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ノック音が響く。
「友花」
扉越しの声は、父親の永司だ。
「今日は母さんと……お客さんが来ているんだが、夕食はどうする?」
「……大丈夫」
立ち上がって、扉を開いた。努めて普段通りに振舞う心遣いは、いつも友花に痛みと優しさの二つを突きつける。
「大丈夫」
喋れるよ、とは告げなかった。そうか、と安堵する父親の顔を曇らせたくなかった。
「大人になったんだな」
そうだね、と同意して、着替えるからと断って扉を閉めた。
他人より、話すのが下手だと気づいたのは何時だっただろうか。会話、雑談、お喋り。耳から入る言葉に続く言葉を声に出す。流れは常に先へ先へと進むのに、いつの間にか置いて行かれたと悟る。
幼いころは、無邪気に遊んでいた。小学校の低学年では、時折戸惑いながら、それでも友達と一緒だった。
急激に変わったのは、五年生になる直前だ。
大人になる階段を上り始めた友達の、合間合間の会話に、付いていけなくなった。友花ちゃん、なんかあった、から、ちょっと変わったよね、となり、すぐに無口になったと囁かれた。
誤魔化し笑いを浮かべるうちに、ある日突然、全く喋れなくなり、やがて、病名が付いた。
心身の成長とともに、病状は軽くなる可能性があると医者は告げた。だから、大人になった、とは、友花と家族を苦しめた病気が治ったと、ほぼ同義だ。
りゅう兄が消えてしまってから、考えた。
彼がいなくなってから、友花の病気は驚くほど症状が出なくなった。
子供ではなくなったから、もう彼には会えないのかもしれない。
または、不思議な彼が、有り得ない力を使って、友花を治したのだろうか。他の人と同じように、とはならなかったが、彼の前では友花の口が完全に沈黙することもなかった。
やや迷って、厚手のオレンジのニットとジーンズに着替えた。肩に付かない長さの髪の手櫛で整えて、ダイニングへ向かう。
大人たちの会話は、和やかだった。父、母、祖父母。それから、もう一人――
「ああ、来た来た。うちの娘、友花。友花、こちらは、志野原惟人」
明るい部屋の光に照らされて、初めまして、が出てこなかったのは、申し訳なさそうに曖昧な笑みを浮かべる相手から、逃げだしたいのを堪えたせいだ。
体も表情も固く動かない友花を、両親たちが心配そうにうかがってくる。そこに、あの、と割って入ったのは、惟人だった。
先ほど初対面を済ませていた経緯が、よどみなく伝えられて、空気が緩んだ。
大人は、子供のために、簡単に子供の話をする。
惟人が友花を知っていて、病気の事も把握しているのは、故に怒ることではない。
けれど――夕食の味はしなかった。
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