765人が本棚に入れています
本棚に追加
/116ページ
怜、不測の事態に困惑し、結果突っ走ることにした ⑦
***
朝、目が覚めたら見知らぬ部屋だった。
天井を眺めながら、暫らくぼうっとしていた。何だか頭が痛い。
それに。
(……なんか身体ダルぅ…目が半開きだぁ……んーと………)
寝返りを打った途端、下半身が鈍痛に襲われて止まった。微動だに出来なくなった所を更なる衝撃が襲ってくる。
素肌に触れる布地の感じは、身に着けているモノのとしての触感と明らかに違う。梓は恐々自分に触れてみて、絶望した。
昨夜の記憶がまざまざと甦る。
怜と一線を越えてしまった。
それを許した覚えはないけど、未然に防げなかった自分にも落ち度がある。身体に残った違和感と痛みはその代償。
梓は隣を振り返った。怜の姿はない。
怜がもう起きていることを確認し、部屋のどこかに時計がないか探した。
ベッドの宮棚にデジタルの目覚まし時計を見付け、「いててて」とぼやきながら手を伸ばす。午前六時五十二分。
一度自宅に帰って用意しても、始業時間の八時半には間に合う。
他部署はフレックスタイムになっているが、事務方は先方からの連絡なども有ったりするので、基本定時制になっている。
動きたくないと思いつつ、いつまでもここに居るわけにもいかない。何しろここは危険地帯だ。
違和感が半端ない。
(異物混入……? 違うか)
馬鹿な事を考えながら、のっそりと起き上がる。
「服、どこだ?」
辺りを見渡せば、綺麗に畳まれた服がガラス天板のテーブル脇に鎮座していた。
怜に畳まれたのかと思うと、羞恥で顔が赤くなる。一刻も早く退散したい。梓は慌てて立ち上がろうとして、失敗した。膝の力が抜けてそのまま前のめりに倒れ、咄嗟に着いた肘の力も抜けて。
ガ……ッ!!
「ぃだッッッ!」
コケた先にテーブルが有り、額を縁に強か打ち付けた。額に手を当ててその場に蹲ると、いきなり「アズちゃん!?」と怜が部屋に飛び込んで来た。
今一番会いたくない人筆頭が現れ、しまったと舌打ちする。
「何か凄い音がしたけど……大丈夫!?」
「…だいじょばない」
蹲ってそう言うと、怜に肩を抱かれて起こされた。「オデコ見せて」と押さえている手を優しく退け、痛々しそうな顔をする。
「いま救急箱持ってくるから、大人しくしていて」
怜は空かさず立ち上がり、梓の肩にタオルケットを掛けて部屋を出て行く。
痛む額にイラッとしながら、押さえていた掌に目を落とすと赤い一文字線がうっすらと着いている。どうやら切れているらしい。
昨夜から痛いこと続きで本当に嫌になる。
間もなくして救急箱を持った怜が戻ってきた。タオルケットに包まった梓をベッドの端に腰掛けさせて、彼女の前髪を掻き上げた。少し顔を上を向かせて「目閉じて」と言われた通りにする。消毒液をスプレーされ、怜がそっと拭き取っていく。
「フラフラしない?」
「フラフラしたから転けた」
「ごめん…じゃなくて頭っ! 具合悪くない?」
「へーき」
そこで言葉が途絶えた。
居心地の悪い空気が流れる。
怜はカットガーゼを当ててテープで留めていく。
「タンコブ出来てきたね。ちょっと待ってて。アイシング持ってくるから」
手早く救急箱を片し、再び戻ってくるまで数分。怜は氷嚢を持ってくると、梓をベッドに寝かせ額に乗せた。怜は端に腰掛け、心配そうに見下ろしてくる。
「今日は仕事休んで。何とかなるから」
「……はい」
仕事中まで怜の顔を見なくて済むと思ったら、少し気持ちが軽くなった。
もしかしたら怜も同じ事を思っているかも知れないと、顔色を探ってみる。けど普段とそう変わりないように見えて、複雑な心境になった。
後悔していて欲しいような欲しくないような、どっち着かずの自分に渋面になる。
どっちなんだろう、どうしたいんだろうと心に問いかけていると、「明け方さぁ」怜が突然思い出したように口を開いた。額の上の氷嚢を揺らしながら。
「寝付けないから、ネットでアダルトサイトを開いてみたんだけどね」
「はあ?」
あれだけヤっといてまだ足りないのかこの人は、と言う冷ややかな眼差しで怜を見る。すると慌てて怜が否定し始めた。
「違う違う。ちょっと聞いて。僕が言いたいことはね、確認したかったってこと。で、結果他の女性では全くダメ。見てて寧ろ具合が悪くなった。じゃあアズちゃんはどうなんだってなるじゃない」
何となくその続きを聞きたくない。それが顔に出たらしく、怜は梓に顔を近付けてニヤッと笑う。
「僕に寝込みを襲われなくて良かったね?」
「……はぅ!?」
「流石に可哀想だから我慢したけど、アズちゃんは稀有な存在だと判明しました」
怜は氷嚢を退けると、梓の目を覗き込んで優しく微笑んだ。
それは梓が大好きな蕩けるような微笑み。うっかり見入ってしまって、唇が重なったことに反応が遅れた。
怜がチュッチュッと梓の唇を啄み、唇が微かに触れ合う位置で「これ以上はマズい」と眉を寄せて離れた。マズいって何!? と目で問うた梓の頬を一撫でする。怜は小首を傾げ「朝食の前にアズちゃんが食べたくなる」と困った顔で微笑んだ。
怜の綺麗な指が頬を撫で、梓の顔は思い切り引き攣った。彼を凝視する梓にくすくす笑うと、
「起きて、食べられそう?」
「……いい。食欲ない」
梓は溜息混じりに言った。怜は「そう」と再び氷嚢を額に乗せる。
眉根を寄せて目を瞑った。そんな彼女に怜はまた「身体、辛くしてごめんね」と呟く。
昨夜から彼は謝ってばかりだ。
「謝るくらいなら、こんな事、しないで欲しかったよ」
「うん。無理強いしちゃったね。けどアズちゃん。身体をしんどくさせたことは謝るけど、君を抱いたことは謝らないから。夕方翔が戻ったら、正直に話すつもりだよ」
真摯な眼差しが梓を見詰める。
翔に話す?
頭の中で繰り返して、悪寒が走った。
梓は咄嗟に半身を起こし、怜の腕を捉まえると泣き出しそうな目で懇願した。
「お願いッ! お兄ちゃんには言わないで!」
「アズ…?」
「昨夜のことは忘れる。だからこの事は絶対にお兄ちゃんに言わないで。もし一言でも言ったら、死んでやるから」
予期しない言葉だったろう。怜の顔は見る見る間に蒼白になって、唇を戦慄かせた。
梓の腕を強く握った。
「なんでッ!?」
「何でって、それ訊く? 怜くんは、お兄ちゃんの恋人でしょ。一時の気の迷いなんかで、ダメになって欲しくない」
「はあっ!? 僕が一時の気の迷いなんかで、アズちゃん…女性を抱けると思ってるの!?」
「きっと偶々スイッチが入っちゃったんだよ。時間経ったら元に戻るに決まってる」
「戻らない。僕はアズの処女を奪った」
「あたしは何も奪われてない」
「膣内に出した。避妊してないよ。それでもなかった事にするの?」
今度は梓が蒼白になる番だった。
この人は何を言っているんだろう?
(……避妊してないって……)
無理やり身体を奪い、わざと避妊しなかったと知らされて沸々と怒りが込み上げる。
梓は怜の麗しい顔に平手を見舞った。
最初のコメントを投稿しよう!