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祝言でござる(8)吉原
吉原。公に許された唯一の色街だ。高塀とおはぐろどぶに囲まれ、隔離されたこの吉原では、金子が全て。金子さえあれば武士も商人もない。
「ふわあ……」
きょろきょろとする佐之輔、宗二郎、直太朗に、両替商近江屋主は笑みを浮かべた。
「吉原は初めてでいらっしゃいますか」
「話には聞いていましたが、凄いですねえ」
宗二郎が目を丸くする。
「うわあ。豪華だなぁ」
花魁道中を見て、佐之輔が声を上げ、
「でも、なかなか進まない上に、重そうだし、面倒臭い歩き方だな」
と付け加えると、秀克が噴き出した。
「身も蓋も無いな」
「きれいだなあ。天女みたいだぁ」
直太朗は素直に感激しており、光三郎は、
「な。これが普通の感想だ。佐之輔は本当に変わってるなあ」
と笑った。
それから一同は、ある店に入った。
詳しくは話さず、ただ、
「訳あって、本宮家江戸家老南方親子の身辺を調査したいのだが」
と言うと、近江屋は
「承知致しました。お任せください」
と請け負い、ここへと5人を連れて来たのだ。
ややあって、若い女が現れた。
その女を見て、秀克と光三郎が一瞬驚いた顔をし、小さく
「志津?」
と呟いた。
女も驚いたような様子で秀克をまじまじと見つめ、顔を伏せた。
「白菊と申します」
上品で大人しそうな女である。
しばらく雑談を交わしていたが、近江屋が何気なく訊いた。
「南方様親子は相変わらずのお大尽ぶりのようだね」
他の客の事を喋るのはマナー違反ではあるが、白菊は、それで緊張した様子を見せる直太朗や急に注目した佐之輔や宗二郎から何かを感じたように、秀克を見、それから盃に酒を注いだ。
「ええ。朝顔姉さんに、かなり気前よく色々と贈り物もしていらっしゃるようで」
それで、ピクリと光三郎の盃が揺れた。
「特に、八朔の日に着る白い打掛は、それはもう見事なもので。吉原一の噂でありんしたなあ」
「ふうん。それで、南方親子はよく来るんですか」
佐之輔が訊くと、白菊は頷き、
「はい。見世を借り切る勢いでのお大尽ぶりを見せられることもありんす」
皆の中で、南方親子はもう真っ黒であった。
白菊が時間が来たので部屋を辞すと、秀克が厠に立った。
後を追うまでもなく、廊下の角の暗がりで、白菊は秀克を待っていた。
「お久しぶりです。上戸様」
「……志津……。どこに行ったのかと思っていたが、その、驚いた」
言いながら、秀克は他に言いようがあるだろうと自分で思った。
「はい。私もでございます。お懐かしゅうございます。
父が辻斬りに遭って亡くなり、兄は女性と出奔。刀も抜かずに背中から切りつけられて死ぬなど武士にあるまじき事と養子も婿養子も認められずに家は廃絶となりました。
その後、母が病となり、私は吉原へと参りました」
「何とか力になれれば良かったのだが……」
「そのお気持ちだけで十分にございます」
2人は幼馴染で、志津の父板垣の事件が起こるまでは、お互いに淡い思いを抱いていた中でもあった。
「お噂を聞きました。殿様の御息女との祝言がお決まりだとか。おめでとうございます」
「志津」
「佐奈様は、お美しい上にたいそう聡明でいらっしゃり、思いやりのあるお方と伺っております」
「そんなものわかるものか。ロクに誰も会った事もない相手だぞ?」
白菊は声を立てずに笑い、
「男というものは、おひい様であろうと遊女であろうと、女に夢を見るものですわね」
と言うと、近付く誰かの足音に、余所行きの顔を取り戻した。
「ではこれで失礼いたします」
そして、静かに歩き去って行った。
秀克はそれを見送ると踵を返して戻り始め、酔客とすれ違って部屋に戻った。
近江屋に礼を言って別れ、4人はまだ日もあるうちに家路についた。
「間違いなく真犯人は南方親子だ」
「そんなに湯水のごとく散財できるなどありえない。豪商くらいなものだぞ」
「しかし、証拠が……」
「そこは、報告に期待して待つしかないか」
佐之輔、宗二郎、直太朗が腕組みをして喋っている。
「くれぐれも、軽はずみなまねはするなよ。危険だし、相手を慎重にしてしまうからな」
光三郎が言い、3人は力強く頷き、各々家へと別れて行った。
それを見送って、秀克は微かな笑みを浮かべた。
「どうした?」
「ん?ああ、いや。あの3人は何だかんだと随分仲良くなったな」
「そうだなあ。お子様みたいなものだからな、3人共」
「おいおい。あいつらが怒るぞ、光三郎」
「吉原に行って、酒も飲まず、女にも興味を見せぬなど、子供以外の何だ?」
「違いない」
秀克と光三郎はひとしきり笑い合った。
それが収まると、しんみりとした空気が流れる。
「志津だったな」
「ああ」
「話したのか?」
「少しな」
「……秀克。まさか」
「あれは、白菊だ。志津とは別人、別世界の女だ」
「ならいいが……」
2人は黙って、並んで屋敷に向かって歩いて行った。
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