十八歳・春―卒業式と新たな人生―

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十八歳・春―卒業式と新たな人生―

 首の後ろへ何かが触れる。くすぐったい感触に身じろぐと、懐かしい木の匂いがした。 「大ちゃん……大ちゃん、起きて」  肩を揺すられる心地いい感覚と、聞き慣れた声が子守歌のように幼いころからの愛称を呼ぶ。まぶたを開き、伏せていた身体を起こすと欠伸が出た。 「あー……俺、寝てたか……」 「うん、気持ちよさそうだった」 「おう……あ?」  目を擦っていた大雅は違和感を覚え、目前に立っている諒太を見上げる。 「お前、なんて格好してんだ」 「うん?」  大雅を見下ろす諒太は、紺色のブレザーに身を包んでいる。それは男女共にデザインが人気の、三年間で着飽きた高校の制服だった。 「……コスプレか?」 「大ちゃんも同じの着てるよ?」  丸っこく愛らしい二重の瞳が、キョトンと大雅の首から下へ向けられる。 釣られてうつむいた大雅は、自身の服装も制服であることに驚愕した。 「……はっ!? っえ? なんだこれ!」 「変な大ちゃん。もうみんな、集合場所に行っちゃったよ。俺たちも行こ?」 「は……? 集合って」 「今から卒業式でしょ。ふふ、寝惚けてる」  ――卒業式?  ポカンと口を開ける大雅の頭を、諒太は朗らかに撫でている。決して急かすことのない手の平には、嫌というほど覚えがあった。 「ど、う……なってんだ……?」  意味がわからず首を巡らせる。大雅が座っているのは木製の机と椅子で、今いる場所は高校の教室だった。左胸には花のブローチがつけられており、黒板にはチョークで描かれた妙にクオリティの高い桜の絵。その隅で、卒業式後のスケジュールが窮屈そうに箇条書きされていた。 「学校……」  ふと脳裏に、占い師のような恰好の女が過ぎる。それを皮切りに次々と蘇る出来ごとが、摩訶不思議な現状の理解に一役買ってくれた。  大雅の願いは、諒太に想いを告げず幼馴染として生きること。そして後先考えず告白をしたのはこの日――卒業式後のことだ。 「マジで、やり直せる……?」 「何をやり直すの?」  諒太は一人で体育館へ行く気がさらさらないのか、暇を持て余すように背後で大雅の髪を結び直している。口ずさんでいるのは卒業式の合唱曲で、懐かしさとともに実感した。  本当にやり直せる。  ならば今度は彼を、馬鹿な大雅の手から、守ってやれる。  与えられたチャンスを噛み締める大雅は、困惑より安堵が勝っていた。 「……行くか。卒業式」 「うん」  うなずいた諒太を連れ、教室をあとにする。  履きつぶした上履きがぺたぺたと廊下を叩く間抜けな音を聞きながら、大雅は忘れもしない今日のことを記憶から引っ張り出した。  式後、絶え間なく諒太を呼び出す女子生徒にヤキモキした大雅は、彼を連れ出して人気のない教室で想いを告げる。誤った未来は、その瞬間から始まった。  やり直せるなら、絶対に好きだと言わない。そうすれば諒太と大雅が付き合い始めることはない。全てを知る大雅なら、正しい未来を紡ぐことができるはずだ。  秘めた決意には、少しの躊躇いもなかった。  式後、一度目より深い寂寥感を覚える大雅は、カメラを起動させた携帯片手にしみじみと校庭を眺めていた。  チラホラと帰路につく生徒はいるものの、卒業生の大半は最後の思い出作りに勤しんでいる。男泣きしている担任教師に釣られて一人が泣き始めると、続々と女子生徒が陥落していく様はまさに青春だった。 「おーい、ボケっとしてないで撮れよ、大雅!」 「わあってるって」 「諒太も来いよー」  真面目な顔でおかしなポーズをとる友人が、大雅に引っついている諒太を呼ぶ。肩越しに携帯画面を覗きこむ男へ顔を向けると、無垢な瞳が何かを訴えるように視線を注いできた。  言葉にされずとも、「大ちゃんと一緒なら」という幻聴が聞こえる。写真の類があまり好きではないのを知っている大雅は、暇なのか人間ピラミッドを組み始めた友人へ代わりに応えた。 「お前らと撮らせたら諒太がアホになるわ」 「出たよ、過保護大雅の鉄壁ガード!」 「うっせ。ほら撮るぞ」  やがて崩れてつぶれるピラミッドを連写していると、クスクスと笑う吐息が耳に触れた。 「最後だからって制服汚しすぎだよね」  背中に張りついて画面を見る諒太は身体を丸め、大雅の肩に顎を置いて腹に手をまわしている。  その様子を、近くにいた別の友人がすれ違いざまに「相変わらずベッタリしてんな」と笑った瞬間、大雅はギクリとした。  この距離感は二人にとって当たり前だが、言われてみれば不自然極まりない。告白しないことはもちろん、諒太の今後を思えば一般的な幼馴染の接し方を念頭におく必要がある。 「馬鹿、近えよ」 「……え?」 「ほら、……写真撮りにくいし」  遠ざける言葉は使い慣れないせいでしどろもどろだ。内心は右往左往しているのを隠し、小さな液晶に集中する。  そのとき、控えめな声が諒太を呼んだ。 「あの……藤野君、ちょっといい……?」  諒太と離れて振り返ると、そこには頬を染めた女子生徒がいる。どんな用かは訊くまでもなく、大雅は心の中で「もう五人目か」と呟いた。  わかりやすく困惑している諒太は、助けを求めて大雅に視線を送ってくる。 「え、と……」  今まで大雅は、この視線に応え続けてきた。真実と嘘をほどよく混ぜ、諒太が悪い印象を持たれないよう、或いは大雅の身勝手に映るよう調整して女子生徒を遠ざけてきたのだ。それは彼の気持ちを尊重した行為でもあったし、大雅の嫉妬を反映させた牽制でもあった。  だが、今日からは違う。 「行ってこいよ」  背中に添えた手で五度目の後押しをしてやると、勢いで女子生徒へ一歩近づいた諒太は傷ついたように眉を下げた。 「大ちゃん……」  わかってるくせに、どうして。  そう言われている気がしたけれど、これは距離を置くための第一歩だ。散々甘やかしてきたのはお前じゃないかと、自覚のある大雅はエゴイスティックな己に深く失望していた。 「言えなかった後悔って、ずっと残んだぞ」 「……え?」 「言わせてやれ。そんで、ちゃんと真剣に考えてやれ。な?」  心のどこかで冷静な自分が、「白々しいぞ」と嘲笑っている。幾人もの恋心を諒太へ届く前に踏みにじっておいて、諭す大雅はさながら詐欺師のようだ。  諒太はしばらく大雅をじっと見つめていたものの、やがてうなずき、女子生徒とともに賑やかな校庭をあとにする。見送ることの違和感と、誤魔化せない嫉妬に突き動かされ、大雅は携帯をポケットに仕舞った。 「悪い、俺もう帰るわ」 「マジで? 諒太と一緒に帰るんじゃないのかよ。あいつ泣くぞ」  友人の心配を根性だけで笑い飛ばし、ヒラリと手を振る。 「泣くかよ、彼女できたとき俺がいたらムード台無しだろ。写真はあとで送っとくわ」  数人分まとめて地面へ置いていたカバンの中から、自分のものを手に校舎を出る。  ほぼ週五で往復していた帰路を初めて歩くような感覚に陥るのは、隣にいて当たり前だった存在がいないからだ。 「ミッション完了、てな……」  思い返せばまじまじと見たことのなかった景色を、暇つぶしも兼ねて眺める。しつこく喪失感を訴える心を無視するため、今後に思いを馳せた。  願いを叶えたのだから、肉屋の前に戻れるのだろうか。むしろこのまま、一年半を重複して生きるのだろうか。  もし後者であるならば、楽しみにしていた漫画の新刊を読めるのもずいぶん先になってしまう。それは少し困る、と苦笑する大雅は、背後から唐突に肩を強く掴んで引かれた。 「……ッ!?」  されるがまま身体を反転させられ、咄嗟に拳を振り上げる。しかし犯人の姿を認識して素っ頓狂な声を出し、腕を下ろした。 「ど……どうしたんだよ、諒太……」  相当走ったのか、諒太が苦しそうに膝へ手をついた。上下する肩を撫でると、上気して歪んだ甘いマスクが大雅を見上げる。 「た、いちゃん、が……っいない、から」 「……それだけ? バッカだなお前、彼女と帰るだろうと思って気い利かせたのに」  喜んではいけないのに、諒太が誰も選ばなかったことにニヤけてしまいそうだ。どうにか呆れ顔を作る大雅は、少し乱れた諒太の黒髪を撫でつけてやる。  すると身体を起こした男の表情が、みるみるうちに削げ落ちた。驚いて引っこめた手を掴む諒太の目は据わっており、まるで別人のようだ。 「……そっか、そっちに転んじゃったんだ」 「諒太? なんだよ、怖え顔して……」  ふわりと下方を漂った視線が、大雅の顔へ戻ってくる。諒太はそれからボソリと呟いた。 「言えなかった後悔はずっと残るって、大ちゃん言ったよね」  何故か無意識に止まっていた呼吸が、吸い方も吐き方も忘れたように上手にできない。瞬きも返事もできないでいると、彼の眦は心なしか吊り上がって不満を滲ませた。 「一緒に帰るって約束したよ。先に帰っちゃ駄目だよ。俺は大ちゃんと一緒がいいのに、なんで俺が女の子と帰ると思うの?」 「いや、それは……」 「俺との約束、破らないでよ」  これまでずっとそばにいて、怒る諒太を見たのも叱られたのも初めてだった。頭が真っ白になり、何も考えられない。  すると諒太は打って変わって視線を和らげ、見慣れた柔らかい笑みを浮かべた。 「はい大ちゃん。ごめんねは?」 「え、あ……ごめん」 「うんいいよ。仲直りだね」  端から溶けていくのでは、と不安になるほど、男の目尻が甘ったるい笑いじわを作る。しかし彼らしくない押しの強さに圧倒される大雅は、妙に焦って何度もうなずいた。  諒太は上機嫌に大雅の左手を掴んで歩き出す。つながれた体温に驚き、肩がビクついた。 「お、おい諒太……これはねえって」 「昔はいつもつないでたよ」 「子どもじゃねえんだぞ。人目とか……」 「それって大事?」  心底不思議でならない、と言いたげに大雅を一瞥した諒太は、つないだ手に力をこめた。 「そんなの気にしてたら、また大ちゃんが一人で帰っちゃうよ。だから捕まえとくんだ」  与えられる餌だけで満足していた雛鳥が、目覚ましい成長を経て巣を飛び立つような力強さを感じる。淀みなく自己主張する横顔はさっぱりとしていて、何かを吹っ切ったようにも見えた。 「どうしたんだよお前……なんかあった?」 「ううん、何もないよ。ただ、大ちゃんの言う通りだなあって思ったから、ちゃんと言葉にしてみただけ。こんな俺は変? 嫌?」  甘えるように首を傾げる仕草ですら、普段より格好よく見える。気弱で優しい性格が高い顔面偏差値の嫌味を打ち消していたが、強引さと臆せぬ物言いをプラスした諒太のイケメン度は羨望を抱くことすら烏滸がましい。  比例して、胸を高鳴らせる己の乙女度まで底上げされたような気がした。 「別に、変じゃねえし、嫌でもねえよ。お前遠慮ばっかするから、いいんじゃねえの」 「へへ、うん。ありがと、大好き」  気の抜ける笑みで言った諒太は、鼻歌混じりにつないだ手を揺らす。無邪気で含みのない「大好き」が壊したのは、手を握り返そうとした大雅の邪心だった。 「はいはい、俺もお前が大好きですよ」 「心がこもってない……」 「馬鹿、こもってたらエグいだろうが」  ぶすくれる諒太を笑い飛ばし、ポケットに手を入れて気怠そうに足を動かす。悪乗りした諒太が冗談で手を引いているように、あるいはやる気のない大雅を仕方なく連れているように、周囲の印象を操作するのは得意だ。  いつも斜め後ろを歩いていた頼りない諒太は、この先どんどん一人で好きな場所へ歩んで行くだろう。彼を導けない左手には、なんの価値もない。だから今だけは振りほどかないでいたかった。  その日の夜は、記憶通り諒太の家で夕飯を食べた。食卓を彩るのは気合いが入った早智子の手料理と、隆史が仕事帰りに買ってきた大きなケーキだ。卒業祝いが誕生日会のようだと呟くと、過去と同じように早智子から「ロウソクないでしょ」と睨まれてしまった。 「ねーえ、大兄」  ケーキの口直しに珈琲を飲んでいた大雅へ、右手の誕生日席に座る女子高生が声をかける。いつもはバイトにデートにと忙しくてあまり家にいない彼女は、諒太の妹、愛希奈だ。  兄と同じ、くっきり二重の愛らしい目元が大雅を上目遣いに見つめている。 「やっぱり卒業式のあと、告白とかされた?」 「諒太はな」 「えっ、大兄は? 諒兄より頼もしくてカッコいいのに……?」 「ないない。つーかお前、兄貴泣くぞ」  言ってから左を向いた大雅は、無言で諒太の背に手を置く。三つ目のケーキとともにフォークを行儀悪くかじる兄は、可愛がっている妹からの評価に拗ねていた。 「そうだよね、大ちゃんカッコいいもんね」 「いやいや、自信持てよイケメン。お前は向かうところ敵なしだって。な?」 「それで諒兄、初めての彼女はどんな子?」  愛希奈は親兄弟に似ず、怖いもの知らずなところがある。いじける兄へのフォローは後回しで、好奇心が勝ってしまったようだ。  諒太は仕方なさそうに苦笑し、首を振った。 「どんなって、もちろん断ったよ」 「えっ、なんで断っちゃうかな!」 「そうよ諒君、チャンスだったのに!」 「ええ? おばさんまで……?」 「いつも顔の怖い大雅と一緒にいるから女の子が寄ってこないんじゃないかって……おばさん心配なの」 「いやいや、諒兄がすぐ大兄に甘えちゃうから彼女できないんだよ。この間あたしの友だちがさ――……」  加勢してきた早智子と二人、愛希奈は楽しそうに恋バナを繰り広げている。母からの評価には眉をひそめたが、物申したところでタッグを組む女性陣には勝てない。大雅は黙って残りの珈琲に口をつけた。  すると今まで穏やかに話題を傍観していた隆史が、一番の爆弾を微笑みと共に落とす。 「諒太には好きな人がいるんじゃないかな?」  パッと勢いよく諒太に顔を向けてしまった大雅は、口端にクリームをつけた男の耳朶が薄く赤らんでいく様を全て見てしまった。 「……え、いんの?」 「うん、いるよ?」  形のいい頭が躊躇なく上下し、照れくさそうな笑顔ではにかむ。  大雅は「ふうん」と平然を装って相槌を打ち、諒太から目線を外す。早智子と愛希奈の盛り上がる賑やかな声を他所に、泥沼のような思考に頭から突っこんだ。  つまり大雅は、想い人がいる諒太を一年半も拘束していたことになる。罪の意識が喉に詰まり、窒息しそうだった。 「悪い、ちょっと疲れたから先戻るわ」  これ以上諒太の隣に座っているのは耐えがたく、逃げるように席を立つ。そんな息子を、焼酎のロック片手に早智子が見上げた。 「大丈夫? 母さんも帰ってほしい?」 「別にいいって、寝るし。おやすみ」  ヒラリと手を振り、軽い調子で挨拶を残した大雅は諒太の家を後にした。  一体、隆史と早智子はいつから交際していたのか、と考えているうちに、癖で自分のアパートへ向かいかける。すぐ我に返り、諒太の家の隣にある三階建てマンションへ入った。くすんだ水色のマンションの一階角部屋が、大雅と早智子の暮らす自宅だ。  久しぶりの実家で自室のベッドへ転がると、改めて過去にいるのだと実感する。 「これからどうすっかな……」  未だ、二十歳の自分には戻らない。  一年半の重複生活は億劫だが、奪ってしまった諒太の青春を見守ることができるなら悪くないはずだ。ぼんやりと己に言い聞かせていると、控えめなノック音が部屋に響いて諒太が入ってきた。 「大ちゃん……」 「あ? なんだ、お前も抜けてきたのかよ」  身体を起こすと、諒太はムッツリと口を噤んだままベッドに座る。 「聞いてないよ、家出るってホント?」  大雅は気まずげに目を逸らし、諒太から一人分の距離を空けて床へ足を降ろした。 「母さんが言ったのか」 「うん、さっき。なんで一人暮らし?」 「就職すんのに、親のすね齧り続けんのもな」 「でもおばさんは、大ちゃんに大学出てほしかったって」 「頭が足りねえのに、シングルマザーにこれ以上負担かけられるかよ。早く楽させてやりてえって、お前も知ってんだろ?」  今となっては会社務めで生活も給料も安定している早智子だが、まだ大雅が幼いころは大層苦労してきている。子どもがいるというだけで就ける職業は限られ、定職にありつけても、風邪をひいた、警報が出た、という理由で休めば退職を促される。息子を養うためにどれほどの時間や労を犠牲にしたか、間近で見ていた大雅は端から大学に進学する気がなかった。  諒太は寂しそうにうつむきながらも、それ以上食い下がってこない。しかし大雅を見る瞳は、少しも納得していなかった。 「じゃあ、住む場所は近くにして?」 「は?」 「できる限り近いとこ。そうだ、徒歩五分圏内くらい。俺も一緒に探すから。ね?」  その懇願には憶えがあり、狼狽える。交際が始まった直後、家探しを始めた途端無言で拗ねる諒太を誘導尋問した結果、ねだられたものと同じだからだ。  あのとき諒太は「恋人が遠いとこに住むのは寂しい」と言った。だったら今は何故か、考えて浮かぶ理由は彼らしい思いやりだ。 「……や、母さんなら心配いらねえよ。おじさんもいるし、俺もたまに顔出すから」 「違うよ、俺が困るんだ、大ちゃんが近くにいないと」 「な、……」  数年前まで屈強なヤンキーと殴り合うのは平気だったのに、今は「なんで」と訊ねる度胸すらない。どんな顔でいればいいかわからず、いやに真剣な視線から逃げる。 「何言ってんだ。別にいつでも会えるだろ」  だがベッドから立ち上がりかけた大雅の肘を、男は掴んで引き留めた。 「大ちゃんお願い、五分以内にして」 「んな近いとこ、ねえって」 「きっとあるよ。じゃないと出て行かせない」 「はあ? 諒太、いい加減に……、っ」  腕を引かれ、背中から布団に倒れこむ。唖然とする大雅は、男二人分の体重で軋むベッドの音を聞いてフリーズした。 「俺から離れて行かないで。うなずいてよ」  男の重みでシーツに縫いつけられた手首が僅かに痛んだが、押し倒されている現状に比べたら些細なことだ。早く離れないと、早鐘を打つ情けない鼓動の音が知られてしまう。焦り、自由なほうの手で面前の肩を押す。 「馬鹿、重いっつーの……退けよ」 「うんって言ってくれたら退くから」 「わかった、わかったって。五分以内な」  意外に逞しい二の腕を軽く叩き、小刻みに何度もうなずく。そうしてやっと満足してくれたのか、諒太は大雅の上から動いてベッドを降りた。  脅迫まがいに迫っておいて、望んだ返答を得られた諒太はすっかり無邪気に笑っている。 「よかった。ごめんね? 手首痛い?」 「別に……」  心底安堵する大雅の顔は普段通り平然としているが、薄い皮膚の下では恋心が全速力で駆け巡り、叫び出したいほどだった。起き上がって片膝を抱き、無意味に携帯を触る。 「じゃあ……物件は探しとく」 「目星ついたら教えてよ。一緒に見に行きたいから」 「おう」  あっさりと諒太が部屋を出ていき、再び一人になった。大雅は不毛なカモフラージュをやめ、顔からベッドに突っ伏す。男の重みと手首を掴む熱さを思い出すだけで頭が茹だり、あの手に乱されることを知った身体が疼く気がした。 「くそ……意味わかんねえ」  くぐもった声がシーツに溶ける。  彼の言動を都合よく解釈してしまいそうな自分が恐ろしく、うつぶせたまま頭を抱えた。 「あいつ、なんのつもりで……」 「うまくいった?」 「っ!?」  誰もいないはずなのに、突然声をかけられて飛び起きる。するとモスグレーのセンターラグに座る、占い師風の女と目が合った。 「あ、お前……!」 「やっほー。どう? 願いは叶った?」  軽い調子の問いに、うなずいていいものか迷う。原因を取り除けば大団円だと信じていたが、どうも釈然としないことばかりだ。  無言の大雅を見ていた女は、怪訝そうに身を乗り出してベッドへ腕を置く。 「なあに、もしかして告白しちゃった?」 「いや……してねえ、けど」 「なら喜べばいいじゃん」 「なんか違えんだよ。あいつ……変なんだ。期待させるようなことばっかして……」 「うーん」  細い人差し指を顎に当てて唸る女は数秒後、その手でベッドをポンと叩いた。 「じゃあ、あなたが彼女を作ればいいんじゃない?」 「は? ……っ」  項垂れていた顔を上げた瞬間、女のいやに冷たい指先が大雅の頬に触れ――視界がぐるりと回った。
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