鬼は熱情をその瞳に隠す

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「き、気まずい。」 こんな状況で彼に話しかけられるはずがない。 ちょっと離れたところから連絡を入れようと静香が踵を返したその時ーー。 「静香さん!お待ちしてました。」 ギクリ。 マスターの声と同時に刺さるような視線を背中に感じ、静香は恐る恐る振り返った。マスターはメガネと本をポケットにしまいながら今日も爽やかな笑みを浮かべ近づいてくる。 (うぅ....美しさが眩しい...) 『なんであんたなんかが』という心の声が全方向から聞こえてくるようだ。 「さぁでは行きましょう。」 マスターがそっと差し出した手を戸惑いながら静香が握ると、そのままグイッと引き寄せられる。 「お会いできるのを楽しみにしてましたよ。桜、楽しみですね。」 「..........はい。」 (近い近い耳元でそんな囁かないでー!)  電車で二駅行くとこの辺で有名な桜並木道がある。 そこでは毎年3月の終わりから4月中旬くらいまで桜祭りが開催され大変賑わう。静香は4年前に引っ越してきてから毎年この桜祭りを楽しみにしていた。 今年は満開になるのが例年より遅かった為ちょうど今が散る時期だ。メールでマスターに桜が散るのを観るのが好きだと話したら「それでは一緒に観に行きましょう」という話になった。 (それにしてもやっぱり人気なお祭りだなぁ。電車からもう混んでる...。) 電車の中は土曜日なのに満員だ。通勤で慣れてるとはいえ桜祭り最後の週末を甘く見ていた。 ドア側に立っている静香が潰れないようにとマスターが窓に腕をついて空間を保ってくれていた。マスターの胸に顔を埋める距離感に静香は心臓が飛び出そうになる。 (......マスターって根っからの王子様気質。) ーーふわっ。 「あれ?」 その時バニラのような甘い香りがすることに気づいた。 (...香水?...いやこれは...ウィスキー?) 顔を上げてマスターを見ると、いたずらに微笑みながら人差し指を立て口元に当てた。 「バレちゃいました?」 「.....この距離なので。」 酒呑童子は無類の酒好き。やはり飲まずにはいられないらしいーー。  到着して電車を降りると、人だかりがそのまま一斉に会場へと向かっていった。 ほぼ全員がこの駅で降りたので振り返るとガランと軽くなった電車が発車していく。 「すみません静香さん、人混みが苦手なので少し後ろを歩きましょうか。」 「はい。」 人がたくさんいると女の人たちが全員マスターのことをチラチラ見る。常に見られているなんてイケメンという人種も大変だ。 桜祭りの会場へは駅を出て徒歩5分もしないので、ゆっくり歩いてもすぐに着いた。 毎年この時期になると入り口に『桜祭り』と筆で書かれた木の看板が出る。当初はだいぶ古い看板だったらしく何年か前に新しくなったそうだ。 看板の前で静香は立ち止まる。
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