二十歳・夏―遊園地と願いを叶える石―

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二十歳・夏―遊園地と願いを叶える石―

 耳をつんざくようなセミの大合唱に驚いた大雅は、見覚えのある遊園地を認識して反射的に顔を顰めた。  木陰のベンチに座る大雅の爪先から数歩先のアスファルトは、真夏の日差しが照り返って白く光り、禍々しい陽炎がゆらめいている。湿った熱気で汗の滲むTシャツは肌に張りつき、暑いと感じるや否や喉の渇きに襲われた。  携帯を出し、表示させた日付は大雅の二十歳の誕生日だ。なんとも言えない気分で、額の汗を腕で拭い項垂れる。 「来たのかよ……マジかよ……つーか真夏に遊園地来んなよ暑いだろ……」 「大ちゃん大丈夫?」  足音と声に誘われて顔を上げると、両手にドリンクカップを持った諒太が戻ってきた。 「さすがに真っ昼間は暑いね。はい」 「おう、サンキュ……」  汗をかいたカップを受け取り、ストローに口をつける。きつい炭酸が口内と喉で踊ると、体内にこもった熱を少し連れて弾け飛んだ。  誕生日に遊園地を訪れた記憶はないから、今日ここにいるのは過去で違う行動をしたせいだろう。今はとにかく状況を把握しなければいけない。  何から訊くべきかと悩む大雅は、一先ず当たり障りのない話題を諒太へ投げかけた。 「今日……何乗ったっけ」 「え、観覧車以外は全部乗ったじゃん」 「あー、そうだった。悪い」 「ううん。最初から飛ばしすぎたし、大ちゃん疲れてるんだよ。真夏産まれなのに暑いの苦手だもんね」  大雅は苦笑を返すが、末恐ろしい疑問にぶち当たる。諒太は嘘を吐かないから全部と言ったら全部なのだろうが、男二人でメリーゴーラウンドやティーカップにも乗ったのだろうか。非常に気になるが、確かめる勇気はない。心の安穏を守るためにも、疑問ごと夏空の彼方へ投げ捨てた。 「つーか、なんで二人で来てんだっけ」 「……ホントに大丈夫?」  寒がりなせいか真夏でも涼しげな諒太は、心配そうに大雅の首筋へ自分のドリンクを当てる。対照的に暑がりで汗かきな大雅は、カップから滴る水分がシャツの隙間から背筋を流れていく冷たさに息を吐いた。 「大丈夫だって。ど忘れっていうか、まあ、そんな感じ」  カップを押し返すと、乗り出していた身を引いた諒太がストローを噛む。 「そっか……この間も言ったけど、去年愛希奈にもらったチケット、掃除中に見つけたから」  予想通りの答えを得て、一先ず経緯は把握できた。しかし、納得はまた別物だ。 「お前さあ、次から、こういうとこに来るなら女の子誘えよな」  目を見て言う自虐行為には耐えられず、蛇行するジェットコースターの動きを眺める。腹の中に溜まった水分の重みには辟易としているのに、間がもたず無理に炭酸を口にした。  すると肘の辺りに温度の低い指先が触れ、暑いはずなのに鳥肌が立つ。勢いよく諒太へ顔を向けると、彼はベンチに片手をついてすぐそばまで迫ってきていた。 「大ちゃんは、それが正しいと思う?」  笑みのない真剣な眼差しに、思考が絡めとられていく。みいん、みいん、と騒ぎ立てる蝉の声が耳の中で木霊した。使い物にならない頭では、諒太の言葉の意味が噛み砕けない。 「俺が大ちゃんじゃなくて、女の子を誘って遊園地に来たら正しいの?」 「な、んだよ諒太、近えし……」 「俺は一番一緒にいたい人を誘ったよ。それが俺にとって正しいことだから」  諒太が口を動かす度に、甘酸っぱい林檎の香りがした。キスをして舌を吸えば、もっと甘い味がする。  ごくりと喉が鳴る。性欲に揺さぶられる己が、何かとてつもなく汚れた存在に思えた。  近づぎる距離をどうにか離したくて、首肯しながら諒太との間に両手を出す。 「わ、かった、わかったから、離れろって」 「ううん、わかってない。だって大ちゃん最近すぐに女の子の話する。俺が一緒にいるのは迷惑?」 「なわけねえって、ただお前、男の幼馴染にくっついてる暇があんなら、彼女と青春したほうが楽しいし幸せだろ」 「みんなの幸せと俺の幸せは同じじゃないよ」 「――諒太……」  信じていたものが覆されたような、何重もの目隠しを一気に剥ぎ取られたかのような心許なさに襲われ、言葉に詰まる。  動揺を間近で観察していた諒太は、やがて助け船に似た微笑みを浮かばせた。 「ごめんね、意地悪しちゃった」 「……意地悪、て」 「だって大ちゃんが女の子女の子って、俺を遠ざけようとするんだもん。だからね、ちょっとだけ仕返し」  諒太が身を引いてベンチに座り直すと、身体の強張りが解ける。ホッと息を吐くが、いつの間にか大雅を手の平で転がせるまでに変わった諒太は、まるで知らない男に思えた。 「お前さ……変わったよな」 「ホント?」 「俺を問い詰めたり、ズケズケもの言ったりしなかったろ。……いや、今まで俺が我慢させてたんだよな」 「そうじゃないよ」  諒太が手持ち無沙汰に揺らすカップから、ガシャガシャと氷の暴れる音がする。木漏れ日の隙間から空を見上げる横顔にかかった影は、茂った葉の模様をしていた。 「大ちゃんはいつも俺の願いを全部わかっててくれたし、言わなくても叶えてくれたよ。だから何も言うことがなかっただけ。我慢なんて一回もしたことないもん」 「なわけねえだろ」 「ホントだよ。なんで疑うの?」 「だってお前、それじゃあ卒業式の日……」  あの日大雅の告白にうなずいたのも、一年半もの間恋人として過ごしていたのも、諒太の願いだと言うのだろうか。  今隣にいる男へ問うわけにもいかず、口を噤む。すると思考の海へ飛びこむ前に、諒太は小さな溜め息で大雅を呼び戻した。 「うん……あの日は目が覚めた気分だった」  並んで座る二人は、それぞれが違う同日を思い起こしている。それはとても不思議な気分で、何も言葉が出てこない。  虚空へ視線をさ迷わせていた男は、ゆっくりと頭を傾けて大雅を見据えた。 「言えなかった後悔は残るって、言われるまで気づかなかった。俺にもちゃんと、言いたいことはあったのにね」 「……言いたいこと?」 「好きな人に好きって言うこと。だからね、何もしなくて何も言わない俺をやめたんだ。今はその人に、男として見てもらおうと頑張ってるところ」  ドクンと心臓が変な音を鳴らしたのは、熱中症になりかけているせいだろうか。  白々しい解釈で自分を慰める大雅は、か細い声で「そうか」と言うほかない。しかし正しい未来に突き進む背を押すくらいは、不必要な左手でもできる気がした。 「心配ねえよ。お前なら大丈夫だ」  ドラマで見た青春のワンシーンを手本に、諒太の背を力強く叩く。撫でてばかりいたせいで加減がつかめなかったが、諒太は痛がるどころか嬉しそうに破顔した。 「へへ。本当?」 「ったりめえだろ。お前が中身もイケメンだって、俺が一番知ってる」 「大ちゃんには敵わないよ。喧嘩は強いし、面倒見いいし、流し目セクシーだって騒がれてたじゃん」 「あいつら目え悪いんだよ」  うまく冗談めかせているだろうか。  少しの不安を取り繕いたくて減ったジュースを行儀悪く吸い続けると、諒太は苦笑し、大雅のカップを下げさせた。 「大ちゃんは好きな人いないの」 「俺のことはどうでもいいだろ」 「よくないよ。ねえ、教えてよ。いるんでしょ? 告白しないの?」  早智子と愛希奈を彷彿とさせる好奇心で、瞳を輝かせる諒太は再び大雅へ迫る。  困り果てるが、誤魔化し続けるのにも限界がある。下手に不満を抱かせるくらいならばと、無難な真実だけを選びとった。 「……俺は、お前みたいにできないから」 「告白できないってこと?」 「いや。……したことを後悔してる」  ざ、とぬるい風が吹き抜けると蝉の声が止み、木の葉が擦れて爽やかな音がする。 「……今、なんて?」  しかしその清々しさに混ざったのは、底冷えするような感情のない声だった。 「誰に……言ったの? 付き合ってた?」 「な、んだよ、それは秘密だろ」 「答えて」  男の顔から、表情という表情全てが消えていた。真夏の暑さで汗をかいているというのに、おかしな悪寒を感じる。  だが絡め取られた目は逸らせず、再燃した蝉の声すら意識の外へ放り出された。言うつもりなどなかったのに、口からは求められた問いの答えが操られたように零れる。 「無理に付き……合わせてた、だけだ」 「どういうこと? その人は好きじゃないのに、大ちゃんの恋人になったの。それなのに大ちゃんは、まだその人が好きなの」  無から沸々と滲まされる怒りの原因が何かわからず、どう返せばいいか判断できない。  ほぼ停止した頭が吐き出させたのは、なんの盾も持たない事実だった。 「ああ……好きだ」  罪悪感に染まった告白は、溜め息に溶ける。  愛しい男に恋の話をする虚しさは、緩やかに首を絞められているようだった。 「だから……俺は駄目だったけど、お前はちゃんと好きな奴と幸せになれ」  今の大雅が手向けられる最上級の愛情は、蝉の声に負けるくらい脆い。  諒太は無表情のまま、ぼんやりと大雅の首元を見つめていた。呆然とする様が不安で仕方なく、艶のある黒髪を恐る恐る撫でる。  すると諒太は突然、その手首を強く掴んだ。 「大ちゃん、暑いし帰ろうよ」 「あ、ああ……そうだな」  空いた手で二人分のドリンクカップを持つ諒太は、手首を離さないままベンチを立つ。  大雅は「手を離せ」と言うタイミングを逃し、結局駅で切符を買うときまで諒太に腕を引かれることとなった。  気まずい沈黙を打開させることもできないまま、アパートへ帰りつく。諒太はベッドの傍で立ち尽くし、面白味のない部屋をただじっくりと眺めていた。 「大ちゃんの部屋、久しぶり。誰かさんが忙しいって全然俺を構ってくれないから」  台詞には柔らかな棘が生えている。  大雅はエアコンを強風で稼働させ、冷蔵庫から出した水を飲みながら、諒太にも新たなボトルを差し出した。 「嫌味言う奴にはやらねえぞ」 「誤解だよ。寂しかったって言ってるだけ」  首を巡らせて振り向く男は、受け取った水を飲む気配がない。何かを訴えるような視線に本音を暴かれそうで、大雅は空のボトルを捨ててベッドへ掛けた。 「……そうかよ」 「愛希奈がくれたチケットだからとか、理由がないと一緒に出かけてもくれないでしょ?」  大雅の意識と記憶は過去をやり直している時間分しかないが、大雅の知らない大雅もどうにか諒太と距離を置くべく奮闘しているようだ。恐らく可愛い妹を引き合いに出されて渋々うなずいたのだろうと、容易に想像できる。 「別に……身内なんだし、いつでも……」 「身内?」 「あ、いや。ほぼ家族みたいなもんだから」  ポロリと今の諒太が知らない事情を匂わせてしまったが、彼は大雅を問い詰めなかった。 「うん、そう思ってたし、安心してた。……けど間違ってた。俺は変われた気でいたけど、生ぬるかったんだと思う」 「なんの話だ?」  ボトルをテーブルに置いた諒太は唐突に、見慣れた無邪気な笑みで首を傾げた。 「大ちゃんはさ、叶えたい願いってある?」 「なんだよ急に、女じゃあるまいし……」 「ある?」  笑顔のはずなのに、細まった視線に射貫かれると息が詰まる。誤魔化せる雰囲気などどこにも見当たらず、目が泳いだ。 「そりゃ、あるだろ。誰にだって」 「何? さっき言ってた人を、好きにならないように、とか?」  大雅はふ、と苦く笑う。あの占い師も諒太も簡単に言ってのけるその選択肢は、大雅の存在意義を九割方殺すものだからだ。 「……俺が願うのは好きって言わないことだけだ。そしたら、苦しめないですむ」  冷え始めた部屋の空気が汗を乾かしていくように、僅かずつでも恋心から暴力的な切なさが消えていく日を待ちたい。諒太のそばで、つらい思いをさせた分、甘い痛みを噛み締めながら。  諒太は笑顔のまま黙っていたが、不意にポケットから取り出した何かを差し出してきた。 「じゃあ、あげるね」  細長いパッケージに収まるそれに目を剥く。  透き通った青い石がついた安っぽいストラップは、大雅が願いと引き換えに手離した想い出だった。 「お前……それ」 「願いが叶うらしいよ。見つけたから買っちゃった」  無意識に伸ばしかけた手を引き、拳を作る。  未来を変えたくてここにいる大雅が、それを受け取るわけにはいかないからだ。 「馬鹿だろ。そんなもんで叶うはずねえし」  冷ややかさを意識して突き放すと、諒太はストラップごと手を降ろす。 「そうだね、願いを叶えるのは石じゃなくて自分だよ。だけどね……こんなのにも頼りたくなるときって、あるじゃん」  男はベッドへ乗り上げ、大雅の尻の傍へ膝をつく。驚いて目前の胸板へ手をつくと、脇腹を撫でられて肩が跳ねた。 「なっ、なんだよ」 「隙あり」 「っあ!」  怯んだ大雅から諒太が取り上げたのは、左ポケットに収まる携帯だった。咄嗟に手を伸ばすが、ひょいと軽く避けられてしまう。 「つけてあげるね。大ちゃんの願いが叶いますようにって」  唖然とする大雅の前で、携帯にストラップが装着されていく。彼は手早く自分の携帯にも同じものをぶら下げ、誇らしげに並べて見せた。 「じゃん、お揃い。どう?」  嬉しそうな姿はこれ以上ないほど可愛いのに、大雅は落胆するしかない。願い通りに想いを隠して関係を変えたのに、何故こうも間違えた未来と同じ轍を踏むのだろう。  ねだられて決めた徒歩五分圏内のアパートも、遊園地も揃いのストラップも――そばにいたがる諒太も、同じままだ。 「なんでだよ……こんな、なぞるみたいに」  酷い虚脱感に包まれる大雅は、淀んだ頭の中で木霊する寂しげな声を思い出す。  大雅を不思議な懺悔の旅へ送り出す女は「諦めちゃえばいいのに」と囁いた。ここにきてようやく言葉の意味を理解すると、諒太への罪悪感で圧しつぶされそうになった。 「ごめんな」 「……何がごめんなの?」  ベッドに座る大雅の膝の間へ腰を下ろした諒太は、携帯を握らせてくる。真新しい石はくすみもなく、カーテンの隙間から差しこむ太陽光を取りこんであまりに眩しかった。しかしその透明度も、指先で転がすと油分や指紋がついて濁ってしまう。  だから一切触ってはいけなかった。綺麗なまま守りたいなら、石も諒太も、最初から。 「俺、間違ってたわ。自惚れてた。こんなんじゃ駄目に決まってんのに」  人は好意に好意を返そうとする生き物だ。それを好意の返報性というのだと、背伸びして借りた小難しい映画で見たことがある。  断ち切れない大雅の想いは、視線に、声に、吐く息に混じって諒太を引き留めているに違いない。真冬に流行する悪質なウイルスのように、彼を侵食しているのだ。 「もうやめねえとな」 「何を……?」  不安そうな男の頭に手を置いた。指通りのいい黒髪を撫でるのが堪らなく幸せだったけれど、触れれば触れるだけ愛しさが増す。  これが最後だと思えば、殊更に。 「諒太はそんな石に頼ってまで、何を叶えてえの。好きな奴のこと?」  感情を守る最後の砦は諒太にしか壊せないから、大雅は彼の口から、恋焦がれる誰かへの想いをコテンパンになるまで聞きたかった。  何せ大雅の恋は、あたかも最初からそこにあったかのように心臓のフリをして、左胸で脈動していたのだ。あって当然のものを自分で抉り取ることはできない。きっと泣き喚くほどの苦痛に襲われ、正気でいられなくなる。  だがその苦しさも諒太から渡された引導であれば慈しめる気がして、胸の内は気持ち悪いほど凪いでいた。  諒太は幼馴染の穏やかな顔を見上げていたが、同調するように目尻を垂れ、大雅の手を携帯ごと両手で包んだ。 「俺はね、大ちゃんの願いが叶ってほしい」 「……俺? なんで?」 「大ちゃんが好きな人に、好きって言わなきゃいいのにって思ってるから」  ごうごうと一生懸命に働いていたエアコンが、設定温度を感知して静かになる。すると異様な速さで、太鼓を叩くような音がした。  その煩さに眉を寄せた一秒後、大雅は発生源が自分の左胸だと気づく。 「何、言ってんだ……?」 「だって、大ちゃんはごめんねの気持ちで、ずっと縛られたままだ。ずっと、その人を忘れられないままだ。……不公平だよ」  憎々しげに呟いた諒太は、包んだままの手の甲へ唇を押し当てる。  大雅の五感の全てから、諒太以外が消えた。 「その人は大ちゃんを好きじゃなくても恋人になれたのに、なんで大ちゃんを好きな俺は恋人になれてないの?」  ただでさえ煩かった左胸から、壊れそうにぎこちない鼓動音が響く。おかげで息もうまくできず、無意味に首を横に振った。  すると諒太は大雅の携帯から伸びるストラップを摘まみ上げ、青をおざなりに揺らす。 「俺の願いは自分で叶えるよ。けどね、大ちゃんの過去を変えようと思ったら、こんな石にも縋りたくなるじゃん」  次から次へと投げつけられる信じ難い言葉たちが、大雅を混乱の極地へと押しやった。  諒太は落ち着き払った様子で膝立ちになり、手を伸ばしてくる。恐る恐る肩に触れる仕草には、強烈な既視感があった。 「ずっと、大ちゃんを抱きしめてみたかった」  肩を遠慮がちに撫でた指先が、頬へ触れてから頭を腕の中へ抱き寄せる。  もう二度と潜れないはずの世界で一番心地いい囲いの中は、大雅ではない鼓動音で賑やかだった。 「初めて会ったときから好きなんだ。だから早く、大ちゃんを好きになれない人なんか忘れて……俺だけの大ちゃんになってよ」  ――呆気ないほど簡単に、諦めるためにグダグダと並べ立てた理屈が溶けて消えた。  その可能性を考えもしなかった。見ているようで何も見えていなかった。思いこみに支配されて作ろうとしていた未来は、独り善がりだった。  最初からずっと、諒太の恋はこの手の中にあったのだ。 「お前……俺のこと、好きだったのか」  掠れ声で呟いた途端、目頭から土砂降りの想いが降る。悲しくはないのに止まらない。  大雅を打ちのめしたのは単純な喜びだった。 「そうだよ。俺は諦められないから、大ちゃんが諦めて。諦めて俺を好きになって」  息苦しい抱擁と言葉には優しさが不十分で、ひたむきな愛情ばかり詰まっている。  しゃくり上げる大雅の背を何度も何度も撫でながら、諒太は必死になって言い募った。 「大ちゃんはさ、ヒーロー気質なんだよ。だから何もできない俺でいれば、大ちゃんを一生一人占めにできると思ってた。大ちゃんも俺が好きなんだって思ってた」 「んだよ、それ……」 「でも馬鹿だった。大ちゃんに恋人がいたなんて考えもしなかった。あんなにいっぱい……邪魔してきたのに」 「やっぱ……わざと、かよ」 「謝らないよ、俺の大ちゃんなのに。大ちゃんは俺じゃ駄目? 世界中の誰より一番、大ちゃんのこと大好きだよ。俺より大ちゃんを大事にできる奴いないよ。ホントだよ」  怖がって求めなかったくせに渇望し続けた諒太の愛情が、干からびたスポンジを潤すように大雅の心へ染みていく。 「だからお願い、俺のこと好きになって。こんな、本当は狡い俺じゃ嫌?」  頭の上で囁かれる祈りは、大雅のよく知る気弱な諒太のままだ。  出会って十年、やっと屈折したあざとさに気づいた自分を情けなく思うものの、そうまでして引き留めてくる存在を嫌うはずがない。 「馬鹿、じゃねえの」 「大ちゃん……」  名残惜しそうに身体を離し、諒太は指先で大雅の涙を拭う。しかし指なんかでは追いつかず、顎を伝う雫はジーンズにシミを作った。 「お願い、泣かないで。俺のこと許して。大ちゃんの気持ちを教えて。悲しませないから」  今にも泣き出しそうな顔で懇願する諒太を見つめ返し、鼻を啜る。  嬉しくて、嬉しくて死にそうだ。震える両手で男の側頭部を包み、額同士をコツンと合わせる。半開きの唇にキスをすると、見開かれた瞳の下に大雅の涙がほとほと滴った。 「た……い、ちゃん?」 「じゃあ、言わせてもらうけどな」 「え?」  言いたいことなら山ほどある。男の感情の在処を知った今、大雅に怖いものは何もなかった。  す、と大きく息を吸う。 「遅えよ、一年半も悩んだじゃねえか! 馬鹿みたいに落ちこんだし、後悔したし、突き放したし、どうしてくれんだ、この馬鹿っ」 「……えっ!?」 「お前わかりにくすぎだろ。そういうのはまず告ったときに言えよ、好きの一言くらい挨拶代わりに言えるだろうが!」 「な、なんのことっ? 俺告白されてない!」 「うっせえ! こっちは溜まってんだよ、鬱憤が!」 「なんか理不尽な空気を感じるよ!?」  驚愕に目を白黒させる諒太は、八つ当たりの勢いに押されて軽く身を引く。  大雅は男の胸倉を鷲掴み、強引にベッドへ引きずり上げて押し倒した。腹を跨いで見下ろすと、焦っていた顔が一転、赤く染まる。 「こ、これ、俺怒られてるんだよね? ちょっとあの、パンツの中が場違いな感じに……」 「ごめんな」 「うん、え?」  胸倉を離す代わりに、無駄に造りのいい顔を両手で挟んでつぶす。頬を寄せられて唇が尖るとさすがに不細工だが、それさえも可愛く、愛でるべき存在にしか思えなかった。 「勝手にお前の気持ち決めつけて、わかった気になって、守ってやりたいなんて、偉そうに」 「大ちゃん……?」 「簡単なことだったんだよ。そうだろ、諒太」  困らせてしまうのが嫌で、告白して以降ははっきり「好きだ」と言うのを避けていた。  苺をつぶすことを怖がり、諒太の気持ちに歩み寄ることへ怯えていた大雅は、母の言う通り肝の小さい男に違いない。だがそれでも、右往左往して過去を変えるべく奮闘したことは無駄じゃない。悪足掻きの末に得たものが諒太の真意ならば、こんなにも価値のある寄り道は他にないはずだ。  大雅は大切な人に、ちゃんと愛されている。  内側から迫りくる幸福感は自信へと変わり、淀みなく言うことができた。 「諒太が好きだ。お前は? ……って、訊けばよかった」  グッと眉を寄せた諒太が、頬にある大雅の手を取り引き寄せた。しがみつかれているのか、圧しつぶしているのか微妙な体勢で抱き合う。着痩せする外見からは想像つかない馬鹿力は苦しいが、喘ぐように息はしても、制止だけはしなかった。 「ねえ、どういうこと? 好きな人は……?」 「あ、れも、お前。わかんね、だろうから……いつか、話してやる」  途切れ途切れに言い終えると、諒太は大雅を抱き締めたままゴロリと横転する。大雅を押し倒し返す男の顔は赤らんでいるが、眉を寄せているせいで照れているのか怒っているのかわかりづらかった。 「全然わかんないけど、でも、つまり大ちゃんは俺だけってこと?」 「おう」 「神様ありがとう……」  脱力して大雅の胸元に顔面から突っ伏す男は、長い息を吐き出している。強引に想いを告げてきた勢いがなりを潜めると、馴染み深い弱々しさに目がいった。  諒太の言う通り、大雅はヒーロー気質なのだろう。守りたい、大切にしたい、幸せにしたい――性懲りもなく沸き起こる庇護欲は尽きそうにない。しかしそれは諒太が弱い存在であるからではない。諒太が、好きだからだ。 「なあ……お前の幸せって何?」  顔を上げた諒太が、にじり上がってきて触れるだけのキスをする。清々しい笑顔には、幼いころから大雅を惹きつけて止まない愛らしさがあった。 「大ちゃんが、そばにいること」  堪らない気持ちになって、諒太の頭を抱きこんでキスを返した。唇を啄み、誘い出した舌を含んで甘噛みする。  息を詰めた諒太は、キスを止めると熱に浮かされたように鼻先を擦り合わせた。 「どうしよ、大ちゃんのベロ美味しい……」 「お前それガチで変態くせえ。男相手に……」 「俺にとって大事なのはそこじゃないもん」  何かを強請るように大雅の唇を食みながら、諒太はなまめかしく口角を上げる。 「大ちゃんか、そうじゃないか、だよ」 「ああ……それは俺にもわかる」 「俺の大ちゃんになる?」 「とっくにお前のもんだったろ」  幸せそうに目尻を垂れ下げ、諒太は噛みつくようにまたキスをした。拙さの拭えない手つきで身体を弄られる大雅は力を抜き、自ら脚を開いて男の腰を挟む。 「こいよ」  余裕の表情で誘うと、男の喉から獣のような唸り声が鳴る。愛らしい目元に雄を漂わせる諒太の姿は、過去最高に大雅を興奮させた。 「大ちゃ……大ちゃん、好きだよ、大好き」  薄いTシャツをたくし上げた手が、焦らすことも知らず乳首を抓る。ゾクリと肌を粟立たせる痛みは、期待で緩く芯を持った性器を煽った。 「馬鹿、痛えよ」 「でも大ちゃん、気持ちよさそうな顔してるよ。ここ、苦しそう……」  あばら、脇腹、腰骨にヘソ。色ごとなど知らなそうな指先がそれらを辿り、ジーンズのベルトを外す。下着ごとずらされると、耐え性のない若茎が腹を打った。  諒太はあからさまに唾をのみ、眼下の勃起を注視している。 「勃ってる……触りたい、触っていい? あ、いや、でも舐めてみたい。俺のと一緒に擦ってもみたい……どうしよう」  性的好奇心に支配されているのか、諒太はオロオロと迷っている。  挿入だけはしないくせに問答無用で大雅を翻弄する、元の時間軸の諒太とは正反対だ。単純に経験回数の差だろうが、新鮮な狼狽が可愛くて男の手を引いてやりたくなった。 「どれでもいいけど、とりあえず……こっち」 「ぅ、わ……!」  諒太の肩を押して起き上がり、軽く突き飛ばす。  突然押し倒された諒太は唖然としていて、抵抗なく下衣を膝まで下ろすことができた。露わになった性器は何もしていないにもかかわらず貪欲そうな血管を浮かばせていて、わかりやすい反応に笑みが零れる。 「こんなにしといて、触りたいだの舐めたいだの、よく悩めたな」 「だ、って……っ、俺、大ちゃんとエッチするときは何しよう、どうしようって今までずっと妄想してきたから……!」 「へえ……じゃあお前の妄想ん中の俺が、しなさそうなことやってやるよ」 「どんな……?」  顔を真っ赤にしてウブさを見せつける諒太は、それでも大雅からギラついた視線を逸らさない。  段々と優位な立場に男心をくすぐられた大雅は、張り詰めた先端で男の裏筋を擦ってやり、諒太の口に自分の指を含ませた。 「舐めて濡らして」 「ん……」  従順に指へ絡む舌の感触が気持ちよく、僅かに息が乱れる。褒美のつもりでまた腰を揺らすと、陰茎を擦られる快感で諒太が眉を寄せた。顔を背けて口内から指を抜き、上擦った声で笑う。 「ね……これ、俺のお尻に入っちゃうやつ?」 「いいや?」  ぬるついた指を自らの尻に伸ばす大雅は、どこか安堵している諒太に思わず笑ってしまう。彼を抱いてみたい欲求が全くないとは言わないが、男の腕で内側から高められることを知っている分、我慢がきかない。  多少の不安を抱きつつ後孔へ挿し入れると、想像より容易く一本含ませることができた。 「ふ……っ」 「大ちゃんエロい……でも待って、それは俺がしたい」  視覚が捉えた映像だけで息を荒げる諒太は、両手を臀部へ伸ばしてくる。  しかし大雅はすぐさまその手を掴み、触れ合う二人分の屹立へ誘導した。 「いいから……お前はこっち」 「でも」 「慣れてる奴がやったほうが早いだろ」  言うほど後ろの自慰には慣れていないが、未経験者よりは一応マシだろう。大雅は目を閉じて何度も息を詰め、慎重に二本目を挿入した。いつも諒太がしてくれていたように解したいが、思うようにいかず歯噛みする。  そのとき、中心をぎゅうと強く握られて目を見開いた。 「なっ、ぁ」 「慣れてるって何?」  つながるための準備に勤しむ手を掴んで抜かせた諒太は、腹筋を使って起き上がる。急所を締めつけられて引きつる喉にキスをして、いやに冷静な声色で耳元へ囁きかけた。 「誰に、させられ慣れてるの?」 「諒太、離し……っ」 「俺じゃない誰かとしてたみたいに、抱かれようとしないでよ」 「ひ、っん」  屹立にかかる圧が甘さを帯び、そのまま上下に扱かれる。諒太は同時に自らの指を先ほどと同じように唾液で濡らし、窄まりへ這わせた。大雅にとっては馴染んだ形の指先が、探るように肉壁を掻き分ける。 「俺がするんだよ。ねえ、わかってる? 大ちゃんのここ触るのは俺で、気持ちよくするのも俺なんだよ」 「んんっ、は、はぁ、う……っけど、早く、挿れてえだろ……っ?」 「正直そんなのどうでもいいよ。大ちゃんのアへ顔見れるならイケなくていい。四六時中触ってたい……っていうか抱いたら抜くの嫌になりそう。挿れないほうがいいかな……」  同じ男として理解のできない主張を真顔で述べられ、呆気にとられる。しかしふとその台詞に結びついたのは、興奮していても挿入しないままセックスを終える諒太の満足そうな顔だった。 「んだよ……だから抱かなかったのか」 「何?」 「悩んで損したって話」 「また俺のわかんないこと言ってる」  ムッとする諒太は、器用に両手を動かしながら乳首を口に含んだ。  三カ所それぞれから快楽が競り上がり、掠れた嬌声が零れる。諒太の頭を抱きこんだ大雅は、本能的にかくかくと腰を揺らした。 「りょ、たあ……っ、無理、いっぺんにすんの止めろって、言った、っ」 「ねえ、大ちゃんは俺を嫉妬させてグチャグチャにされたいの?」 「ちっ、げえ……っ」 「いいもんいいもん。めちゃくちゃイカせて今までしてきたエッチ全部上書きするもん」  駄々を捏ねる子どもみたいな物言いをするくせに、舌にも指にも可愛げはない。  押し倒しただけで赤面していた初々しさは、どこに消えてしまったのだろう。調子に乗って先輩風を吹かそうとした数分前の己を後悔する大雅は、それから諒太の手管で呆気なく三度吐精させられた。  力尽きたようにベッドへ倒れこみ、ぜいぜいと息を荒げる。閉じ切ったカーテンの向こう側は、いつの間にか夕陽色が混じり始めていた。 「嘘、だろ……」 「大ちゃん、大丈夫?」 「じゃ、ねえわ、馬鹿……おい、絶対やめろ」  手の平を汚す白濁を舐めとろうとした諒太は、大雅に睨まれて仕方なさそうにティッシュで拭う。しどけなく開かれたままになっている脚の間へ同様にティッシュを滑らせる手つきは、愛撫を働いたことも忘れてどこまでも丁寧だった。 「疲れたよね。お風呂沸かすから寝てて」  大雅はニコニコと幸せそうに頭を撫でてくる男をじっと見上げていたが、無言で諒太の股間を痛くない程度に掴む。  すると男は息をのみ、紳士ぶって履き直したジーンズの中でガチガチになった肉棒を跳ねさせた。 「何、すんの……」 「しねえの」  あれだけしつこく解されたのだ、受け入れる準備はできている。  重い身体で這いずり、諒太の膝に寝そべった大雅は、固まる男をぼんやりと見上げた。 「食ってもらえねえ据え膳って、それもう廃棄だと思わねえ?」 「……っなんてこと言うかな!」  再びベッドへ押しこめられた大雅は、ひっそりとほくそ笑んで男の背を抱く。  自分で留め直したくせに、焦ってベルトをうまく外せない諒太は誰がなんと言おうと可愛かった。 「大ちゃんの馬鹿っ、もう知らないから、どうなっても大ちゃんの自業自得だからっ」 「ああ、いいよ。なんでもいいから、早く」  おざなりに寛げたジーンズのフロントから、カウパー液で先端をてからせた怒張が顔を出す。ずっしりと重そうな刀身を見て喉を鳴らした大雅は、つまらない矜持よりも大切にしたいものを強く抱き締めた。 「早く……諒太、お前に抱かれたい」 「黙ってて、てば……!」  片腕に大雅の脚を引っかけ、反対の腕で頭を抱きこんだ諒太は、腰を動かして先端を後孔に宛がう。それから間髪入れず挿入された質量に、大雅は呼吸を忘れた。酸欠の金魚のように口をはくはくと開閉させ、腹の奥で存在を主張する熱に喘ぐ。  ほどけかけた後頭部の髪を力任せに掴まれる痛みですら、律動に憑かれた諒太の興奮がさせているのだと思うと気持ちがよかった。 「ひ、ぃ……っあ、は」 「ヤ、バ……っ気持ちいい、どうしよ、大ちゃん……っ」  喘ぎ混じりの溜め息と共に、諒太の舌が大雅の耳朶をなぞる。小さな穴に捩じこまれると酷い水音が背筋をぞわつかせ、肉棒を食む後孔がぎゅうと締まる。すると男のストロークが激しさを増し、粘膜を擦られる快楽が内壁を収縮させた。  深い悦楽の繰り返しに悶える二人は恍惚をひたすら蓄積させ、放逐の境目が曖昧なまま、動けなくなるまで身体をつなげ続けた。
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