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忘れないで、忘れて
『こんなに愛してくれる人と一緒にいれて、私は本当に幸せだ!!』
「良い天気だね」
「お花がきれいだ」
そう言う彼女の笑顔を見ていると、まるで全てが嘘なんじゃないかと思えてくる。
僕は彼女の隣に腰掛けて、一緒に花を見た。
「寒くない?」
「ん、平気」
僕を見ずに言った彼女の視線の先では、黄色のパンジーがひらひらと揺れている。
「ねえ亮太くん」
「ん?」
「亮太くんは来年の今頃どうしてるかな?」
「そうだなぁ」
しばらく考えたが、いい返事は思い浮かばなかった。
「志織さんと一緒に花を見に行きたいな」
彼女は少し笑った。
「そうだね、また連れて行ってね」
揺れるパンジーを脇目に見ながら、暫くの沈黙が流れた。
「そういえば私、小さな頃パンジーが怖かったんだよね」
彼女はいつもこう、突拍子もない話を始める。
「ほう、それはどういう」
僕も慣れたものだ。
「なんか、中央の黒い部分が顔に見えてさ、しかも真ん中にギューッと集まるもんだから」
言われてみれば、顔に見えないこともない。
「大人になってみると、怖いものなんて全然無くなると思ってたのにね」
また、いい返事が思いつかなくなってしまった。
「大人になっても、怖いものは怖いや」
そう言って彼女は立ち上がると、パンジーの花をつんつんした。
「亮太くんはゾンビが怖いんだよねー」
ニヤニヤと笑いながら彼女は言った。
「志織さんだって怖がってたじゃないか」
今度は眉をひそめる彼女。そんな所が愛おしい。
「私は女の子だからいいの」
「都合がいいなぁ」
彼女はすくっと立ち上がると、両手を前に出してこう言った。
「私がゾンビになっちゃったらどうする?」
聞きながら、うぅ〜っとゾンビのフリをして僕に接近してくる。
僕は指をピストルに見立てて彼女へ向けた。
「くっ、志織さん!俺だよ!亮太だよ!しっかりしてくれ!」
「うぅ〜」
「すまない、志織さん…!」
言いながら僕は手を下ろし、彼女の肩に両手を置いた。
「え、ええっ…そこは撃たなきゃ」
彼女は困ったように言う。
「志織さんを撃つくらいなら、一緒に仲良くゾンビでもいいかなって」
僕は笑いながらそう言った。
「…亮太くんは生きてなきゃダメ」
彼女は僕の胸を軽く叩いた。
「でも、ありがと」
言いながら彼女は僕の背中に手を回した。僕は答えるように彼女の頭を抱き寄せる。
「志織さんのいない世界なんて嫌だ」
「亮太くんなら大丈夫だって」
なんで他の人じゃなくて彼女なんだろうか。
「なんで志織さんなんだろう」
「うーん、頑張ったんだけどなぁ」
ひと呼吸おいてから、彼女は言った。
「もし私が死んじゃっても、亮太くんはいいお嫁さんを見つけて、子供も作って、幸せに暮らすんだよ?」
彼女のその言葉は、まるで槍で貫かれたように甚く胸に刺さった。
「うーん、できるかなぁ」
「できるよ、亮太くんなら」
「無理だろうけど、頑張ってみる」
「おう、頑張れ。あ、でも私の事忘れたりしたら呪っちゃうかも」
「忘れないよ、絶対に」
僕はよりきつく彼女を抱きしめる。それに答えるかのように彼女の手にも力無い力がかかる。
「…亮太くん」
「ん?」
「私ね、ほんとは怖いんだ」
「…うん」
「ほんとはもっと生きていたいし、生きて亮太くんと一緒にいたかった」
「…」
「なんで、なんで私なの?」
「…」
「私はただ普通に生きていたかっただけなのに」
「…うん」
「死にたくないよ、亮太くん」
僕の胸に滲んだシミを隠すように彼女は僕の胸に顔を埋めた。僕には彼女を時間が許す限り、精一杯抱きしめることしかできなかった。
しばらくたった後、ゆっくりと彼女は僕から離れた。
彼女は僕の肩に両手を置き、赤くなったまぶたが気にならない程の満面の笑みで言った。
「私の事を好きになってくれて、私と一緒に生きてくれて、本当にありがとう!」
僕はライターの火を線香に移し、鼻につくような独特の香りを漂わせるそれを墓石に刺した。
ポケットから便箋を取り出し、彼女に声をかけた。
「手紙、ちょっと短すぎじゃない?普通、『この手紙を読んでいるということは〜』みたいに始まる所でしょ」
彼女は笑ってくれているだろうか。
多分、笑ってる。
僕は、笑えているだろうか。
きっと、笑えてる。二人で。
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