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「で、相談なんですが」
「は」
やたら改まった口調で切り出されたので、将来はどうするつもりで等の質問に備えて、楓は思わず身構える。
「楓さん、だとなんか馴れ馴れしいっていうか、あれなんで、呼び方変えて良いですか。あ、ケントとかまっちゃんとかにはなんて呼ばれてます?」
長閑すぎる相談である。そして件の呼び名を踏襲されるのもビミョウなのだが、拍子抜けついでに楓は正直に答えた。
「…ガリレオ先生、ですね。それもどうかと思いますが」
柳澤は、ん? と首を捻ってから、ああ、ドラマの、と頷く。そして楓の注釈は無視された。
「なるほど、それいいっすね、うん、オレもそうしよう」
某俳優と楓が似てる訳ではないのだが、拒否するのも面倒で定着したあだ名ではあった。抵抗してもどのみち無駄な努力になるのも解っていたので、この際、楓も好き勝手に質問することにした。
「驚きませんでした?」
「え?」
「いや、俺、男なので」
あまりに今更なのだが、そもそも最初にネックになる事実である。しかしそのあたり、この左腕もまったくスルーしたのだ。更には、ああ、といま気付いた態で柳澤は首を傾げた。
「驚かなかったですねえ… あいつ、ゲイってわけでもなさそうだけど、元から、なんていうか、境界があいまいっていうか、無頓着でしょう? 男と女、どころか、ニンゲンとそれ以外も、平気で同じフィールドに並べるところあるし」
思わず楓は絶句する。さすがによく把握している、というか、こうも冷静に分析されているとは。少々、柳澤への認識を改めると同時に、しかし高校生当時からそうだったかと若干、眩暈を感じた。が、それはつまり、と別の事が気になった。
「距離が一緒なんですよね。だからマニア向けっていうか… あ、別に、なんだろう、ヘンタイさんとかじゃなくて」
「いや、大丈夫です、解ります」
「ひとの顔とか見た目とかも、たぶん、ぜんぜんカンケーないってか、見分けるのに使ってるくらいというか」
先生、イケメンの無駄遣いですね、などと柳澤はあっさりと言い放つ。それには楓も薄々気が付いていた。というより、だからこそ親しくなったと言えなくもない、と心密かに付け加える。彼が平然と自然にそこを無視するので、居心地が良かったのは事実だった。
「だから、男女問わず一部に人気が… 惚れられてたかなとは、思いますけど」
やはりか、と脳内に書き留めておく。
「本人はそんなんだし、まあ、野球しかやってなかったしで、気付いてなかったと思いますねー。穂高、鈍い通り越して足りないですもん」
と、ほとんど暴言になったが、楓としては頷くしかない。明らかに彼はどこか重要なネジが最初から足りていなかった。きっと永遠に気付かれなかっただろう誰かの淡い何かを想って、楓は黙祷を捧げた。
「あ、でも、ユキノのことは好きだったんじゃないかな」
「えっ、誰!?」
ゆきの? 女子マネージャかクラスメイトか? と思っていたら、
「行野和孝です、いま□□にいる、ショートの。オレ等の同期で、面白い経歴なんですよ、甲子園でも話題になったし」
あ、好きって言っても、バッティングフォームとか当時のピッチングとかだと思いますけどね? と柳澤は大らかに笑っていたが、固有名詞が出るだけの”何か”があったということだろう。意外な伏兵だ。この面談の最大の収穫のような気がしてきた。反射的に柳澤に握手を求めながら、楓はその名前を大脳HDDに記録した。
一方、柳澤は柳澤で気になったようで、曰く、
「むしろ、先生の方がびっくりですよ。よりによって、もったいないっつーか、なんつーか。あいつで大丈夫ですか?」
気の毒そうな、という以外に言い様のない表情で問われて、楓はつい首を傾けてしまう。楓としても、こんなことになるとは全くの想定外だったのだが、他に有り様がなかったので正直に答える。
「…あまり、大丈夫では、ないですね」
「ええっ」
「でも、出会ってしまったので。こればっかりは、どうしようもない」
と軽く嘆息する楓に、左腕は「そうですか」と眉尻を下げて、すこし嬉しそうに笑った。
結局その後、彼と柳澤の高校時代の話から始まって、柳澤のチームの話や、楓のK大学生寮の肝試し大会の顛末を話し終わった頃には、すっかり柳澤も楓に慣れていた。
「や、物理学者っていうから、もっと生真面目っていうか、お堅い感じかと思ってたんですけど、あれですね、先生、面白いヒトっすね」
「…よく言われる」
楓の友人たちによる評価は『ただの理系オタク』である。研究室関係者だと『江戸っ子のイギリス人』だそうだ。見た目で逆に損をしている、とは大学のバド部の同期、時任の談だ。
すっかり長居をしたと、ようよう腰を上げた楓に、柳澤は挨拶ついでに「あ、そうそう」と切り出した。
「オレ、今度のオフ、結婚するんです」
「…そいつはおめでとう」
するりと祝いを口にして、楓はなるほどと独り合点する。今日の本題、もう一つはこれか。
彼等の業界は結婚が早い。高卒で働いているので当たり前ではあるが、それを考えるとそう驚くことでもないし、ケントも次のオフに挙式するはずだと楓が思い返していると、
「実はまだ家族以外に秘密で」
「はっ? えっ、じゃ、まだ、」
「あ、ハイ、まだ穂高にも言ってないッス」
そんな重大事を先に知っていいものか、と絶句していると、いやいやと柳澤は手を振る。
「すぐ知らせますから。式とかは来年だし」
「はあ…」
「でね、だからあいつ、さんざん挨拶させられると思うんですよ。今年はケントもだし、いろんなとこで」
それはそうだろう。友人代表のスピーチや、同窓会なら乾杯の音頭など、彼以外がやるとは思えない。
「そんできっと、無駄に質問されまくると思うんですよ。ご自身はいつごろのご予定で、とか。無神経なインタビュとか多いし、あいつ突っ込みどころ満載だから」
「…でしょうね」
「ま、オレたちもフォローするんで、いろいろ。だから先生、あいつの挨拶の原稿とかちゃんと添削してくださいね? ついでに物理学っぽいネタでも入れておいて下さい」
「や、待て、なんでだ」
「ご祝儀ですよ、オレへの」
ふふっ、と左のエースは淡く笑うから、それ以上、文句をつけることも出来なかった。
「…努力する」
とだけ応えた楓に、頼みます! と柳澤は明るく手を振った。
楓は、とっぷりと暮れたトウキョウの街を横断する。
気まぐれに過ぎる風は思いの外冷たく、今の季節を思い出させた。あとひと月後には、T大構内や神宮外苑のイチョウも色づき始め、その頃には彼も京都に帰ってくるだろう。楓が一時期、結婚式場でバイトをしていたこともあるので、柳澤の言がなくても通常、もろもろ彼の世話は焼いていた。赤谷の時など、普通に三次会から付き合わされたものだ。
ああ、それにしても、と楓はビッグエッグの屋根を振り返る。
ほとんど、魂を分け合った兄弟のような。
これまでイヤと言うほど柳澤の話は聞かされていたし、うんざりするほどその存在は明らかだったのだが、間近に見た彼の親友は、想像以上に純に互いの存在が根付いていた。そこに嫉妬したところで仕方がなく、燦然と輝く彼等の過去に、楓は目を細めるほかなかった。きっとあれを『青春』というのだろう。
どうか、幸せに、しあわせに。
彼の半身が、末永く幸福であるように。
そして彼に、改めて愛を告げよう。
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