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1.雨森洋二からの手紙
「こんにちは、少しお時間よろしいでしょうか」
「すみません、急いでるので」
小雨が降り注ぐ街の中で呼び止める声に、俺は振り返りもせず答えた。小走りの見知らぬ人をわざわざ呼び止めるなんてナンセンスにもほどがある。俺はそのまま通り過ぎようとした。雨は嫌いだ。早く大学の屋根の下で、温かいコーヒーを飲みたい。
「大学の講義まではもう少し時間があるのではありませんか? 10分ほど雨宿りすれば、この雨も止んでしまいますよ」
「は?」
気持ち悪い。なんだ。振り返ると、雨が途切れた。俺の頭上に黒い傘が差しかけられていた。傘の下には俺よりも10センチほど低い背丈の男性がいて、貼り付けたような、いや、本当は大笑いしたいのをこらえているような笑顔で俺を見上げていた。
「そこの喫茶店のコーヒー、とても美味しいのですよ。何なら私が払いましょう。どうしてもあなたに聞いてもらいたい話があるのです。雨森 壮太さん」
反射的に眉間にしわが寄る。俺は名字で呼ばれるのが嫌いだ。それに、この男は誰だ。黒いスーツはまるで喪服に見える。髪は後ろに撫でつけるように整えられているものの、天然パーマがかかっているらしく襟足は緩く巻いている。烏の濡れ羽色と表現していいような真っ黒な髪と、濡れた炭のような真っ黒な目。男のわりに細い顎をしていて、子供のころは女と間違えられたこともあるのではないだろうかという華奢な顔立ちをしていた。見れば見るほど、こんな知り合いはいないと断言できる。なら、探偵とかそういった、人の素性を調べ上げる職業の人間だろうか。否、そんなものに調べられて、話しかけられるような後ろめたい人生は送っていない。では、ストーカー? まさか。それならば俺を名字で呼ぶなんてミスは犯さないはずだ。
「失礼ですが、どなたですか?」
「まあまあ、それより、コーヒーはどれにしますか? 店員さんが困ってしまいますよ」
「え」
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