が見つからない。
きっとこの先何かが変わる。もしかしたら全てが変わってしまうかも。
怖いくらいにそんな予感がする。
彼こそが私の運命の人?
愛の為に鬼になった酒呑童子。
例えこの先その愛に食い殺されるのならそれでもいい。
そうやって私に愛を教えて。
貴方は優しい私だけの鬼ーー。
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