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1. 管理人と被験者
俺は被験者の資料を読み終え、椅子から立ち上がった。
久しぶりの現場で、早くも肩が凝り始めている。
今日は担当の部下が流感で休んでしまい、手が足りないのだ。
ひとつしかない窓に向かって肩を回していると、背後の暗がりからひとり、男が転び出てきた。
俺は机の上のクリップボードを手に取る。
男はうめき声を上げた。
「痛い。なんで僕がこんな目に合わなきゃ……」
周囲の変化に気づいたらしく、男は一段、声を高くした。
「あの、ここは何処ですか」
「ここは何処かだと? お前に質問をする権利はないし、知る必要もない」
俺はどうも喋り過ぎのきらいがあるので、気をつけなければいけない。
本来、目の前にいる男に対しては、「黙れ」と発するだけで十分なのだ。
男の顔から血の気が引いていく。
どうやらここは地獄ではないかと、うすうす感づき始めている様子だった。
「質問は俺がする。なんでここに来たのか、言ってみろ」
男はよく手入れされた頭髪を、右手で揉みしだきながら答えた。
「わかりません」
脇腹に回されたもう一方の手が、シルクのジャケットをしわが寄るほど握りしめている。
「知らぬ、存ぜぬが通じると思うな」
男は「ひいっ」と息を飲んだ。
今にも泣きそうな声が唇からもれる。
「身に、身に覚えがありませぬ」
「なんだお前、声が震えているぞ」
俺は手にしたクリップボードに挟んだ書類に目を落とす。
そこには目の前で怯えている被験者の略歴が記されていた。
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