三 旅人

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三 旅人

 私はこの街の事を何も知らない。この街の歴史も、この街を作った人たちの文化も何もかも過去のものだ。私は今を生きているのだから何も知らない。黒ずんだコンクリートブロック塀も、低く構えた野良猫も、どこからともなく漂ってくる腐敗した空気も。  見知らぬ街を私は彼女に連れられ歩いた。彼女が立ち止まったのは暗闇に光る控えめなネオン看板のある建物だった。彼女は手馴れた手つきでロビーの機械を操作し、エレベーターで高い場所にある部屋へと向かった。信じられないほど狭いエレベーターの換気扇の吐き出す生暖かい空気が、私の鼻腔へ埃の臭いを送り。喫茶店の薄汚れた階段を思い起こさせた。滞在した一週間を通し、この街にはノスタルジィしかなかった。
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