色彩の温もり

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色彩の温もり

 次のオークションに出品する絵が完成しない。下書きは出来ている。色彩がどうしても決まらない。  目が覚めたら、白い空間にいる。見上げると鯨のような形をした黒い大きな物体が落ちてくるのが見えた。  そもそも色を塗らなければならないのだろうか。何故塗らなければならないのか考え始めると思考から抜け出せなくなる。何色がこの絵に合うのかなど私には分からない。  鯨かと思われた物体が地面に近づいて来た時にそれが、初めて爆弾のようだと分かった。逃げるのには既に遅かった。  周囲の人間は私に期待していた。色彩の魔術師とも評され、私は驕り高ぶっていた。  地面に接触した瞬間、その爆弾の中からは大量の絵の具が溢れ出た。青、赤、黄、緑およそパレットで作れる全ての色が濁流となって押し寄せてくる。私はただその濁流に流され、顔を出し、必死に息をする。  心因性要因が大きいと医者は言う。それまで見えていた色彩はある日全てが分からなくなってしまった。世界は色を失って、絶望の淵に立たされたのだ。  暫く流されていると、白い空間が途中で終わっており、滝のように下に濁流が落ちている。私は必死で流れと逆方向へ泳ぐが、強靭な意志を持って私の無力さを証明しようと逆らうことは許されない。徐々に私はそこへ吸い込まれるように流されていく。  彼女と出会ったのはそんな折であった。よく笑う女性であった。周囲から見放されていた時、あなたの目になると言ってくれた、唯一の人物である。彼女がいればこそ、私はこれまで生きてこれた。そんな彼女すら、私には勿体無いという事なのか。彼女の命は奪われた。二度と戻らない、私の光だ。  必死に抵抗する必要など既に失われた事に気がつく。私は全身の緊張を緩め、色彩に身を任した。そのまま滝壺へ落下していき、深く沈んでいく。  不思議ともう苦しくない。彼女の温もりを感じるのだ。  私の絵は完成した。
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