1. 管理人と被験者

1/2
前へ
/14ページ
次へ

1. 管理人と被験者

俺は被験者の資料を読み終え、椅子から立ち上がった。 久しぶりの現場で、早くも肩が凝り始めている。 今日は担当の部下が流感(インフル)で休んでしまい、手が足りないのだ。 ひとつしかない窓に向かって肩を回していると、背後の暗がりからひとり、男が(まろ)び出てきた。 俺は机の上のクリップボードを手に取る。 男はうめき声を上げた。 「痛い。なんで僕がこんな目に合わなきゃ……」 周囲の変化に気づいたらしく、男は一段、声を高くした。 「あの、ここは何処ですか」 「ここは何処かだと? お前に質問をする権利はないし、知る必要もない」 俺はどうも喋り過ぎのきらいがあるので、気をつけなければいけない。 本来、目の前にいる男に対しては、「黙れ」と発するだけで十分なのだ。 男の顔から血の気が引いていく。 どうやらここは地獄ではないかと、うすうす感づき始めている様子だった。 「質問は俺がする。なんでここに来たのか、言ってみろ」 男はよく手入れされた頭髪を、右手で揉みしだきながら答えた。 「わかりません」 脇腹に回されたもう一方の手が、シルクのジャケットをが寄るほど握りしめている。 「知らぬ、存ぜぬが通じると思うな」 男は「ひいっ」と息を飲んだ。 今にも泣きそうな声が唇からもれる。 「身に、身に覚えがありませ」 「なんだお前、声が震えているぞ」 俺は手にしたクリップボードに挟んだ書類に目を落とす。 そこには目の前で怯えている被験者の略歴が記されていた。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加