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妻の遺言
顔を知っている男に抱かれるのは、真っ当だが相手に心があるので煩わしい。求めているときに拒まれ、どうでもいいときに足を開けと言われる、すれ違いに耐えなくてはならない。
ひとりで自分の身体を弄り、慰める。タイミングも時間も好きなようにできるが、ふと感じるむなしさはやりきれない。後始末をしているときには、この世界には自分ひとりしか存在しないのでは、とさえ思えてくる。
人であるがゆえ、いや、生物であるがゆえに、性欲は治まらない。子孫繁栄のためとはいえ、やっかいな本能だ。やっかいだが……うまくコントロールすればこれほど楽しい暇つぶしはない。
あなたは知ってるかしら?
まだネットがそれほど普及していなかった頃から人伝いに女性たちのあいだで広まった、睡眠術を。
「寝ているときに、幽霊に抱かれたような気がする」
あの頃、一部の女性たちはそう騒いでいた。欲求不満な女供だと、男や他の女は笑っていた。でもね、女はみんな思ったわ。
「幽霊に抱かれることができるなら、もう男を求めなくてもいいんじゃないか?」って。
もう男に振り回される必要なんかないのよ!
たかが、"ついている"だけで!
"女にないものを持っている"からって!
"女が最も欲しいものを手にしている"と勘違いする男供の言いなりにならなくて済むのよ!
女は幽霊を求めた。抱いてくれる幽霊を。
だから教えてやったのよ。『幽霊との出会い方』を。
私の家に代々伝わる睡眠術。眠っているときに幽霊と出会い、抱かれる方法を。
お金? そんなの要求しなかったわ。
私がいちばん欲しかったのはあなただから。
私がいちばん欲しかったのは生身の男だから。
他の女が幽霊で性欲を満たしたから、私はたくさんの男に抱かれることができた!
ああ! 楽しい人生だった!
他の男には抱かれながら子は作らず、最も美しいあなたを選び、子をたくさん産んだ。子はみんなあなたに似て、綺麗な顔……。
これが私の理想の未来だった! 私の人生だ!
ああ、苦しい……あなたより先に旅立つことになるなんて……最期に、あなたに教えてあげる……睡眠術を。あなたがこれから、誰も抱かずに済むように。この術は、男にも有効なの。
あら、聞きたくないの?
でもね、あなたに抱かれたい女なんてこの世にいるかしら? どの女も幽霊で満足して、生きている人には見向きもしない。
あなたの最初の女は私。あなたの最後の女も私。それでいいじゃないの?
さあ……バケモノの遺言と思って聞きなさいな。人としての欲を消すたったひとつの術よ。
愛してるわ、あなた。たくさんの男と肌を重ねたたけど、あなたがいちばん私の身体に馴染んだ……。
―――
妻を喪ってから、何年が経っただろう。
僕は妻から教わった睡眠術を忘れなかった。自分では使わずに。
いまの僕には数百人の女がいる。僕は多くの女のはじめての男となった。女たちは幽霊に抱かれながらも、更に強い刺激を求めていたみたいだ。それを僕が与えただけだ。……僕はずっと、妻以外の女を知りたかった。
僕は睡眠術を伝えた、他の男たちに。妻よ、ありがとう。
きみは確かにバケモノだったかもしれない。しかし、欲望の赴くままに行動していくのは僕も同じだ。
僕たち夫婦は、バケモノなんだよ。
いま、僕の子供が人口のほとんどを占めるこの地球で、どうやって術を利用するか、僕はそのことばかり考えている。
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