ショートショート集

コーヒーはお好き？

　コーヒーメーカーが足りないのだ。
　外出自粛について騒がれるようになり、週末分の食事くらいは自分で作るようになってふと思った。
　職場に置いてあるのと同じ、安いだけで選んでいるインスタントコーヒーにお湯を注いで、これじゃあ職場の午後を思い出してしまうとげんなりした。
　離婚前は結婚祝いにもらったケメックスの、ニューヨーク近代美術館にも展示されている曲線の美しいガラスのコーヒーメーカーを使っていたのだ。あれは今どこにあるのだろう。
　実家か、それとも家を出る時に元夫が持っていったのか。あれをくれたのは夫の方の友人だった。
　コーヒーを淹れるたびにその友人に申し訳ない気持ちを感じるような気もするから、使いたいのかはわからない。いずれにしても、もはや実家にも気軽に戻れない時代になってしまった。
　別れて、ひたすら働いて、職場の近くでとりあえず寝られる小さなスペースを確保して。とりあえず空腹を感じたらそこにある店に入っていた。土日だって自分が作るより、部屋を出て店を見つけて食べ物が出てくる時間を足しても後者の方が早い。東京だもの。お店なんかいくらでもあった。
　それが、だ。
　最近、仕事が終わってからの時間では、よく行っていたお店は営業時間短縮で閉まっていることが多くなった。昨日なんかわざわざ仕事から早く出てきて行ったのに、見たらドアに白い紙が貼られていて、閉店してしまったという。
　私はとにかく、自分で食べ物を準備していく必要があるのだった。千円以上の肉ばかり残っている近所のスーパーでめぼしいものをなんとか探し、料理ともいえない適当な食事をして、コーヒーだ。
　コーヒーだった。
　せめてコーヒーくらいは、丁寧にフィルターを折って、自分が飲んでいるものがアフリカ大陸から来たのかアメリカ大陸から来たのかくらいはわかって、溜まってくるのを眺めて、美しいカップで飲みたい。ワンルームの小さなキッチンで、手の込んだ料理をしようとは思えなくても。
　コーヒーメーカーを比較しているサイトでも読むか。ケメックスもデザインによっては、結婚祝いのことを思い出さないでいいものもあるかもしれない。
　インスタントコーヒーを飲みながらそんなことを考えた、四月の天気のいい土曜日。